補償金の不平等性とマンション管理費

補償金の不平等性(俺のiPodにはミクとかCC音源しか入ってないぜ!みたいな人にも課金する)を肯定する著作権的な学説?として補償金≠マンションの管理費説がある。マンションの管理費ってエレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってるでしょ、みたいなロジック。

http://twitter.com/tsuda/statuses/805168795

なんて脆弱なロジック。だけどこれがただの議論ならマズイ比喩ということで「バーカ」のひとことで済むけど、法律の場合は一度法理論として認められちゃうとそれが事実となるからやっかい。

http://clip.buru.jp/post/33956200

マンションのエレベータ管理費の話を補足。「マンションの管理費ってエレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってる」のが肯定される根拠法は、建物の区分所有等に関する法律である。詳しい解釈は省くが、共用部分(エレベータ)については規約に特別な定めがない限り、持分に応じて共有部分の負担をすることになっている(同法19条)。要するに(すべての住民の持分が同じだと仮定すると)、エレベータを使わない1階の住人も、エレベータなしの生活が考えられないような9階の住人も均等に分担する。

これだとなんか1階とか2階の人は損をしているように思えないかな。エレベータなんて使わないのに、なぜ負担しなくちゃいけないのか?現に、ドイツでは1階から階が上がるごとに負担額が増える方式を採用しているらしい(すなわち1階の人から順に1:2:3:4:….という割合で負担する。正確には持分比率に階数を乗じた割合で計算。上のほうの階に商店が入ってる場合などは、その商店の客数も考慮に入れたりするらしいから「使用頻度」をかなり考慮していることになる。詳細は、古い本だけど、丸山英気著『区分所有法の理論と動態』を参照のこと)。

で、一見不公平にも見える均等分担を、どうして日本では原則として採用しているのか?道垣内正人先生は以下のように説明している。「すなわち、マンションという集合住宅の性質上、一階の人がその購入価格でそこに住むことができるのは、垂直的に多くの人が住んでいるからであり、仮に上の階がなければ、とてもその価格では購入できなかったはずである。そして、上に他の九世帯[引用者注:設問が1フロア1世帯の10階建ての話だった]が住んでもらうには、必然的にエレベータが必要であり、したがって、一階の人はたとえエレベータを利用しなくても、その利益を享受していることになるのであり、また、付加的な理由づけとして、屋上、外壁、エントランス部分といった他の共有部分の修理の場合のことを考えると、エレベータについて必要な度合いといった尺度を導入することが先例となるとすれば、たとえば、屋上から雨漏りをしても一〇階以外の人には影響がないからといって他の人はその修理費用を分担しないことをも認めることになってしまう。このようなことを避けるためにも、やはりエレベータについても均等負担の原則を貫くべきであると言えるのではあるまいか」(『自分で考えるちょっと違った法学入門』31ページ)。

こういう理由が説明されたら多くの人はそれなりに納得できるんじゃないかなと思う。

さて、話を補償金の不平等性に戻してみようか。私は恥ずかしながら補償金≒マンションの管理費説を知らなかったのだけれど(この「著作権的な学説」は誰がどこで提唱してるんですか?>津田さん)、補償金≒マンションの管理費説ってどういう根拠で成り立っているのだろう。

「エレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってる」のが正当化されるのは、マンションという共同の資産を維持していくためにエレベータの維持管理が必要だし、エレベータが維持管理されることによって1Fの人間も間接的に利益を享受していると言えたからだったね。

ではこの趣旨を敷衍してみよう。もし、補償金が支払われることによって流通する音楽のレベルや全体の価値が底上げされるという立場をとるのであれば、それによって「俺のiPodにはミクとかCC音源しか入ってないぜ!みたいな人」も、周りの洗練度に影響されて高いレベルの楽曲が得られるという間接的利益があるとも言えそうだ(当不当はとりあえず置いておいて、そういう見解もまあありうるよね、という意味で)(だから私はそんなに「マズイ比喩」ではないと思うし、「バーカ」と一蹴して済む問題でもない気がする)。ミクとかCC音源の作曲者や実演家に対して補償金が支払われるか否かの問題ではなくて、音楽業界や複製文化全般が維持管理されることによって間接的に利益を享受しているから補償金を支払うという構成だ。

もしそうだったら「音楽税でも良いじゃん」という意見と一緒なんじゃないかと私は思ってしまう。だって補償金制度って別に「音楽全体の価値を良くするための積み立て」じゃなくて、一応、私的使用目的でデジタル録音(録画)する人にいちいち補償金を請求するのは手間だから、円滑にするために指定管理業者に一括払いして後で権利者に分配しましょうね、ということになっていたはずだからである。別に前者が悪くて後者が良いって言っているわけではなくて、それって本来のシステム設計からは逸れてきているんじゃないかなという意味だ。現在でも著作権の振興・普及事業への支出が義務付けられているから(著作権法104条の8第1項)、補償金制度の公的側面は存在するわけだけど、補償金≒マンションの管理費説が上記のような考えをしているなら、公的性質を強調しないと筋が通らない気がする。補償金制度の私権的構成を抜本的に見直すことになっちゃうけど、それでも良いのかな?補償金≒マンションの管理費説を唱えている人はそういう意図を持っているのかな?


…ということを昨夜地震に怯えながらtumblrに書いていたら、結構reblogされたのでこちらに転載することにしてみたよ。うーん、なんだろうな。マンション管理費の話を解説したから関心を集めたのかな?そういうことだったら上記の『自分で考えるちょっと違った法学入門 第3版』はおすすめです。兄弟喧嘩にならないケーキの切り分け方が7種類くらい紹介されていたりして面白いです。


さて、私的録音録画小委員会でいつも頑張ってくれている津田さんは、なんだか絶望を深めているようです。

私的録音録画小委員会は結局何らかの結論を出さなきゃいけないっーことでiPodに課金する方向でまとまりそうな気配。ダウンロード違法化も規定路線で議論の余地なしって感じだね。いっそのこと今後の文化審議会は消費者側の人は一切排除して勝手に決めていけばいいんじゃないかな。呼んで意見聞く意味ないでしょ。

http://twitter.com/tsuda/statuses/806105841

急がば回れ」とも言います。私的録音録画補償金問題は、根本的で理念的な部分の議論を置き去りにして検討を進めているように見えるから、逆に議論が紛糾してしまっているような気もします。
主婦連の河村委員も仰っていましたが、消費者は単に微々たるお金を払うのを嫌がっているわけではないのです。どれだけ合理的な理由でお金を払っているのか明確にわかることが重要なのです。…まあ審議会ってパワーゲームかしゃんしゃんなんでしょとか言われたらそれまでなのですが。


あと、tumblrのはてブコメントでidiot817さんが

というより、iPod著作権管理楽曲を入れて使う人が大量にいるおかげで、iPodの大量生産が可能になり、著作権管理曲をいれない人もやすくiPodが買えるという利益を享受しているということじゃないの?

という指摘をしてくださいました。うーん。そういうのとはまた別の話だと私は思います。iPodにPC、著作権管理楽曲windows、非著作権管理曲にGNU/Linux等を代入してみてください。「PCにwindowsを入れて使う人が大量にいたおかげで、PCの大量生産が可能になり、windowsをいれない人もやすくPCが買えるという利益を享受している」から、PCユーザ全体から徴収したお金をmicrosoftにあげましょうねというシステムを作ることはなんだか不公平な感じがしませんか?最近はEEPCとかがあったりして状況が変わってきているのでちょっとわかりにくいかもしれません。その場合、PCじゃなくて他の商品…洗濯機と洗剤とかでも結構です。

「音楽業界や複製文化全般が維持管理されることによって間接的に利益を享受しているから補償金を支払うという構成」は、どちらかというとNHKの受信料に似ていると思います。NHKを見ない人でもテレビ受像機を設置したら受信料を払うことになっていますよね。使用頻度などは関係なく。それは、NHKが民放にはできない放送事業を営むことで(例:国会中継政見放送)、政治について情報を得たり「知る権利」が充足されたり日本国民としての一体感とかが醸成されるので、それで政治や社会が良くなるのであれば、NHKを見ない人にも間接的な利益を享受しているということが出来るのだという説があります。
私は補償金≒マンションの管理費説というのはそうした側面を強調しているのではないかと推察しました。大量生産の話は市場の話だと思いますが、補償金≒マンションの管理費説は公共性のお話をしているのではないかと思うのです。