インターネットユーザーの感覚が反映されない政策の歴史

盗聴法(1999年)

東浩紀氏は通信傍受法、通称「盗聴法」が可決された1999年に、「通信傍受法と想像力の問題」において、この法案をめぐる議論の方が抱えていた一種の機能不全について、次のように指摘している。

私がそこで問題としたのは、ひとことで言えば、この法案が、一方でデジタル通信の傍受を想定しているにもかかわらず、他方でその技術的な条件(デジタル通信を傍受する状況)についてあまりに無配慮なことであり、しかもその矛盾が、技術に対する想像力の貧しさに支えられているということだった。

東氏は、通信傍受法の12条にある「立会人」と「切断権」をめぐる議論に、その無配慮さを見出している。
12条は傍受捜査に必ず第三者が立ち会う旨定めた規定であるが、その第三者が「傍受すべき通信」を同時に聴き、必要な場合には傍受の中止をする権利、すなわち切断権を与えるかどうかが、国会で大きな争点となった。
察しの良い方はおわかりだと思うが、この議論で暗黙のうちに前提とされているのは、アナログ通信、要するに電話である。

デジタル通信はそもそも送信側と受信側の時間的一致を必要としない。したがってその傍受もまた、時間的一致を前提とすることはできない。例えば電子メールを発信とともに読むのは不可能だし、携帯電話の通話もまたデジタル化されているため、リアルタイムで聴くためにはそれぞれ異なった復号化装置が必要とされる。それゆえデジタル通信の傍受は実際には、ヘッドホンのイメージで想像されるようなリアルタイムの作業(盗聴)ではなく、デジタル化・暗号化された通信データをとりあえず傍受して保存し、内容の理解と分析はあとから行うという時間的に遅れた作業(データベース化と解析)になることが多いと予測される。

つまり「切断権」のような概念は、多くの場合実質的な意味を失う結果になる。これは、技術に対する想像力の貧しさの産物だったと言える。
このような問題について、もちろん、ネットユーザーなら気がついていた。技術に対する想像力をめぐらす必要もなく、感覚として悟っていたのである。実際、当時インターネット上や専門誌などではこうした問題意識が共有され、批判が繰り返されていたようである。
マスコミや野党も法案の審議がはじまってから、技術的関心を持つにいたった。その結果として、ネットの活動家であった小倉利丸氏が参議院の法務委員会に招かれた。

しかし、その8日後には法案は可決された。
遅すぎたのである。
ネットユーザーと非ネットユーザーの乖離は、大きくひらいたままだった。

輸入権のときもまた、社会的関心が集まりはじめたのが遅かったのかもしれない。しかし、盗聴法のときよりも、事態はずっとましだったと言える。

レコード輸入権(2004年)

2003年末に、著作権分科会のパブリックコメントが募集された。
レコード輸入権」と、雑誌・書籍の貸与権付与(適用除外規定廃止)が主たる内容だった。パブリックコメントに前後して新聞記事でも「レコード輸入権」のことは何度か採りあげられていたが、邦楽のみを対象とするかのような論調だった。同じころ、池田信夫氏のREITIで書かれたコラムで問題提起がなされた。そのため、一部のネットユーザーは危機感を持ったようだ。パブリックコメントレコード輸入権反対の方向で検討し提出したネットユーザーも少なからずいた。そしてパブコメ締切後、輸入権が話題に上ることは無かった。
しかし、2004年1月、文化庁パブコメ結果を賛否の数のみ報告。著作権分科会で報告書が原案のまま承認された。詳しくは後述するが、この賛否の数のみ報告するという手法が問題視されることになる。
さて、一部のユーザーの関心は寄せられていたが、法案は2004年に参院を通過。この頃、小倉弁護士が法案の内容から洋楽CDも止め得ることを指摘したり、id:copyright氏が雑誌・書籍に貸与権を付与することに問題があることを指摘したり、謎工氏が議員への働きかけを始めるなど、一部のブロガーによる動きが始まる。
法案が衆議院へ移ったところで、民主党・川内議員からの質問主意書が提出。洋楽CDの輸入をも止められ得る旨の政府答弁を引き出す。ここでネットユーザーが発火点に達し、活動に広がりが生じた。ブログで情報を交換しながら、署名運動、メディアや議員へのメール発信等の動きを活発に行なう。高橋健太郎氏らが輸入権シンポジウムを開催。以後 反対運動の核となっていく*1

しかし、国会対策が運動の最優先課題としたものの、「輸入権」創設を阻止できなかった。この経験を踏まえて、審議会レベルからの監視を要するとの認識がネットユーザーの間で共有された。しかし、ネットユーザーの団体が設立されるには至らなかった。一部のネットユーザーが著作権行政を注視していたが、本業の忙しさで更新を断念するケースが相次ぎ、当時からは面子がかなり入れ替わってきているようだ。

さて、パブリックコメントについてである。
先述した通り、輸入権問題に際して公開されたのは、賛否の数のみであるから、当然パブコメの内容は報告書に反映されていない。パブコメの内容が明らかにされた後になって明らかになったことだが、反対意見を賛成意見として分類されたユーザーもいたようである。また、組織票と思しき意見が多く見られた事情もある。同じ文面で名前を変えて送られていたようだ(それでも送信者の名前は違う場合には別にカウント)*2
こうした運用には批判が集まり、またのちのちに不信感を残す結果となった。MIAUパブコメ推進運動やパブコメジェネレータ作成が「煽動している」との批判がありつつも、一定の賛意を得られたのはこうした事情があったためだと考えられる*3
なお、「レコード輸入権」反対運動のさなかに募集された知的財産推進計画 2004の見直しについてパブコメが募集され、(知財推進計画についてのものは毎年行なわれている)、著作権法改正要求事項パブコメ (2004年)、 iPodパブコメ(2005年)、ダウンロード違法化・補償金パブコメ (2007年) とプレーヤーが入れ替わりながらも提出運動がそのたびに地味だが着実に実行されていた。

現在

では、逆になぜ今になってユーザー団体設立の機運が高まったのだろうか?
それは、2006年から 2007年にかけて開かれている私的録音録画小委員会の運営に、危機感を持ったためと考えられる。
行政を注視していたネットユーザーの多くは、iPod 税を(一時的にではあるが)阻止できたこと、また自分たちと比較的考えの近い津田大介氏が委員として選ばれたことを“一定の成果”として捉えていた。
つまり、この2つ事由を持って、一時期、ユーザーの気が緩んでしまったとも言える。しかし、「消費者」代表の意識とネットユーザーの感覚とは乖離しており、ネットユーザーの意見を代弁し得るのが津田氏しかいなかったのである。ユーザー側・メーカー側委員の意見をほとんど汲み入れない形で資料をまとめていった事務局側の強行姿勢、そして2007年度第3回会合での事務局の独断とも思える「叩き台」。この二点でユーザーは不信感を募らせた。結論ありきの議事進行の中で、ネットユーザーの考えが反映されていない、と感じ取ったのである。
危機感の高まりとともに、ロールモデルとしてのthinkCの出現も指摘できる。著作権保護期間延長問題を考えるThinkCは、毎月審議会直前にフォーラムを開催していたこともあって、行政なき場所での第二の審議会、あるいは前哨戦として機能している。ThinkC自体は、中立的な議論の場を目指すものだったが、実質的に保護期間延長に傾いていたところを、ひっくり返し、かなり慎重な検討を促す結果となった。このような、いわば「場外乱闘」が許され、しかも政策決定に影響を与えられるということが明らかになった。そのため、ユーザー団体というものの発足の可能性に現実味を感じるようになり、ネットユーザーがサポート体制を作る心の準備が出来たのではなかろうか。

こうしてダウンロード違法化という切羽詰った状況からMIAUは発足した。批判を受けつつもパブリックコメント推進運動を展開し、私的録音録画小委員会にインターネットユーザーの声を送ろうとしたのである。
結果として本件中間まとめに対するパブリックコメントは、7500通中、6000通がダウンロード違法化反対の意見を提示していたという。うち、4200通がテンプレートを利用したものだったとはいえ、逆にいえば、非テンプレの違法化反対が1800通で、残りのパブリックコメント(1500通)より多かった。
しかし、相当多数が反対を表明しているにもかかわらず、パブリックコメントにおいて少数にあたる意見を多数意見への具体的な配慮措置なくして、小委員会はダウンロード違法化を採用したのである。MIAUは「私的録音録画小委員会の第15回会合に関する緊急メッセージ」を発表し、以下のように述べた。

報道によれば、文化庁としてはダウンロード違法化についてはネットからの意見も踏まえ不利益にならないように制度設計するとし、具体的措置として、法改正がなされた場合の周知徹底や適法サイトを示すマークの普及を挙げているようです。

しかし、これらの大半はパブリックコメントの「中間整理」の段階で既に提示されていたものです。当団体は「中間整理」の内容を精査した上で、「中間整理」における制度設計自体について弊害が大きすぎること、弊害防止策や適用範囲に明確でない部分があまりに多すぎること、既存の制度活用の検討が不十分であることから、新制度の導入自体に問題があることを指摘して反対意見を表明しております(その他の反対意見についても「中間整理」についての検討の上、反対意見を表明しているものと思います)。

反対意見が多数を占める中で、これらの反対意見に対して具体的に配慮がなされたという点を現状の報道内容から見出すことができない点にMIAUとしては疑問を感じざるを得ません。

また、合法サイトに関する基準やその策定プロセスについても、現時点においてユーザーに対する配慮が具体的に見られた形跡をMIAUは確認しておりません。このような状態では、私的録音録画小委員会の第15回会合における文化庁の発言内容はパブリックコメントにおいて示された多数意思を十分反映したものとは言えず、かかる内容をMIAUとして承服することは到底できないものと考えます。

従いまして、MIAUとしましては私的録音録画小委員会の意見に囚われることなく、「違法サイトのダウンロード違法化」に反対の働きかけをインターネットユーザーの皆様及び関係諸団体に対して引続き積極的に推進していく所存です。

私的録音録画小委員会の意見決定は、あくまで文化庁としての意見表明に過ぎません。 MIAUは、最後までインターネットユーザーの適正な自由と利益の確保のために全力を尽くします。

http://miau.jp/1198033200.phtml


以上、ネットユーザーの感覚が政治に反映されてなかった歴史とともに、アクターとしてのインターネットユーザーが認識され動き出した状況を概観した。ダウンロード違法化反対運動は今後、立法府に舞台を移すことになるだろう。これからの展開がどうなっていくのかは、ネットユーザーである皆さんの協力にかかっていると思う。

*1:このあたりからは津田さんの『だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)』を参照のこと

*2:http://blog.livedoor.jp/dubbrock/archives/737904.htmlなどを参照してください

*3:ダウンロード違法化は、コンセンサスを取る場も時間もなかったためということもある