「所有」をめぐる冒険
古今、社会形態や政治体制はさまざまな角度から検討され、論じられてきました。その際に指標となるのが「所有」という概念です。しかし「所有」そのもの、あるいは所有権がいかなる概念かということは、意外にもほとんど論じられることがありません。
経済学者のクーター=ユーレンは次のように述べています。「所有権法の伝統的法律学は、理論の欠如で悪名高い。少なくとも、契約法や不法行為法の理論と較べて所有権法の理論が貧弱であることは否めない」。
所有という概念がどのように成立したかは、人がどのようにして言語を獲得したのかというのと同じように、現在では把握しがたいことです。この問題に取り組んだ研究としては加藤雅信先生によるものがあげられます。
加藤先生は、モンゴル、ネパール、アンデス、アマゾン等における土地所有形態についてのフィールドワークを通じて得た知見を元に、文化人類学および経済学的な見地に立ちつつ、次のようなモデルを提示しました*1。
消費財、非生産財にかんしては、所有権の機能は物の使用権能の私的独占というところにある。それに対し、生産財にかんしては、所有権の機能は、物の使用権能の私的独占に加えて、その生産財に対する資本投下を保護し、投下資本にインセンティブを与えることによって、資本投下者個人を保護するとともに、社会全体の生産力の増強をはかることであった。
加藤先生は、遊牧・狩猟採集社会では土地に関する投下資本はゼロに近く、よって土地所有は観念されにくいこと、資本投下の度合いが希薄な粗放農業社会においては萌芽的な土地所有が認められること、そして多くの労働資本投下を必要とする定着農耕については、私的な土地所有の確立がみられることを指摘しています。
さらに、土地の生産性という観点から考察すると、次のようなことが言えるといいます*2。
土地の生産性の高い地域が農業社会となって、その社会内部に所有権の概念を内包し、土地の生産性の低い地域が遊牧社会、狩猟採集社会となり、その社会内部に土地所有権の概念を内包しなかったことがわかるであろう。
そして両者の中間領域としてコモンズがあります。私的労働投下がそれほどの成果をもたらすわけでもないけれど、一定程度の生産力はあり、過大利用が行われると生産力のサイクルが維持できなくなる状況が入会地となるのです。
以上の所有権モデルは、シンプルであるが故に広範な応用が可能です。例えば、このモデルで(日本における)ネットワーク中立性議論や、知的財産権保護意識の高まり等が説明できます。
具体的には、例えば、データベースの著作物は、著作権法で保護されているとはいえ、現在、情報の収集・検証に要する経済的投資それ自体を保護するものではありませんが*3、欧米ではデータベースを構成する情報の量的そして質的な部分の抽出または再利用を禁じる著作権以外の権利(sui generis right)を創設して対応しています。こうした法整備の背景として、所有権モデルが想起されます。
また「インターネットただ乗り論」が近時提唱され始めたのも、所有権モデルの範疇に納まるでしょう。
さて蛇足ながら私見では、生産性とともに希少性についての議論とも捉えるべきと思われます。希少性について加藤先生は、中東から北アフリカにかけてのイスラム圏では土地よりも水の方が人口支持力のボトムラインを決するので、水利権は観念されるが、土地所有権の観念は希薄であると指摘しています*4。希少性も基準にした方が、より普遍的な所有権モデルとなりうるのではないでしょうか*5。
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