ミニマムアクセスとは何か?

前回は、WTO協定がGATTを引き継いで生まれたという歴史的経緯を概説した。今回は時事問題に近い「米のミニマムアクセスって何?」という話をしたい。

でもその前に、いろいろと前提となることがらについて説明しなくてはならないので、付き合ってほしい。まずはWTO協定の前提を確認する。

関税中心主義

WTO協定は貿易自由化を旨とし、輸出入の数量制限は一般的禁止されている(GATT2条、11条)。でも、通商保護手段としての関税は認められいる。

そもそも、貿易の自由化が推進されているのは(終戦直後の人に聞けば、「戦争を防ぐためだ」と答えるだろうけれど)、簡単に言ってしまえば「競争原理が働いて、消費者も社会全体もハッピーになれる」と信じられているからだ。

で、このような価値観のもとだと、関税は価格メカニズムに中立的であると言うことが出来る。

どういうことかというと、例えば20パーセントの関税がかかって120円になってしまう商品を輸出しようとしたとき、輸出先の国内同種産品も100円程度で販売されていたとする。これだと、当該製品は(質の話はおいておいて)価格において現地の製品に負けてしまうことになる。でも、企業が努力して輸出前の価格を83円にすれば、関税をかけられてもおよそ100円ということになり、競争が成立する。これは、企業努力によって関税が乗り越えられるということを意味している。

一方、数量制限をされると企業努力では対抗しきれない部分が多く、比較優位原則機能を阻害する。つまり、国際通商を歪曲する効果が高すぎるので、数量制限は一般的には禁止されているというわけ。

守られる国内産業

上記は企業ないし消費者の視点に立って貿易自由化のメリットを述べたわけだが、翻って、今度は政府の立場に立って考えてみよう。政府はなぜ関税をかけたいのだろうか?

貿易が自由になれば安くて良い輸入品が手に入るから、確かに消費者としては得をする。でも消費者は多くの場合、生産者でもあったりする。生産者の立場からしてみれば、安い製品を提供する海外の競争相手は脅威であり、自己の生活基盤を脅かすものとして映る。

日本の農業に関していえば、レタスとかならまだしも、中国産の安いシイタケとかフロリダ産オレンジには、やはりかなわないところがある。そこで農家の皆さんは「自衛」として政治力に訴えるという展開になる。前回ちらっと触れたけれど、農業というのは労働集約的であるため、政治力が強い。障壁を立てて自由な貿易を阻止すれば、自分の家業をやめないで済むのだから、それは激しく陳情もするでしょう。

というわけで関税の機能は、国内産業の保護にある。でも、その関税だって交渉により徐々に引き下げなくてはならないのだ(GATT28条の2)。

関税以外のハードル

ところで、関税以外にも実質的に通商障壁として機能するものがあるということは、なんとなく想像がつくと思う。このことを非関税障壁というのだが、WTO協定は基本的に非関税障壁を認めていない。

でも農業分野は非関税障壁のオンパレードである。ちょっと挙げたところで、農業従事者の所得保障、価格支持などの農業補助政策、各種補助金などなど。農家の政治力は強いという事情は概ねどの国も一緒であり、EUなどもだいたい同じような保護政策をとっている。そのような背景もあり、GATTは農業産物に甘かった。農水産物等の1次産品のための輸出補助は規制の対象外だったし、輸入制限についてもゆるゆるで残存数量制限やウェーバーがよく使われていた。

でもそれはウルグアイラウンド以前の話。

ウルグアイラウンドでは、農業協定(WTO協定付属書1の一部)が策定され、農業市場アクセスへの正常化が目指された。数量制限を含む輸入制限が禁止され(4条2項注)、関税が原則になり、旧GATTでのウェーバーを含めてあらゆる措置が禁じられることになった。

関税を決めるにあたっては関税化交渉というものが行われるのだが(詳細は割愛)、数量制限していた分を関税相当量に換算するという作業もある(急に輸入品と国産品のバランスや価格が変わったら経済的混乱を生んでしまうからね)。そこで計算上、関税化後の関税が数百パーセントになってしまう産品もあった。でも、そういう禁止的関税は否定され、農産物全体の単純平均で36パーセント、各品目15パーセントの関税削減をすることで合意された。要するに、関税が高すぎて輸入量が減少してしまうことを防止するということだ。

ミニマムアクセススティグマか?

長くなったが、ここでミニマムアクセスの話につながる。

関税化にあたって輸入量が減少してしまうことを防止するために、今まで輸入してきた分は確保ないし拡大するようにしようとなった。で、その輸入実績を国家が輸入すべき一定の数量(アクセス機会)として義務化する。ここまでは良い。でも、過去に輸入実績のない、今までほとんど輸入されてなかった産品については、どう扱えばいいの?

というわけで、輸入量が国内消費量の3パーセント以下であった品目については、ミニマムアクセス機会を確保する義務が加盟国に課せられることになった。ミニマムアクセスの数量は、実施初年(95年)は基準年の国内消費の3パーセント、実施期間満了の6年目(00年)までに国内消費の5パーセントに拡大していくことが定められた。

ただし日本のコメに関して言えば、当初は(日本政府の希望で)特例措置(付属書5第1項)が適用され、関税化を免除された。そのかわりに、関税化品目より重いミニマムアクセス義務が課せらることになった(95年は基準年の国内消費の4パーセント、以降00年までに6年かけて8パーセントへ拡大)。このミニマムアクセス拡大率がきつかったため、日本は99年の4月からコメの関税化に踏み切ったのである。

現在、初期のコメ非関税化の選択は失策であったと評価されている。94年が米豊作年であり、余剰米を大量に生んだからだ。しかも、余剰米を発展途上国にまわすこともできなかった。WTO違反になるとの懸念もあったからだし(輸入米を援助に使うのは日本市場へのアクセス排除となりうるし、備蓄米を価格補填して輸出すると輸出補助金にあたる)、関税化猶予条件である生産調整(減反政策)の失敗を世に晒すことになってしまうからだ。

しかも、コメの国内価格を支えるため、政府によって外国米は流通業者にマークアップ(上納金)を上乗せして再販売していたらしく、米国から「マークアップのせいで輸入価格の3倍になっている!輸入の阻害だ!」と激しく非難されていた(米国による主張なのでそこらへんはさっぴいて読んでください)。

よって、巷でよく言われているように、「米のミニマムアクセス貿易摩擦の緩衝を目的としている」という表現は確かに合っていると思う。しかし、それは日本に対する一方的なスティグマというわけではない。コメのミニマムアクセスの基本は(少なくとも建前上は)国際協定の履行であって、交渉や選択の余地があるなかで(追い込まれた面もあることは否定はしないけれど)、日本政府が選んだことなのである。

米に無理やり工業用途を求めていたのは、こういう背景があることも知っておいてほしい。