規制と政治の課題

今日は「規制と政治」という授業が急遽休講になりました。
普段ならよっしゃ、と思って速攻遊ぶところですが
課題のリスポンスペーパの提出日だったので、残念無念。
せっかく朝3時までかけて仕上げたのに〜!!



てなわけで腹いせに(?)UPしてみる。(わかりやすくっていう方針はいずこ・・・)
お題は「新自由主義ナショナリズムの親和性が高い理由を市場の功罪とか日本の政治状況とからめて800から1200字で」というもの。
結構厳しい。

新自由主義(Neo-liberalism)とナショナリズムの親和性が高い理由は2つある。自由主義確立のために国家が権力を持つことが望ましいためという理由と、資本主義の帰結と社会的防衛という理由である。
第一の理由の論拠は、市場の自由化には集権化が必要となり、国家主義的傾向を帯びるというところにある。新自由主義者は自由市場を絶対的に信頼しているため、市場の自由化すなわち経済的諸規制の緩和を求める立場をとる。だがそれを実現するには既得権益を享受する「抵抗勢力」を打破することや金融監督官庁を巨大化することなどが要請され、実行するには国家権力の強化を図らなくてはならない。
このことは一見「個人の自由」に最大の価値を置く自由主義に反するように見える。だが新自由主義は、選択の自由の外的側面すなわち選択肢の多さを重視するため、国家によって市場の自由が確保されれば、市場が活性化して生産性が高くなり「豊かさが一般に社会の種々の階級すべてにゆきわたる」*1から結果として選択の自由が確保できるという論も可能であろう。ただし市場の自発的秩序、スミスの言う「見えざる手」のメカニズムは説明されておらず、一種の信仰であるとポラニーが看破しているので、説得力に欠く。
あるいは、自由放任が手段ではなく最終目的であるのなら、新自由主義的国家が自由放任を実現すれば、権力的には強大な政府でも規制を行わないという意味では「小さな政府」となるので、それで十全だと言うこともできよう。
次に、第二の理由の論拠の一方は、資本主義の帰結として社会の現実主義的自己防衛が起きて国民主義的傾向になることにある。新自由主義によって市場の自由化が進めば進むほど、自由競争の結果として不平等が広がる。そして「負け組」と呼ばれる経済的弱者は自己防衛として政治に失業保険や年金といった福祉事業を求めるようになるが、「負け組」は有権者過半数を占めると見込まれるので、内閣はそうした要請に対応しない訳にはいかないのである。
さらに第二の理由の論拠のもう一方は、そうした「負け組」を含む大衆がナショナリズムを消費することで国粋主義あるいは軍拡傾向が強まることにある。それまでの社会秩序を変化させる自由競争によって拠りどころをなくした人々が「現状に不満を持つ自己を肯定するために」*2国家や文化、伝統などを持ち出す。もしくは社会不安から諸外国(特に中国・韓国)に対して不信感を募らせるということである。この場合も有権者の支持をつかむため、内閣はそうした要請に対応しない訳にはいかない。
以上が新自由主義ナショナリズムの親和性が高い理由として考えられる。

どうなんでしょう?このレポートは・・・

*1:アダム・スミス著『国富論』 p21

*2:宮台真司北田暁大著『限界の思考』双風舎 2005年 p26