青少年ネット規制法について予見したかのような新司法試験問題の答案例を公開する

個人的には「なぜ今更?」と思うが(試験自体は5月であった。当時の感想はtumblrを見てね)、つい先ごろ平成20年新司法試験公法系第1問が話題になっていたようである*1
というわけで、とりあえず設問1だけであるが、私が作成した答案例を公開してみる。
問題文自体は公開されているが、架空の法律である「フィルタリング・ソフト法」の条文、法の委任により有害情報を定義する内閣府令、内閣府広報資料「フィルタリング法に関するQ&A」などが資料として含まれているので少し長い。お時間のない方は、辰巳法律研究所新司法試験・論文式試験の分析から概要をうかがい知ると良いでしょう。

なお、これはあくまでも答案例である。どの程度妥当かはわからないし、保証もできない。現役の新司法試験受験生の方が何人か答案を再現しているので、そちらも参照していただきたい*2。そして添削してくれるという方がいたら歓迎します。

答案

一  弁護人としての意見*3

1  本件被告人Aは平和問題と死刑存廃問題に関係するウェブサイト(以下「本件サイト」という。)を管理運営していたが、フィルタリング・ソフト法施行後に本件サイト全体が有害ウェブサイトとして指定され、すべての子どもと適合ソフト削除手続きを行わない18歳以上の者が閲覧できなくなったことに対応するため、適合ソフトが搭載されていても本件サイトを閲覧できるようにするプログラムを開発し、インターネットを通じて提供したとして起訴された。
しかしながら本法自体が憲法違反につき無効であるため、被告人は無罪である。
以下、その理由と趣旨について詳述する。


2  被告人のプログラム提供行為と表現の自由について
(1) 本法は、「有害情報から子どもを保護」し、また「有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益」を守るため(フィルタリング・ソフト法1条、資料3のQ1参照)、インターネット接続機器の製造・販売者にフィルタリング・ソフトの搭載を義務付け(同8条)、内閣総理大臣が検査し認定した適合ソフトを削除または使用目的に沿うべき動作をさせないプログラムを提供してはならないとされている(同16条)。
被告人は、上記の通り本法16条1項2号に反して他人に適合ソフトを無効化するようなプログラムを提供した。この行為と後述する表現の自由や子どもの権利などがどのように関わってくるのか、憲法上の問題点に触れる必要性と適格について、まず述べたい。
(2) 本法によって、新たに製造・販売されるインターネット接続電子機器にフィルタリング・ソフトの搭載が事業者を通じて間接的に義務付けられており(同8条)、既存の適合ソフトが搭載されていないインターネット接続電子機器を有する者はフィルタリング・ソフトの搭載を求めることができる(同10条)。フィルタリング機能を望まない18歳以上の者は、販売業者に所定の手続きに従って削除請求しなくてはならない(同9条)ということになっている。
したがって、18歳未満の子どもやフィルタリング機能を望む18歳以上の者、フィルタリング機能を望む18歳以上の者だが手続きを行っていない者に対して被告人の表現を届ける手段がないことになる。つまり適合ソフトを無効化するようなプログラムを提供しないことには、実質的に表現の禁止になっている。被告人が提供したプログラム自体は表現とは言えないが、しかし表現へのアクセスを確保する実質的な手段として必要であったのであり、ここに被告人のプログラム提供行為と表現の自由について深い関連性があり、憲法上の主張を行うものである。
(3) また、後述する内容には子どもの権利に関する言及もある。憲法上の問題点について論じる際は、付随的審査制という性質を鑑みて第三者による権利主張は認められないのが通常であり、被告人にはこれら子どもの権利に関して主張する適格があるのか否かが問題となる。
しかし違憲状態におかれている個人の権利を救済するという保障機能を重視し、また、表現の自由という人権の重要性と援用によって子どもに不利益を与えるおそれはないことを鑑み、例外的に主張を認めるべきであると考える。


3  検閲について
(1)  では、違憲と主張する趣旨について述べる。フィルタリング・ソフト法および内閣府令等は、特定の情報をフィルタリング・ソフトという技術的手段を用いて閲覧できないようにしており、検閲にあたる可能性がある。憲法は21条2項で「検閲」を禁じているが、その意義が条文上明らかでなく問題となる。
(2) 歴史的沿革や経験則から鑑みると、行政権が表現の自由を侵害する場合が多い。このような侵害を防止すべく、検閲の主体は行政権とすべきである。
また検閲の対象についてだが、税関検査事件(最大判昭59・12・12)において判例は「思想内容等の表現物を対象」としているものの、事実や認識と思想の区別は困難であることから、表現行為一般とすべきと考える。
そして検閲の時期について同判例は、「発表前にその内容を審査」するものとしているが、表現行為は表現を受けとる行為と密接不可分な関係にあるから、受領前とすべきである。戦前の出版規制が、発表自体を自由としていたものの出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査して、発売頒布時に取り締るという運用をされていたことを考えても、発表後に表現内容を審査した上で発売や頒布を禁止することこそが「検閲」にあたるというべきである。
(3) 以上の定義について本件を見るに、まず本件サイト内にあるウェブページの大半が有害ウェブページとして指定され(フィルタリング・ソフト法2条1項2号)、さらに本件サイト自体も内閣総理大臣によって有害ウェブサイトに指定されている(同4号)。指定にあたっては学識経験者から成るフィルタリング審議会への諮問が義務付けられているが(同13条2項2号)、当該審議会は内閣府内に設置されている(同1項)ことを考えれば、なお行政権が規制主体であると言える。
次に、本件サイト内にある有害情報として認められたのは戦場における死傷者の無残な画像や公開処刑の画像等であったと考えられる。しかし被告人は、年齢に関わらず全てのひとが真実を知った上で平和問題や死刑存廃問題について考える必要があるとの信念のもとに当該情報を配信しており、不快感を与える情報だけでなく、問題提起を含む被告人の思想内容等の表現物も掲載していたものと考えられる。このことは、フィルタリングによって遮断される以前に本件サイトに寄せられた意見の多くが、平和や死刑問題について熟考を喚起された旨を示していることからも裏付けられるだろう。したがって、検閲の対象たる表現行為一般としても、さらに「思想内容等の表現物」としても認められるものと考える。
また、本件サイトはフィルタリング・ソフト法施行以前から公開されていたが、発表後に表現内容を審査した上で発売や頒布を禁止することが検閲であるとするならば、検閲であるといえる。
以上より、本件は検閲にあたる。
(4) なお、検閲の禁止の程度も条文上必ずしも明らかではないが、憲法は、事前抑制禁止法理を導きうる21条1項とは別途にあえて21条2項を規定している。このことから21条2項の趣旨を考えると、国民の知る権利と機会を全面的に奪うという検閲の性質上、表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであり、禁止の必要性が特に高いことから、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めないものだというべきである。したがって、検閲は絶対的に禁止される。
よって、本件は検閲に該当し違憲である。


4  表現の自由に対する侵害について
(1) 仮に検閲にあたらないとしても、表現の自由について侵害が成立しているものと考える。本法では、発表は確保されているものの表現の受領を妨げており送り手の権利を侵害している。また、受け手の知る権利も侵害している。よって、表現の自由憲法21条1項)に反し、法律全体が違憲無効となる。
(2) もちろん表現の自由も絶対無制約ではなく、内在的制約原理たる公共の福祉による制約を受ける。では、公共の福祉による最小限度の制約か否かはどのように判断するべきか。
精神的自由への侵害は、経済的自由への侵害と異なり人格形成発展に直接関わる重大な権利であるし、民主政の過程で回復が不可能である。精神的自由に関する審査は裁判所の能力でも問題にならないから、経済的自由に対する規制立法よりも厳しい基準によって合憲性を判断すべきである。
さらに表現の内容に着目した規制であるならば、当該規制の恣意的運用により表現の自由が脅かされる危険性が高い。よって、目的の正当性と、目的と手段の合理的関連性を厳格に審査するべきである。
(3)ア このことを踏まえて本件をみるに、本法の目的は前述の通り、子どもを有害情報から保護することと有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益を保護することの2点がある。
第一点目として子どもに対する保護について考えると、確かに青少年の健全育成という法益自体は尊重されてしかるべきであるし、憲法も成年制度を採用している(15条3項)のであるから、子どもを保護する必要性は認められる。だが、18歳未満の子どもも日本国民である以上、人権享有主体であることは明らかであって不当な権利制限は許されない。
そして子どもの健全な育成という観点から言えば、猥褻表現や暴力表現などを見せることは好ましくないが、発達段階に応じてそれら有害情報との接し方について学んでいく必要がある。また、子どもにとって何が有害で何がそうでないかどうかは家庭や地域などによって異なっているものと考えられ、そうした事情に応じてきめ細やかな対処をしていくべきである。
また、有害情報を閲覧したからといって直ちに犯罪や非行、暴力行為や性風俗の乱れなどに繋がるわけではないことは経験上明らかであるし、各種社会学的調査などにおいても、有害情報の閲覧が青少年の健全な育成へどのような影響を及ぼすかについてコンセンサスが取れていない状況であって、社会科学的根拠という意味では不十分であって、検討を有する問題である。
したがって、本法は国家による過度の介入であると言える。
イ 第二点目として18歳以上の者に対する保護について考えると、有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益は保護に値するものの、18歳以上の者であれば自らの判断によってフィルタリング・ソフトを導入し、情報を取捨選択することが可能であって、これもまた国家による過度の介入であると言える。
よって両目的とも、国家が介入し保護すべき問題ということはできず、立法目的は正当化できない。
ウ 以上より目的に正当性がないことは明らかであるが、目的と手段の合理的関連性についても念のため考察する。
既に述べたように、子どもと言えど不当な権利制限は許されないから、年齢面での発達段階、制約される自由の重要性および制約の課される文脈等を考慮して判断すべきである。本法は、子どもによる情報の取捨選択権を一定程度奪い知る権利を侵しているのにも関わらず、年齢を問わず一律に規制をしているようであり、発達段階への配慮が見られない。仮に適合ソフトにおいて何らかの年齢別オプションが選択できるようになっており、実質的には発達段階への考慮が見られたとしても、法令に書き込まれていないのであれば、明確性を欠いており不当であると言える。
また、18歳以上の者に対してはフィルタリング・ソフトの搭載を義務化するより先に、フィルタリング・ソフトについて普及・啓蒙活動をすることができたはずである。資料3によれば、統計上「フィルタリング・ソフトについて認識が極めて低いことが確認」されているのだから、まずはキャンペーンによる認知向上や各種補助金助成金等を用いて普及促進を図るべきであって、フィルタリング・ソフトの搭載義務化は拙速である。
削除したい旨の申出がない限り削除できないことも手段として過大であって、削除禁止および適合ソフトを無効化するソフトの配布禁止は行き過ぎである。なぜならフィルタリングを望まない大人が適合ソフトを削除する手間と、フィルタリングを望む大人が適合ソフトを使い続ける手間との差が大きく、両者の実質的平等を考えるのであれば、望まない大人が手軽にアン・インストールを行うような方法を確保するべきだからである。おそらく適合ソフトは子どもがフィルタリング機能を簡単にオフにすることができないような設計になっているはずであり、そうであるならば、適合ソフトを望まない者がソフト自体を削除できることが望ましいであろう。
有害ウェブページを多く含んでいるサイトを有害ウェブサイトとして指定し(同2条1項4号)、有害情報を含まないページまで閲覧できなくさせるという構成にも問題がある。前述の趣旨に鑑みれば、規制は必要最低限でなければならないのだから、有害ウェブサイトと指定されたウェブページのうち有害情報を含まないページに対しては不必要な規制であると言うほかない。もちろん、ウェブページは更新し増設することが可能なのであるから、有害ウェブサイトとして包括的に指定することの必要性はある程度認められる。だが、表現の自由の重要性や萎縮効果のことを考えると事前抑制禁止の法理が妥当し、各有害情報・有害ウェブページを個別的に指定していくことのみが許容されうる。
なお、有害ウェブページや有害ウェブサイトは、10人以内の審議会委員の調査と内閣総理大臣の指定によって規制対象となる。この指定方法も少数者による恣意的運用を招くおそれがあり、また、有害情報指定理由の通知規定が無いなど手続き的にも整備されておらず、合理的とは言いがたい。
以上より、目的と手段の合理的関連性についても認められず、本法は違憲である。

5  罪刑法定主義と罰則の委任について
(1) フィルタリング・ソフト法2条1項2号は有害情報について定義しているが、「インターネット上で流通している情報で、子どもに対し、著しく性的感情を刺激し、著しく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして…子どもの健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの」というに留め、また、その定義内に内閣府令の基準に該当することを要件のひとつとして挙げている。
憲法31条は、罪刑法定主義を定めているが、当該定義規定は、31条に反しないのだろうか。
(2) 仮に、罰則の制定を政令に無制限に委任できるとすると、国家による不当な罰則権行使を防止し国民の権利を守るという31条の趣旨を没却することになると思われる。
よって、犯罪構成要件については立法目的と概括的構成要件は法律で定めなくてはならないし、また、刑を定めるについてはその原則が法律で定められなければならない。そして、罰則の制定を委任する場合、行政権の裁量が広範に失するものは違憲となるべきである。
(3) 本件の場合、立法目的については本法1条により明らかであるものの、犯罪構成要件たる有害情報の定義要件の一部に内閣府令の基準に該当することが含まれており、概括的構成要件すべてが法律によって定められているとはいえない。また、本法内の定義規定が抽象的である点を鑑みると、行政権の裁量が広範であるといえる。
したがって、フィルタリング・ソフト法2条1項2号は憲法31条に違反する。
(4) しかし、詳細な基準については内閣府令に委任するという形式をとっているとみることもでき、それによって上述したような違憲のおそれを回避しうるかもしれない。だがそのような場合でも、憲法31条の要求する刑罰法規の明確性の問題が残る。
どの程度の明確性が31条によって要請されているかは、条文上必ずしも明らかでない。しかし、法律の恣意的適用による人権侵害の危険性や禁止行為が漠然であるがゆえに生ずる萎縮効果への懸念を趣旨として求めるのであれば、人権侵害や萎縮効果の生ずる恐れのある一般国民の理解を判断基準として、適用範囲が明確か否かを考えるべきである。したがって、通常の判断能力を有する一般人が不明確と感じるならば、違憲である。
(5) 本法は前述のように有害情報について定義しているが、最終的に何が有害情報にあたるかは、通常の判断能力を有する一般人と一口に言っても、当該人のもつ倫理観などによってばらつきが生じるおそれがある。よって、本法の規定だけでは不明確であり、違憲のおそれがある。


6  以上によれば本法は違憲であり、被告人は無罪とすべきである。


7  ここまでは文面審査による法令違憲の可能性について述べてきたが、適用違憲の可能性も予備的に主張する。
本法は子どもの健全育成を考える上で有害と思しき情報を規制するが、資料2の内閣府令1条1項2号ロからニを読むに、有害情報のなかでも「著しく残虐性を助長」する情報について規制しているとみられる。しかし、同号ロまたはハに該当するからと言ってすぐさま違法とすべきではないだろう。例えば、医学書は肉体的精神的苦痛について表現する場合もあるだろうが、正当行為として違法性が阻却されると考えられる。
本件においても既に述べた通り、フィルタリングによって遮断される以前に本件サイトに寄せられた意見の多くが、平和や死刑問題について熟考を喚起された旨を示している。そして、不快にさせるおそれのある情報の閲覧前には警告文が提示されており、不意打ち的に閲覧してしまうことがないように配慮されている。このことから、子どもなどに悪影響を与える差し迫った危険性はないと言うべきである。
したがって、本件起訴処分は法適用を誤った判断であり、被告人を無罪にすべきであると主張する。

(設問の2へ続く)

*1:タイムラグが司法試験界隈のマイナーさを表しているようで面白い

*2:私が見つけた範囲では http://blogs.yahoo.co.jp/unyieldingspirit2007/23509108.html や http://yaruze08.seesaa.net/article/98035364.html#more 、あと2ちゃんねる再現スレなどが参考になると思う

*3:本来であれば、このあとに設問2で問われている検察官の主張と自身の見解を書かなくてはいけないが、今回は設問の1だけ公開し、残りは後日公開する