「リアル入門」の脚注

保護利用小委法制問題小委知財制度専門調査会などパブコメの締切が迫っているのですが、まだ資料を読み込めてない今日この頃*1
でも、文学フリマも迫っているので『筑波批評2008秋』に寄稿した「リアル入門」の脚注部分を公開しておきたいと思います。以下の脚注は、本来であれば紙上に掲載すべきものだったのですが、紙幅の関係上割愛したものです*2。本文を入手していない方には、内容を推測するヒントになるかも。


MIAU
Movements for Internet Active Usersの略称。まいうではなくみゃうと読む。日本語の団体名称は「インターネット先進ユーザーの会」。2007年10月に任意団体として、津田大介小寺信良白田秀彰ら11人によって設立。 2008年6月25日付で法人格を取得し、無限責任中間法人となる。技術発展や利用者の利便性に関わる分野における意見の表明、政策提言、知識の普及などの活動を行うことを目的としており、利用者がより創造的に活動でき、技術自身が発展できるような環境、そして既存のシステムを守るための制度が技術の発展を制限しない環境作りを目指す。2007年は「ダウンロード違法化」問題や、コピーワンス及びダビング10著作権保護期間延長問題等を主として扱っていたが、2008年からはインターネット上の言論・表現の自由に関わる問題へ活動範囲を拡大。日本ユニセフ協会が主催する「なくそう! 子どもポルノキャンペーン」の活動趣旨に対して公開質問状を提出したり、「青少年ネット規制法」への反対声明をWIDEプロジェクトなどの団体・個人と共同で公表した。その際「規制より先に教育」と提言したことから、インターネット・リテラシーに関する教科書作成などの活動も現在行っている。 http://miau.jp/
身代わり山羊
後述する「羊狩り」からすれば、山羊より羊とした方が整合性が取れるかもしれないが、ここではスケープゴートを想起してもらいたいために使っている。
ブルース・シュナイアー
Bruce Schneierは、暗号とコンピュータ・セキュリティの専門家。アルファブロガーと呼ばれると嫌がるyomoyomo氏に言わせると、セキュリティ分野の伝説的人物である。近著『セキュリティはなぜやぶられたのか(原題 Beyond Fear: Thinking Sensibly About Security in an Uncertain World)』においては、コンピュータやインターネットに留まらず、社会全般におけるセキュリティに言及している。おそらく911後の混乱と過剰を念頭において執筆されたであろう前掲書は3部構成になっており、第一部(Sensible Security)ではセキュリティがトレード・オフであることを解いている。すなわち何を失いたくないのか、どんなリスクなら許せるか、どのようなコストをかけて対策するか、対策をトレード・オフのバランスとして評価することなどについて書かれている(と思う)。第二部(How Security Works)および第三部(The Game of Security)は各論と実践応用編である。本書は例が多く、基本的には同じテーゼが繰り返されているとも言えるが、それだけセキュリティというものが個別具体的で安易なものではないということだろう。なお、シュナイアーの定義する「リスク」は少々独特なので注意が必要である。 http://www.schneier.com/blog/
「セキュリティ芝居」
security theaterは、Beyond Fearにおける用語。少し引用すると、"It's important to understand security theater for what it is, but not to minimize its value. Security theater scares off stupid attackers and those who just don't want to take the risk. And while organizations can use it as a cheaper alternative to real security, it can also provide substantial non-security benefits to players."(P.39)要するに、対策をしたという安心感を提供するための見世物としてのセキュリティ対策で、実際にセキュリティを向上させるようなことをほとんど何もしていないことを指している。手段が目的化しているため、逆に何らかの脆弱性を孕むことが多い。例えば、こんにゃくゼリーをめぐる言説と対応などを想起してもらいたい。
「狼を狩れないから羊を狩ろうというのは間違っている」
詳細は以前のエントリを参照のこと。 http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20080123/1201076062
ダウンロード違法化問題
違法複製物または違法配信からの録音録画の取り扱いを著作権法著作権法第30条の範囲外とする改正の通称。2008年10月に文化審議会著作権分科会の私的録音録画小委員会において当該方針が改めて確認された。所管官庁である文化庁は報告書案をまとめるが、それを受ける形で通例では、次期通常国会著作権法改正案が提出される。私的録音録画小委員会委員でもある津田大介氏のVIP降臨まとめである「ダウンロード違法化がほぼ決まったけど何か質問ある?」も参照のこと。 http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1548.html
ニコニコ動画でも話題になっていた
「【再生60万で】 ダウンロード違法化 絶対阻止 【 ハルヒ虎 】」のことを指す。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2312113
反対運動
2007年秋、MIAUはダウンロード違法化問題に反対を表明。自ら文化庁に意見提出を行う他、パブリックコメント提出促進運動を展開。パブリックコメントの提出方法指導を行い、テンプレート素材集を公開し、さらに発起人の一人がパブコメジェネレータを提供。結果として、パブリックコメントが約7500件寄せられ、そのうち6000通がダウンロード違法化反対の意見だったという結果を示す。この総数について文化庁著作物流通推進室長は「これまでにないほど多」いと述べている。この手法に対しては賛否両方の意見が寄せられ、後にNHKクローズアップ現代『コピペ〜「ネットの知」とどう向き合うか〜』でも取り上げられるなど波紋を呼ぶ。しかし、4200通がテンプレートを利用したものだったとはいえ、逆にいえば非テンプレートの反対意見が1800通で賛成のパブリックコメント(1500通)より多かったとも言える。また、ジェネレータの開発は出力される文章やソースコードも含めて公開され、開発や編集が可能とされており、手続きの透明性と参入機会は確保されていた。さらに付言すれば、2004年のレコード輸入権問題に際して文化庁から公開されたのが賛否の数のみであり(反対意見を賛成意見として分類された者もいたようである)、レコード輸入権導入賛成派に組織票と思しきものが多く見られた事情もあり、全く同じ文書でも別としてカウントされていた。こうした文化庁の運用に当時批判が集まり、不信感を残す結果となった。MIAUパブコメ推進運動やパブコメジェネレータ作成が「煽動している」との批判がありつつも、一定の賛意を得られたのはこうした事情があったためだと考えられる。
ダウンロード違法化とは別の例
財団法人日本ユニセフ協会による「なくそう!こどもポルノ」キャンペーンのうち、準児童ポルノ禁止の提言に対して、MIAUは、子どもを性的虐待から守り性的商業的搾取被害を防止するという目的に反対するものではないととしつつ、公開質問状を送付した。照会事項は準児童ポルノに関して、表現の自由に対する規制と子どもの性的商業的搾取被害防止について考察するための基礎情報を収集し、提案されている施策について統計学社会心理学法律学等社会科学的見地からインターネットユーザーに議論の基礎資料を提供しようとするものであったとされる。
カリフォルニア・イデオロギー
60年代から70年代にかけて主としてアメリカ西海岸の若年者層・技術者層によって共有されていたと言われる技術至上主義にして自由主義。しばしばcyber libertarianismとも同視される。当時は情報技術を大いに評価する楽天的傾向が見られ、来るべき情報化社会がユートピアであると本気で信じられており国家の介入や規制を毛嫌いしていたが、このような状況を皮肉交じりに指した言葉。東浩紀による「情報自由論」第5回では、ハッカーの倫理と文化の一部として紹介されている。 http://www.hajou.org/infoliberalism/5.html
政策や法律によって敷かれる場合は、国として時間と空間における一貫性が求められる
ised@glocom設計研第2回「オープンソースの構造と力」の共同討議第1部における楠正憲の指摘を受けている。楠は「ソフトウェアは非競合的で、制度設計は競合的」であるとした上で、「ソフトウェアは本質的に多様性を実現しやすいけれども、法の世界では社会全体を時間的にも空間的にも一貫性を貫くことが重要になる」と述べた。そして多様性と取替可能性、プロセスの正統性などの点について比較し、「ソフトウェア設計と制度設計のあいだには大きなギャップがあり、前者の議論をそのまま後者に敷衍できるかというと非常に難しい」としている。 http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/ised/04050212
規律訓練型権力
ミッシェル・フーコーが指摘した「規律訓練」を通じた規範の内面化による権力モデル。ここでは、後述する環境管理型権力と対比的に使われている。isedのキーワードも参照のこと。 http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/keyword/%E8%A6%8F%E5%BE%8B%E8%A8%93%E7%B7%B4
環境管理型権力
ローレンス・レッシグの4規制力モデルにおける「アーキテクチャ」を参照しつつ、東浩紀が再構成した概念。規範の内面化を必要としない、システムによる管理を指向する権力のことを指す。宮台信司は同様の状況をGood Feel Societyとしてまとめている。Good Feel Society またはテクノロジーのスマート化とは、端的に言えばディズニーランド的なソーシャル・デザインで、インフラを地下に埋め込むように負荷を不可視化することを指す。つまり意識せざるシステムを利用することによって脱スイッチ化、シームレス化し(システム側から見ると人々をインテリジェント化することによって)、人々が快適さを求めるベクトルと人々を社会的に振舞わせるベクトルを一致させることができるというもの。宮台はさらに、善意と自発性優位からマニュアル優位へ、 匿名性から記名性へ、人格的信頼(履歴に対する参照)からシステム信頼へ、入れ替え不可能性から入れ替え可能性へ、低流動性から高流動性へ移行し、むき出しの暴力が見えない社会となるだろうと述べている。社会統制ではなく人々が自己決定的に振舞った結果として制御するというモデルは、言葉こそ違うものの、東の言う「環境管理型」または「動物管理」に近い。なお、isedのキーワードも参照のこと。 http://ised-glocom.g.hatena.ne.jp/keyword/%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%9E%8B%E6%A8%A9%E5%8A%9B
グーグル・ストリートビューをめぐる対立
グーグル・ストリートビューは、Googleが提供するサービスであり、同社が運営する地図「Googleマップ」上に地上から見た道路の風景写真を表示する機能のこと。便利で革新的なサービスであると評価されることもあるが、肖像権、プライバシー、セキュリティといった点で懸念事項が多く指摘されてきた。 MIAUはこの件について「Google ストリートビュー"問題"を考える」と題するシンポジウムを開催した。 http://miau.jp/1219397839.phtml
その限界について少し過去を振り返ってみよう
詳細は以前のエントリを参照のこと。 http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20071220/1198091203
「通信傍受法と想像力の問題」
東浩紀が著した論考。『世界』第668号(1999年)初出。『郵便的不安たち# (朝日文庫)』(PP184〜196)に掲載。
ソルジェニーツィンの限界あるいはホールデンに対する草薙素子の苛立ち
東浩紀が「ソルジェニーツィン試論」において「ソルジェニーツィンはそのような『政治的』文脈を考えていない。彼は、つねに根源的に語っている。しかし、自分の発言が根源的に読まれないということに対して、彼は鈍感である。というより、根源的に読まれないなどとは、考えてもいないと言ったほうがいい」と指摘したことを念頭に置いている…と書いていて思ったのだけど、ソルジェニーツィンの「失望」の方が暗喩として適切だったかも。草薙素子は『攻殻機動隊』に登場する架空の人物であり、ここで言う「苛立ち」とは、アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』における「社会や現状に不満があるなら自分を変えろ。それが出来ないなら目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤んで孤独に生きろ。それも出来ないなら…」という草薙素子の台詞のことを指す。ホールデンは、J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公の名前。前掲書では "I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes. That way I wouldn't have to have any goddam stupid useless conversations with anybody. If anybody wanted to tell me something, they'd have to write it on a piece of paper and shove it over to me. They'd get bored as hell doing that after a while, and then I'd be through with having conversations for the rest of my life. Everybody'd think I was just a poor deaf-mute bastard and they'd leave me alone." と言う部分がある。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』は『ライ麦畑でつかまえて』からの引用を各所にちりばめており(例:I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes...or should I? )、上述の台詞もその一端である。しかし、原書にはない「...or should I?」がアニメには付け加えられているのは、社会に対して自分がコミットするか否かという逡巡だろう。余談だが、サリンジャー自身は後年本当に隠遁して引きこもってしまったらしいことを彼の娘のエッセイで知ったのだが、妻であり母だったであろう女性が聾唖者だったかは定かでない。
「『ニコニコ現実』のプロトタイプとしての『ニコニコ大会議2008』」という記事
濱野智史の個人ウェブサイト@hatenaにおける当該記事の「むしろここで考えておきたいのは、「ネットなんて早くなくなってしまえ」といくら言い放ったところで、それは決してなくなることはないだろう、ということです(もちろん津田さんも、そのことは承知でおっしゃられていると思うので、これはあくまで修辞的なツッコミです)。むしろ、「「それがネットの面白さだから」で済ませられ」てしまうからこそ、ますますそのようなコミュニケーションシステムは人々に欲望され、いつまでも生き残ってしまう。もちろん、それこそ何らかの法的・政治的権力の介入を通じて、そのシステムの息の根がたたれることはあるかもしれませんが、一度植えつけられてしまった人々の欲望まで完全に抹消することはできない。だから僕には、いいか悪いかの判断は別として、もうそれは避けることができないと思っています」という部分を指している。 http://d.hatena.ne.jp/shamano/20080706/1215340247
青少年ネット規制
素案に関する詳細は以前のエントリを参照のこと。ただし、成立した法律は素案とは別のものである点に注意。 http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20080404/1207266695
違法情報
ローレンス・レッシグ
アーキテクチャ
コンスタティブ
パフォーマティブ
誤配

(以上、順次加筆予定)

*1:締切間近の知的財産・著作権まわりのパブリックコメントについては、http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42184/42673348のまとめを参照のこと

*2:本文だけで上限の字数を超えていた。筑波批評社座談会の字数制限を苦しくした一因は私にあります。ごめんなさい