規制の政治過程類型

昨日予告したけれど、この前学科の授業でとても面白いことを学んだ。James Q. Wilsonによる規制*1の政治過程類型だ。とりあえず下表を参照してみて!

コスト分散コスト集中
便益分散多数政治企業家政治
便宜集中顧客政治利益集団政治
まず便宜も分散コストも分散の「多数政治」だと、規制者サイドからも被規制者サイドからも圧力は生じない。*2だから誰かが問題提起して世論を創出しないと、規制はそのままか、規制がないまま。つまり現状維持ってことになる。 次に便宜集中でコストは分散の「顧客政治」。これはGeorge StrglerやSam Peltzmanの議論、およびWilliam A. Niskanenが提唱してた寡占政治があてはまるらしい。*3初めて知ったけど。これだと規制が生じたり、規制が厳しくなる方向に進む。 なんでかっていうと、企業・政治家・官僚による「鉄の三角形」が形成されると考えられるから。*4経済学は個人の欲望に焦点をあてる学問だから、それぞれの欲望を考えてみる。まずは企業から。ここで言う企業は既成の、政治的プレッシャーをかけられるくらいの規模のやつを想定してる。で、企業は利益追求のアクターだから競争が少ない方がいいわけ。競争を少なくする手の一部が参入規制とか価格規制、免許制とかの規制になる。このへんがStrglerの「需要側の理論」だ。それで企業が規制を望んでると、政治家もそれを望むようになる。彼らは再選するのが一番の欲望だから。献金をたっくさんしてくれる企業のご機嫌は麗しいにこしたことないわけだね。最後に官僚。官僚は何を望んでるのかって言うと、それは出世だ。これは彼らの苛烈な競争意識って理由もあるけど、出世して権限を握らないと自分の思うような政策をうてないからだ。公共に資したいって願望が強いほど出世しないといけなくなる。まるで室井さんみたいだけど。で、彼らの権力闘争の一環として、政治家に覚えがめでたいとよろしいってなるわけ。以上がPeltzmanの「供給側の理論」になる。*5 それから便宜分散、コスト集中の「企業家政治」だと、今度は被規制者サイドから圧力がかかるから、規制緩和が進むことになる。 このとき大切になってくるのは、Wilsonによれば、説得力とかアイデアからしい。新しい価値観を提唱して、みんなに指示してもらうことが大切になってくるからだ。逆に言えば、世論を動かすような行動をとらなきゃ規制緩和は起きないってこと。 最後に便宜もコストも集中する「利益集団政治」だと、規制者サイドと被規制者サイドどっちも圧力がかかるから、ガチンコ勝負になる。ヤマト運輸郵政公社のコンビニ抗争を思い出してもらいたい。 ここまでWilsonによる規制の政治過程について述べたわけだけど、4つあるってことが確かなら、ネット上の知財は現在どの類型になるんだろうか? それに「世論を動かすような行動をとらなきゃ規制緩和は起きない」みたいなことを言った。小泉さんが郵政民営化を争点にして、選挙で自民党議席をたくさん取ったところだから当然みたいな気がするけれど、実は二重の疑問を内包してる。まずひとつめは「小泉さんって完璧規制者サイドなのにどうして規制緩和を叫べるの?(さっきの類型にあてはめるとどうなるの?)」そしてふたつめが「選挙ってきちんと民意を反映できるわけ?」 明日からはこのへんについて考えよう。

*1:ここで言う「規制」は狭義の規制、すなわち国家によるものを指す。レッシグ先生の言うCODEじゃないよ!

*2:このへんのことがピンとこないってひとは『クルーグマン教授の経済入門』

クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)

クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)

の「自由貿易保護貿易」のとこ(文庫版だとP190から)を読むといい。もちろん他のとこもおすすめ!この規制の話題とは直接関係ないけど、めちゃくちゃ面白いよ。訳も素敵☆

*3:これら全ては政治規制に関する経済学的アプローチだ。

*4:もちろんおわかりの通り、神話性が高いってことが証明されつつあるけど。

*5:Niskanenは民主主義と規制っていう観点からこのへんを考察してるけど、それはまた今度。