ミニマムアクセスとは何か?

前回は、WTO協定がGATTを引き継いで生まれたという歴史的経緯を概説した。今回は時事問題に近い「米のミニマムアクセスって何?」という話をしたい。

でもその前に、いろいろと前提となることがらについて説明しなくてはならないので、付き合ってほしい。まずはWTO協定の前提を確認する。

関税中心主義

WTO協定は貿易自由化を旨とし、輸出入の数量制限は一般的禁止されている(GATT2条、11条)。でも、通商保護手段としての関税は認められいる。

そもそも、貿易の自由化が推進されているのは(終戦直後の人に聞けば、「戦争を防ぐためだ」と答えるだろうけれど)、簡単に言ってしまえば「競争原理が働いて、消費者も社会全体もハッピーになれる」と信じられているからだ。

で、このような価値観のもとだと、関税は価格メカニズムに中立的であると言うことが出来る。

どういうことかというと、例えば20パーセントの関税がかかって120円になってしまう商品を輸出しようとしたとき、輸出先の国内同種産品も100円程度で販売されていたとする。これだと、当該製品は(質の話はおいておいて)価格において現地の製品に負けてしまうことになる。でも、企業が努力して輸出前の価格を83円にすれば、関税をかけられてもおよそ100円ということになり、競争が成立する。これは、企業努力によって関税が乗り越えられるということを意味している。

一方、数量制限をされると企業努力では対抗しきれない部分が多く、比較優位原則機能を阻害する。つまり、国際通商を歪曲する効果が高すぎるので、数量制限は一般的には禁止されているというわけ。

守られる国内産業

上記は企業ないし消費者の視点に立って貿易自由化のメリットを述べたわけだが、翻って、今度は政府の立場に立って考えてみよう。政府はなぜ関税をかけたいのだろうか?

貿易が自由になれば安くて良い輸入品が手に入るから、確かに消費者としては得をする。でも消費者は多くの場合、生産者でもあったりする。生産者の立場からしてみれば、安い製品を提供する海外の競争相手は脅威であり、自己の生活基盤を脅かすものとして映る。

日本の農業に関していえば、レタスとかならまだしも、中国産の安いシイタケとかフロリダ産オレンジには、やはりかなわないところがある。そこで農家の皆さんは「自衛」として政治力に訴えるという展開になる。前回ちらっと触れたけれど、農業というのは労働集約的であるため、政治力が強い。障壁を立てて自由な貿易を阻止すれば、自分の家業をやめないで済むのだから、それは激しく陳情もするでしょう。

というわけで関税の機能は、国内産業の保護にある。でも、その関税だって交渉により徐々に引き下げなくてはならないのだ(GATT28条の2)。

関税以外のハードル

ところで、関税以外にも実質的に通商障壁として機能するものがあるということは、なんとなく想像がつくと思う。このことを非関税障壁というのだが、WTO協定は基本的に非関税障壁を認めていない。

でも農業分野は非関税障壁のオンパレードである。ちょっと挙げたところで、農業従事者の所得保障、価格支持などの農業補助政策、各種補助金などなど。農家の政治力は強いという事情は概ねどの国も一緒であり、EUなどもだいたい同じような保護政策をとっている。そのような背景もあり、GATTは農業産物に甘かった。農水産物等の1次産品のための輸出補助は規制の対象外だったし、輸入制限についてもゆるゆるで残存数量制限やウェーバーがよく使われていた。

でもそれはウルグアイラウンド以前の話。

ウルグアイラウンドでは、農業協定(WTO協定付属書1の一部)が策定され、農業市場アクセスへの正常化が目指された。数量制限を含む輸入制限が禁止され(4条2項注)、関税が原則になり、旧GATTでのウェーバーを含めてあらゆる措置が禁じられることになった。

関税を決めるにあたっては関税化交渉というものが行われるのだが(詳細は割愛)、数量制限していた分を関税相当量に換算するという作業もある(急に輸入品と国産品のバランスや価格が変わったら経済的混乱を生んでしまうからね)。そこで計算上、関税化後の関税が数百パーセントになってしまう産品もあった。でも、そういう禁止的関税は否定され、農産物全体の単純平均で36パーセント、各品目15パーセントの関税削減をすることで合意された。要するに、関税が高すぎて輸入量が減少してしまうことを防止するということだ。

ミニマムアクセススティグマか?

長くなったが、ここでミニマムアクセスの話につながる。

関税化にあたって輸入量が減少してしまうことを防止するために、今まで輸入してきた分は確保ないし拡大するようにしようとなった。で、その輸入実績を国家が輸入すべき一定の数量(アクセス機会)として義務化する。ここまでは良い。でも、過去に輸入実績のない、今までほとんど輸入されてなかった産品については、どう扱えばいいの?

というわけで、輸入量が国内消費量の3パーセント以下であった品目については、ミニマムアクセス機会を確保する義務が加盟国に課せられることになった。ミニマムアクセスの数量は、実施初年(95年)は基準年の国内消費の3パーセント、実施期間満了の6年目(00年)までに国内消費の5パーセントに拡大していくことが定められた。

ただし日本のコメに関して言えば、当初は(日本政府の希望で)特例措置(付属書5第1項)が適用され、関税化を免除された。そのかわりに、関税化品目より重いミニマムアクセス義務が課せらることになった(95年は基準年の国内消費の4パーセント、以降00年までに6年かけて8パーセントへ拡大)。このミニマムアクセス拡大率がきつかったため、日本は99年の4月からコメの関税化に踏み切ったのである。

現在、初期のコメ非関税化の選択は失策であったと評価されている。94年が米豊作年であり、余剰米を大量に生んだからだ。しかも、余剰米を発展途上国にまわすこともできなかった。WTO違反になるとの懸念もあったからだし(輸入米を援助に使うのは日本市場へのアクセス排除となりうるし、備蓄米を価格補填して輸出すると輸出補助金にあたる)、関税化猶予条件である生産調整(減反政策)の失敗を世に晒すことになってしまうからだ。

しかも、コメの国内価格を支えるため、政府によって外国米は流通業者にマークアップ(上納金)を上乗せして再販売していたらしく、米国から「マークアップのせいで輸入価格の3倍になっている!輸入の阻害だ!」と激しく非難されていた(米国による主張なのでそこらへんはさっぴいて読んでください)。

よって、巷でよく言われているように、「米のミニマムアクセス貿易摩擦の緩衝を目的としている」という表現は確かに合っていると思う。しかし、それは日本に対する一方的なスティグマというわけではない。コメのミニマムアクセスの基本は(少なくとも建前上は)国際協定の履行であって、交渉や選択の余地があるなかで(追い込まれた面もあることは否定はしないけれど)、日本政府が選んだことなのである。

米に無理やり工業用途を求めていたのは、こういう背景があることも知っておいてほしい。

ざっくりとGATTとWTO協定の関係を説明する

現代の国際通商における法制度を語る上で外せないのが、WTO協定である。本稿ではWTO協定とは何かについて歴史的経緯から描写してみよう。

戦争と理想の失敗

高校などで世界史を学んだ人ならたぶん記憶の底にあるだろうが、世界恐慌のときに英連邦ブロックとかスムート・ホーレイ関税なんてものがあって、「苦しいときは身内だけで固めるだろJK!他所が困っても知ったことか!」とばかりに近隣窮乏化政策を打った。この政策の煽りを受けたのが植民地の少なかった日本であり、第二次世界大戦の遠因になったと一般的には言われている。

こういう反省をもとに、自由で安定した金融・貿易システムを作ろうという機運が高まった。主体となったのは、IMF・世銀(IBRO)・国際貿易機関(ITO)。これをブレトンウッズ体制という。

1948 年にはハバナ憲章を53カ国が署名した(ちなみに署名というのは、条項の確定のみしか意味しない。効力を発生させるには各国の「批准」が必要である)。 ITOを実施機関として、物の貿易だけでなく制限的商慣行や国際商品協定など、国際通商の全範囲にわたる原則を作ろうというとても野心的なものだった。

でも、ITOはちょっと理想主義すぎだった。そのため、米国ほか主要国がハバナ憲章批准を拒否してしまったのだ。

「その場しのぎ」が本流に

ITOが「流産」してしまったおかげで重要性を帯びたのがGATTである。当初GATTは、関税引き下げの実施規則として作られ発効したもので、要するに本来は「その場しのぎ」のものにすぎない。現にGATT29条には、ハバナ憲章への取り込みを予定した記述がある。

というわけで、GATTは予期せぬ長期化を強いられた。でも、結果的には成功だったのだ。幾度かのラウンド(多角的貿易自由化交渉の通称。とりあえずは、いろんな国が集まって交渉する場くらいの認識で良いと思う)を通して、先進国の鉱工業製品に関して言えば、自由な貿易の障害とならない程度には関税が引き下げられたし、紛争解決手続も少し整備されていった(GATT22〜23条)。

そして大きな分岐点となったのが、8回目にしてGATT最後のラウンドであるウルグアイラウンドである。

貿易自由化の拡大とシステムの整備

ウルグアイラウンドでは、今まで物だけが対象だったが、サービスや知的財産、投資なども対象となるなど新分野が導入された。さらに、通商制限が依然として多かった農産物や繊維製品にもメスが入れられた。農業というのは労働集約的であるため、農家の政治力は強いという事情はおおむねどの国も一緒である。そのため、各国はいろいろな障壁を立てて自由な貿易を阻止していた。これが数量制限については解消され、他の制限も段階的に自由化することで合意されたのである(農業協定に関する詳細はまた今度)。

こうした内容的成果もさることながら、機構的な成果もあった。そのひとつが国際機関としてのWTO の誕生である。国際機関としてのWTOの基礎を規定するのがWTO協定(世界貿易機関を設立するマラケシュ協定)であり、WTOの権限、組織、意思決定手続などが定められている(ちなみにWTO加盟国は、協定本体および付属書1〜3の義務を一括許諾しなくてはならず、「選り好み」はできない仕組みになっている)。

それでWTO協定の付属書1Aのなかには、GATT1994と呼ばれる規定があり、旧GATT(GATT1947という)の規定がほぼそのまま流用されている。法的には両者は別物(2項4条)で、旧GATTは95年に失効しているが、GATTWTOのなかに取り込まれたと言って良いだろう。

まあウルグアイラウンド以降は、発展途上国WTO不信などもあり、実体的にはほとんど進捗はないので(紛争解決の積み重ねはあるけれど)、歴史的経緯の説明はこれくらいにしておこう。

米国でGoogle Book Search訴訟が和解した件について、というかid:bookscannerさんはもっと評価されてしかるべき!

各種報道によれば、米国Google社と著作者団体Authors Guildおよび米国出版社協会(AAP)との間で争われていたGoogle Book Searchに関する訴訟について、Googleが1億2500万ドルを支払うほか、書籍検索サービス向上を協力することで和解合意に至ったそうです。


Googleの目的は、彼ら/彼女らが公言し続けている通り、「世界中の情報を体系化し、どこからでもアクセス可能なものにすること」であって、「これでまた一歩、野望に近づいた」という状態であることは自明でしょう。
でも、たくさんの本が電子化されて検索ができるようになるというときに、私たちにとって、便利、手軽、燃えない、かさばらない、意外な本に出会える、本が売れる、広告収入ウマー以外のどんなインパクトがあるのだろうか?


そこのところを考察してくれたのが、今は「西」の地に旅立ってしまわれたid:bookscannerさんだった。bookscannerさんは、本を電子化する目的を、保存目的、閲覧目的、「本が本を読む」目的に3分類し、その3番目の目的を中心に懇切丁寧に説明してくれた。


「本が本を読む」という目的の由来はGregory Crane氏の発言にある。

まぁ、まだまだ原始的な段階だろうけど、電子図書館ってのは、本が本を読んでいるんだよね。そんで、人間の脳なんてものとは関係なく、作業を進めているんだよ。

Digital libraries, where books read one another in however a rudimentary fashion, have already begun to separate intelligence and action from the human brain.

http://www.dlib.org/dlib/march06/crane/03crane.html

本が本を読む、というのは端的に言ってしまえば機械による可読化とコンテンツ相互の半自動的な関連付けを意味していると思う。だから、Googleは本をスキャンした画像を無料公開しても痛くも痒くもない。

「こちら側」で「しめしめ無料で本が読めるぞ」なんて考えている私を尻目に、というより、「お金持ってない私にも本にアクセスできるようにしてるんだから、フェアーユースだ!」なんて感じで私をダシに使って、Googleはどんどんスキャンを進める。でも、「あちら側」では、「本が本を読」んでいるんだから、本当のこと言えば、私は要らない。スキャン画像も要らない。だから、多額の費用をかけてスキャンした画像も、いとも簡単に公開しちゃう。画像はいわば、ニボシか鰹節みたいな存在。ダシとった後なら、ただで配っても、痛くも痒くもない。だって、うまみは、すでにGoogleサーバーの中だから。

http://d.hatena.ne.jp/bookscanner/20060814/1155584630

bookscannerさんはさらに、本の電子化界(?)における画像派対文字派の対立なんかも解説してくれたりした。これは言われてみればその通りなのだけれど、結構面白い話だと思う。

このような本の電子化に対するスタンスの違いは予算の使い方にも影響を与え、ひいてはスキャンできる本の冊数や質に差異をもたらすことになる。

証人喚問シリーズもおすすめ。Amazonの「1冊1ドル伝説」への検証とスキャンデータの使い方に関するイノベーションの話を面白可笑しくすすめてくれる。

今回の和解についてであれば、「Google揉め事を整理しましょ」シリーズを読むと良いでしょう。著作権の観点から「スキャン本」を、

  1. 著作権が切れてる「パブリックドメイン」本
  2. 出版社か、著作権持ってる人がちゃんと許可した本
  3. ちゃんと許可がとれてない本

と分類した上で、著作権法上の問題があるのは3のみであることを指摘し、オプトイン派とオプトアウト派の言い分をまとめたりしています。

そして、GoogleがFair Useを主張し、出版社側がそれにどう応えていたかをまとめたり、この騒動にYahoo!Microsoftの思惑が交差して…みたいな話が展開されています。


何が言いたいかというと、タイトル通り、bookscannerさんはもっと評価されてしかるべきで、この機会に読んでみると良いよってことです。うん、もう本当にそれだけ…。

「マックでホットコーヒーこぼしたら火傷したので訴えてみたよ」は本当に馬鹿馬鹿しい話なのか?

米国は訴訟社会だと言われる。そういう時はたいてい、マクドナルドのコーヒーをこぼして火傷したので2億円とか、タバコを吸っていたら肺癌になったとタバコ会社を訴えて20億円以上とか、どうも「わがままでおかしな言い分でも通る」という文脈で話されているような気がする。
でも、そう小馬鹿にできる話でもないんだぜ、というのが今回のテーマである。

功利主義の暗部

Ford Pinto 事件というものをご存知だろうか?
フォード社から発売されていたピントという車でハイウェイをドライブしていたら、キャブレター不調によるエンジントラブルが発生。停車を余儀なくされたところへ後続車が激突、火災になった。運転者は死亡して、同乗していた少年はひどい火傷を負って左耳や鼻などを失った。
被害者は民事訴訟を起こし、事故原因の究明を行った。そしてフォード社側の内部告発などを通じて明らかになったのは、以下のようなことであった。
ピントの発売前・製造過程で、ガソリン・タンク位置の安全性に問題があることが判明していた。そのままの設計では後部からの衝撃を受けると即炎上する危険性が高かったのである。技術者たちはフォード社の幹部に報告し、設計変更を求めた。
しかしその要求は受け入れられなかった。コスト・ベネフィット計算によれば、設計変更のためのコストよりも死傷者に損害賠償を払ったほうが安く済むからだ。フォードの幹部たちはピントの脆弱性を認識しながら、乗客の安全と製造コストとを比較した上で功利主義的判断を下したのである。

「懲らしめ」としての賠償金

さて、裁判はどうなったか。
上記の告発があった時点で、損害賠償(損害の補填をお金によって実現するもの。日本にもある)に加えて懲罰的損害賠償(「こらしめ」または「みせしめ」としての賠償。日本にはない)の請求も行われた。
そして損害賠償は250万ドル、懲罰的損害賠償は1億2500万ドル(のちに裁判官による賠償減額決定[remittiur]によって350万ドルになった)という評決が出た。運転者の遺族は56万ドルを手にした(額が大きいと州政府に納めないといけない場合もある)。
結局フォード社幹部のコスト・ベネフィット計算は、予想外に高額な損害賠償によって狂わされてしまったわけだが、逆に言えば、懲罰的損害賠償が功利主義の歯止めとなると言えるだろう。


最初の例で出したマックのコーヒーの例も、クレームと火傷事故が何件もあったのに何ら対策を打たなかったことが背景としてある。
タバコ訴訟の方も、タバコ会社が30年前から中毒性があることがわかっていたのに、中毒性がないと言い続け、さらに未成年者をターゲットにした広告戦略をとっていたことが評価に加えられている(長年原告敗訴だったが最近勝訴が相次いだのは、州の健康保険を圧迫してきたという政治的背景のためだと言われている)。

法の実現における私人の役割

米国では、法の実現における私人の役割が肯定的に評価されることが多い。社会全体の違法行為を少なくするものとして訴訟が歓迎されていて、(もちろん批判もあるけれど)多額の賠償金を貰っても社会のために行動してくれたのだから当然と受け止める傾向がある。私的法務総裁[Private Attorney General]といわれる土壌である。


翻って、日本はどうだろうか?
違法行為があれば公権力による救済を望む場合が多く、訴訟については謙抑的であるように感じられる。不祥事を起こした際の社会的バッシングは激しいが、見方によってはヒステリックで歯止めがきかない。しかし、懲罰的損害賠償がないから刑事罰と重複することはないし、加害者は賠償コストを価格に転化することもないので、消費者全体にとっては経済的プラスだ。私人の負う訴訟コストも低い。


要するに、日本と米国では気風または慣習ないし社会システムが異なっている。ここまで知れば米国の訴訟社会を安易に嘲笑うことはできないだろう。日本における法の実現について省みる契機になることを期待している。

ゼロアカリングをつくりました

はてなリングって止めるとか止めないとか言っていたけれど、まだあるんですよ。

ゼロアカリング

現在「ゼロアカ道場第四関門 藤田-井上ペア公式ブログ」、「筑波批評社」、「萌え理論Blog」、「形而上学女郎館」、「最終批評神話 / re=c」、「ポリリズム やずやとミツノのゼロアカ道場同人誌制作日誌」、「BL・やおい 文学研究所 (斎藤ミツ&文尾実洋) 【東浩紀のゼロアカ道場 第四関門 公式ブログ】」、「フランス乞食の道場破り」の8つのブログにご参加頂いています。ありがとうございます。

他のゼロアカ道場門下生および道場破りの方のブログにも招待メールをお送りしました(こちらのミスで招待漏れがあったらすみません)。未参加の方はぜひご検討ください。参戦する全ブログにご参加いただきました。リングロゴの設置もご検討頂ければ幸いです。設置方法やメリットは以下で概説しています。

はてなリングってなに?

ご存知ない方もいるようなので、リングの機能を簡単に紹介しておきます。ヘルプによれば

はてなリングはブログをつなげる新しいコミュニケーションツールです。友達のブログをつなげて、みんなの新着記事をまとめてチェックしたり、メンバーみんなで掲示板でコミュニケーションしたりすることができます

http://ring.hatena.ne.jp/help

だそうです。

ゼロアカリングでなにができるの?

  • リングアンテナで新着記事をチェック

ゼロアカ道場参戦者のブログの更新状況がチェックできます。ゼロアカリングのページを見れば、新着記事を効率的に読むことができるでしょう。ちなみに、(>)のようなアイコンをクリックするとべろりとします。

新着記事の中でも、はてなブックマークを3users以上集めた記事は、注目エントリーとしてピックアップされます。一目で宇野常寛力がわかるでしょう。

  • リング掲示板でコミュニケーション

掲示板も付いています。閲覧は一般公開設定にしていますが、ゼロアカリング参加者だけが書き込めます。まあこれはあまり使わないでも良いかも。

リングのロゴは、ブログに貼り付けられるようになっています。ロゴを貼ることで、他の参加者のブログにジャンプできる機能が付いています。

さっきから当然のように言ってるけど、ゼロアカってなに?

ゼロアカ道場とは、講談社BOXが主催し東浩紀が企画する、新人批評家育成・選考プログラムのことです。そのゼロアカ道場は、現在第4回関門を目前に控えています。
11月9日に開催される第7回文学フリマで、2人1組で制作した評論同人誌を販売することが課題となっており、今までの関門を勝ち抜いてきた「道場門下生」の他に「道場破り」と呼ばれる参加方法も認められています。
参加者の基本情報や、同人誌の目次などは「東浩紀のゼロアカ道場」第4回関門同人誌まとめ - noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったというエントリを参照してみてください。

なんでゼロアカリングを作ったの?

まず、私がゼロアカ道場関連ブログの更新状況をチェックしたかったということがあります。しかしそれだけの理由であれば、個人的にRSSなどに登録するだけだったでしょう。

上記でnoir_kさんのブログにリンクしたことからもお分かり頂ける通り、実はゼロアカ道場第4関門を全体的に俯瞰できるところが、公式には用意されていません。したがって、「横のつながり」が薄いというか、見通しが悪い状況であると感じていました。

売り上げ部数が評価にかかわる以上、各同人誌の宣伝ブログを使って盛り上げていくことも重要でしょうが、パイ全体を大きくしないと限界があります。そこでゼロアカに関心を持ちはじめた人や、ひとつの同人誌に興味を持った人に向けて、ゼロアカ自体の動向がわかるようにしてみました。

また、門下生の各組には主催者側から宣伝用にはてなダイアリーのブログがひとつ割り当てられており、道場破り組も個人ブログという形ではてなダイアリーを利用しています。せっかく皆さん何らかの形ではてなにいるのだから、輪なり相互リンクなりすれば良いのにと思い、部外者ではありますが、ゼロアカリングを作ってみました。

リングロゴを貼ってみませんか?

リングに参加しているゼロアカ道場関係者の方に提案です。ブログにリングのロゴを貼ってみませんか?
ロゴを設置し、クリックすると「prev」「random」「next」というメニューが表示されます。ゼロアカリングに参加している他のブログへジャンプするためのメニューです。短期的には利他行為かもしれませんが、ゼロアカ全体を盛り上げることになるのではないかと思います。情けは人のためならず。

というわけで、ロゴの貼り付け方は

  1. ゼロアカリングのトップページで「このリングのロゴを取得する」をクリック
  2. ロゴ貼り付けタグが表示されるので、コピーする(ロゴ貼り付ける対象が はてなダイアリーの場合は「はてな用リングモジュール」をコピーしてください)
  3. 自分のブログのテンプレートに貼り付ける (はてなダイアリーの場合は、管理 > デザイン > デザイン編集 > 詳細デザイン設定 を選ぶと、「ページのヘッダ」欄や「ページのフッタ」欄を編集できるので、そこに貼り付けてください)

という手順で完了です。


【追記】
私はゼロアカ参戦者ではないので、とりあえずはてなリングの機能を試してみたい人のための「はてなリングリング」に参加して、ロゴも貼ってみました。右側サイドバーのMIAUバナーの下です。「prev」「random」「next」というメニューやジャンプ機能を試してみてください。

バナーとしてお使いください

zeroaka banner

ゼロアカ参戦者以外で、ゼロアカ道場を応援したい人向けに提供します。
なお、筑波批評を応援する人向けには、つくバナー(よりどり6色)も用意してみました。


「第七回文学フリマ

筑波批評社は、2階のB-62。『筑波批評2008秋』は定価500円です。

初音ミク・ファンドの可能性

ニコニコ証券取引所の先行きに暗雲…と言うだけでは少し後ろ向きなので、少し別の方向も検討してみた。取引所を運用することと商品を作って取引所で取引することは次元が違うのだが、とりあえず商品を作ることの可能性について考えてみたいと思う。以下では、説明を簡略化するためにここではボーカロイドに対象を限定して話を進めることにする。


実は、知的財産関連の金融商品というのは、昨今ではもはや珍しいものではない。
例えば、2005年10月にはSMBCフレンド証券が商品投資販売業者として「北斗ファンド」を販売し、三井住友銀行が運用し、武論尊原哲夫の両先生の代理人を務めるノース・スターズ・ピクチャーズが指定委託業者として映画化やDVD化などのプロデュースを行っている。また、『蟲師』の実写映画では、信託ファンドとして2億6000万円の資金調達を行った。つまり、最近ではいわゆる「委員会形式」以外の方法での製作も結構行われているのである。あとはグラビアアイドルの育成をファンド化したアイドルファンドなんてものもある。

しかし、アニメやアイドルにうるさい読者諸氏においては、商品としてのアニメ・アイドルがハイリスク・ローリターンであることは明らかなのではないだろうか。私たちは幾人ものアイドルが花開くそのまえに引退したり妊娠して結婚したりするのを目にしているし、とても面白い漫画が日の目を見ないまま打ち切られたり雑誌自体が消えたりするのを度々目撃している*1

ここが難しいところであり、商品を運用する側としては、いかにリスクを低減化しリターンを大きくできるよう設計をするかを問われる部分である。または、一般投資家に金銭以外の見返りを用意するなどの工夫もできるだろう(投資家向け限定握手会とか、特別グッズの頒布とか)。


さて、金融商品というのは、基本的には元本を投資家が投資して、そこに年率で何パーセントかの利益が発生するというモデルが必要だ。つまり、ボーカロイドが存在するというだけでは何の商業的価値も発生しない。CDデビューをしたり、キャラクター関連商品の作成をしなければならないということになる。
あるいは、例えば次のボーカロイドをクリプトンが製作したいと考えたとして、でもクリプトンにはそれが可能なだけの資金が足りない場合などに、ボーカロイド投資信託の可能性がある。そのような場合、クリプトンで得た利益の還元スキームになる点に注意が必要である。もし作品個別で金融商品を作るとしたら、なかなかコストが割に合わないだろうし、リスクが高すぎる。これは前述の通りである。

というわけで、私が金融商品を作るとしたら、ボーカロイドごとのファンドにすると思われる。特別目的会社方式をとるか、有限責任事業組合方式*2をとるか、投資事業有限責任組合方式*3にするかなどは、課税リスクその他の要因から詳細な分析が必要なのでここでは割愛する。


重要なのは、ここまで読んでもらえればわかると思うのだが、ことボーカロイドのファンドを作るにあたっては証券取引所は必要ないということだ。証券取引所は、言ってみればインフラだ。取引所がなくても商品の取引はできる。
取引所は、一種のステータスシンボルであり関所のようなものだ。一定の条件をクリアしていないと上場ができないし、上場のための審査もあるし、状況を逐一報告しないといけないから、その企業や商品の透明性が高まり、投資家にとって優しい投資環境ができあがる(はず)で、その点にはメリットがある*4。あと、取引所があると流動性が圧倒的に高まる。つまり、売買したい人がたくさんいる。そのようなメリットがあるにせよ、必ず利用しなくてはならないものではない。
何が言いたいのかというと、 ITインフラとして(ランキングシステムではなく金融商品を本当に取引する)ニコニコ証券取引所をつくるというアイデアそのものは面白いし、実行不可能なものではないかもしれない。ただ、そうするためには取引に参加したいと思う人がたくさん出てくるような豊富な商品と、価格形成の透明性、取引形態の透明性といったものが必要になる。もちろん諸々の法規制をクリアすることも。
でも、それを乗り越えて証券取引所を作ったりする人たちがいれば、ニコニコ動画は動画投稿サイトを越えて、またひとつの新たな市場を形成できるようになるのである。

*1:実際、アニメ界では鉄板とも思える宮崎駿作品ですら『紅の豚』で(興行成績は良かったものの)、日本航空を泣かせたらしい。アイドルファンドでも、これはと思うアイドルを厳選しても、全員をメジャーにするのはかなり困難だということだ

*2:テレビアニメ版「DEATH NOTE」はこのスキーム

*3:オンラインゲーム「グランディア オンライン」で利用されたスキーム

*4:日本の場合は微妙かもしれないけど…

ニコニコ証券取引所の先行きに暗雲?

ニコニコ証券取引所というサービスが一部で話題になっている。
マニュアルを見る限りニコニコ証券取引所は、複数の動画をひとつにまとめた「銘柄」について視聴者からの投票で「傾向評価」するというもので、ニコニコ動画とは別の動画レイティング・システムのようだ。つまりインターフェイス証券取引所風になっているだけで、実際に証券などの金融商品を取り扱うわけではないらしい。

これはとても面白い試みだと思う。でも私は見た瞬間不安になった。景表法や金融商品取引法的に危ないんじゃないかと心配になったからだ。

そうしていたら、twitterでkouteikaさんから金融商品取引法86条2項に触れるのではないかとの情報提供を頂いた。はてブコメントでもid:bm_comさんが同様の指摘している。


金融商品取引法86条は以下のように規定している。

第八十六条(商号又は名称)
  金融商品取引所は、その名称又は商号のうちに取引所という文字を用いなければならない。
2 金融商品取引所でない者は、その名称又は商号のうちに金融商品取引所であると誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。

残念ながら、おそらくニコニコ証券取引所は「金融商品取引所であると誤認されるおそれのある文字を用い」たものだと判断されるのではないだろうか。そうであるとしたら、罰則もある点に注意が必要である。

第二百五条
次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役若しくは五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
(中略)
十六  第八十六条第二項の規定に違反した者

したがって、ニコニコ証券取引所の運営者には、6ヶ月以下の懲役か50万円以下の罰金、またはそれらの両方が科される可能性がある。

ニコ証の運営者は、おそらく視聴者を騙そうとかいう気はないのだと思うし、単純に金融商品取引風のランキングやレーティングシステムが面白いと思って開発したのだと思う。しかし、知的財産信託やシネマファンドがかなり一般的になってきている状況では、ニコニコ証券取引所は誤解や混乱を招いてしまうだろう。試みとしては面白いと思うので、名称変更やインターフェイスの改変を進言したい。仮に、お金の徴収なども企画しているようであれば、事業化と申請が必要だと申し添えておこう。

後半へ続く