セカンドライフよりも普通のネットの方が自由度高くない?

タイトルは釣り。本当は仮想空間についての話。お魚さんと話したことのまとめです。


仮想空間なんてものはなくて、私たちはずっとリアルワールドにいる、あるいはずっとバーチャルワールドにいる。なのに何故現実と仮想の二分をするのでしょうか。
多くの人にとってのコンピュータがあまりに日常から遠いから、コンピュータが日常的空間になってないから仮想空間と呼ぶのでしょうか。でも、エクセルを使っていても仮想空間だなんて言いませんよね。


きっと、それが有効だった時期があったのでしょう。ノーライフキングは、80年代末期バブルの時代の感覚を反映していますが、そのころの仮想空間は、あの8bitな機械のなかにありました。
技術を知っていれば外縁が見えるのですが、それが見えないので「なんだかよくわからないけどすごいことが起こりそう」という想像をかきたてることができた。そこに「空間」という何らかの広がりを感じていたのではないでしょうか。ブラックボックス化した魔術。仮想空間の外縁が妄想の外縁です。ブラックボックス化してなきゃ不思議を見出せません。


しかし、今の時代に仮想空間という場合は、winnyとかmixiとかSLとか、そういうものでかき立てられる人間関係の姿なのかもしれません。もちろん人間関係自体が仮想ですが、この場合、間にコンピュータを介している時に使われる修辞です。妄想の対象が魔術から人間関係へシフトした部分もありますが、そもそもコンピュータがメタフォリカルなものだからです。銅線に電圧かけてルータが拾ってまた別の銅線に電流流して…というのを文字や画像というメタファーに直してくれる仕組みが仮想なのでしょう。コンピュータがメタファーでインタフェースを整えてることと、ブラックボックスなことが仮想空間という発想になる。


本質はただのテキストファイルのコピーですが、姉は「メアドを間違えて入力しちゃったんだけど、そういう場合、私のメールは電線から落ちちゃうの?」「送信押してから、うわーだめーって言ってLAN切ったけど間に合わなかったのー」と真顔で言います。そういう姉の心の中には、きっと仮想空間がメキメキ育っています。