『筑波批評2008秋』に寄稿しました

筑波批評社の同人誌『筑波批評』の最新号で拙稿「リアル入門――ネットと現実の臨界」が掲載されます。最新号では、シノハラさん(id:sakstyle)と塚田さん(id:Muichkine)の論考はもちろんのこと、筑波批評社全体の座談会もあります。また、私以外にも筑波批評社外の人が寄稿したりインタビューされりしています。


筑波批評2008秋号は、東浩紀のゼロアカ道場の評価対象でもあります。つまり、11月9日に開催される第7回文学フリマで、2人1組で制作した評論同人誌を販売することが課されており、今までの関門を勝ち抜いてきた「道場門下生」の他に「道場破り」と呼ばれる参加方法も認められているのですが、筑波批評社の二人は、後者の「道場破り」にあたるというわけです。


さて、少しだけ自分語りを許してもらえれば、依頼主であるsakstyleさんを知ったのはあるシンポジウムのエントリを介してでした。その後しばらくはsakstyleさんのことを失念していましたが(失礼)、学問バトンをもらった縁で2007年秋に筑波大学の学園祭へ出向き、「筑波クラスタ」としか言いようのない不思議なコミュニティとの交流を持つようになりました。

sakstyleとMuichkineを含む筑波の愉快な仲間たちのほとんどは私と同い年(85年生まれ)であり、年上の人たちと接することがどういうわけか多い私にとって「タチコマみたい」とも言われている同属集団は正直羨ましい存在で、原稿依頼があったときはちょっと嬉しく思いました。


ところで、当初提示されたテーマは掲載原稿とは違っていて、tumblr無断転載問題や、ニコニコモンズなどについて書いてほしいという依頼でした。
しかし、私はそこで疑問に思いました。道場破りの二人が扱うテーマは、フィクション論、物語構造論、キャラ同一性論であることが発表されていたので、著作権などの問題との整合性や関連性がどうも見えてこなかったのです。

そこのところを聞いてみると、今回の『筑波批評』では東浩紀ならびにゼロアカの問い直しをしたいのだ、という返事をもらいました。彼らは、ギャルゲ・ラノベ・同人評論・オタク文化論・ロスジェネ論といった特定領域に終始している現状を懐疑し、かつて東浩紀が萌芽的に描写していた広範な論題について、再発見し再定義したいという野心に満ちた展望を有していたのです。


この返事を見て、私は筑波批評をがっつり応援しようと決めました。「批評」と「現状」に対して批判的スタンスをとるという初歩的でまっとうにして難しい立場を取ろうとしているからです。

ゼロアカが無視してきたもの。
ゼロアカが育て損ねてきたもの。
ゼロアカが見過ごしてきたもの。
この『筑波批評』で取り上げられている数々の言説は、ゼロアカという空間がその周辺においやってきたものである。
我々はそれらに光を当て、一人の巨人の力によって歪められた言説空間を、より多様で広いものにしなければならない。
ゼロ年代のアカデミズムを、批評によって本来の姿へ戻す。
それが、我々が今この時代に言葉を紡ぎ批評することの意味であり、価値であるのだ。


筑波批評』扉ページより引用

出来上がった『筑波批評』は一読する限り、荒削りで未完成で不十分で一貫性がないように感じられるかもしれません。しかし全体として見ると、今まで何が語られてきて何が語られてこなかったのかが、一部ではあるでしょうが、浮き彫りになると思います。そしてそのような逆照射を狙って執筆してみました。

郵便論が、波状言論が、isedが、あるいは情報自由論が持っていた「もうひとつの可能性」を筑波批評のなかに見出してもらえれば幸いです。この試みがうまくいっているかどうかを確かめてみてください。



「第七回文学フリマ


筑波批評社は、2階のB-62。『筑波批評2008秋』は定価500円です。