「マックでホットコーヒーこぼしたら火傷したので訴えてみたよ」は本当に馬鹿馬鹿しい話なのか?

米国は訴訟社会だと言われる。そういう時はたいてい、マクドナルドのコーヒーをこぼして火傷したので2億円とか、タバコを吸っていたら肺癌になったとタバコ会社を訴えて20億円以上とか、どうも「わがままでおかしな言い分でも通る」という文脈で話されているような気がする。
でも、そう小馬鹿にできる話でもないんだぜ、というのが今回のテーマである。

功利主義の暗部

Ford Pinto 事件というものをご存知だろうか?
フォード社から発売されていたピントという車でハイウェイをドライブしていたら、キャブレター不調によるエンジントラブルが発生。停車を余儀なくされたところへ後続車が激突、火災になった。運転者は死亡して、同乗していた少年はひどい火傷を負って左耳や鼻などを失った。
被害者は民事訴訟を起こし、事故原因の究明を行った。そしてフォード社側の内部告発などを通じて明らかになったのは、以下のようなことであった。
ピントの発売前・製造過程で、ガソリン・タンク位置の安全性に問題があることが判明していた。そのままの設計では後部からの衝撃を受けると即炎上する危険性が高かったのである。技術者たちはフォード社の幹部に報告し、設計変更を求めた。
しかしその要求は受け入れられなかった。コスト・ベネフィット計算によれば、設計変更のためのコストよりも死傷者に損害賠償を払ったほうが安く済むからだ。フォードの幹部たちはピントの脆弱性を認識しながら、乗客の安全と製造コストとを比較した上で功利主義的判断を下したのである。

「懲らしめ」としての賠償金

さて、裁判はどうなったか。
上記の告発があった時点で、損害賠償(損害の補填をお金によって実現するもの。日本にもある)に加えて懲罰的損害賠償(「こらしめ」または「みせしめ」としての賠償。日本にはない)の請求も行われた。
そして損害賠償は250万ドル、懲罰的損害賠償は1億2500万ドル(のちに裁判官による賠償減額決定[remittiur]によって350万ドルになった)という評決が出た。運転者の遺族は56万ドルを手にした(額が大きいと州政府に納めないといけない場合もある)。
結局フォード社幹部のコスト・ベネフィット計算は、予想外に高額な損害賠償によって狂わされてしまったわけだが、逆に言えば、懲罰的損害賠償が功利主義の歯止めとなると言えるだろう。


最初の例で出したマックのコーヒーの例も、クレームと火傷事故が何件もあったのに何ら対策を打たなかったことが背景としてある。
タバコ訴訟の方も、タバコ会社が30年前から中毒性があることがわかっていたのに、中毒性がないと言い続け、さらに未成年者をターゲットにした広告戦略をとっていたことが評価に加えられている(長年原告敗訴だったが最近勝訴が相次いだのは、州の健康保険を圧迫してきたという政治的背景のためだと言われている)。

法の実現における私人の役割

米国では、法の実現における私人の役割が肯定的に評価されることが多い。社会全体の違法行為を少なくするものとして訴訟が歓迎されていて、(もちろん批判もあるけれど)多額の賠償金を貰っても社会のために行動してくれたのだから当然と受け止める傾向がある。私的法務総裁[Private Attorney General]といわれる土壌である。


翻って、日本はどうだろうか?
違法行為があれば公権力による救済を望む場合が多く、訴訟については謙抑的であるように感じられる。不祥事を起こした際の社会的バッシングは激しいが、見方によってはヒステリックで歯止めがきかない。しかし、懲罰的損害賠償がないから刑事罰と重複することはないし、加害者は賠償コストを価格に転化することもないので、消費者全体にとっては経済的プラスだ。私人の負う訴訟コストも低い。


要するに、日本と米国では気風または慣習ないし社会システムが異なっている。ここまで知れば米国の訴訟社会を安易に嘲笑うことはできないだろう。日本における法の実現について省みる契機になることを期待している。