別冊宝島:のまネコ問題
前者において、エイベックスが著作権法的に「黒」であるフラッシュを採用したのは画期的であったことを述べた上で*1
反エイベックス、反企業主義の思いのあまり、彼らはそのチャンスをネット全体から奪い去る結果となった。(略)のまネコ事件は、一見すると「商業主義に対するネットの勝利」に見えるかもしれないが、実際にはネットでの著作権的に締め付けを強化するという結果を生み出しただけではないだろうか。(松永英明氏による記事より)
とありました。大変鋭く、そして重要な指摘です。
もし協調姿勢が取れていたら、と松永氏が言うのも当然だと思います。「灰色」というか結構「黒」でも、プロモーションという形のフェアユースが認められたかもしれないからです。「著作権法にひっかかるかも」という恐れより、クリエイティブなものに目が向けられていたからです。著作権をガチガチに囲い込むよりも、オープンにした方がビジネスチャンスが広がって長期的に見て利益があがるということに、企業が気づきはじめたというのに、その出鼻を挫いてしまいました。
後述する山口弁護士のインタビューでもこのことは触れられていて、
検証サイトの人は、悪意ではなく、善意でやってるんだろうな、自分の好きな作家を思うあまりの行為なんだろうなと思ったんだけど、個々の人たちは善意だったとしても、でも、その結果どんどん自由に表現ができなくなってしまいます。(山口貴士氏の発言より)
と述べています。
このような問題意識は森達也氏*2など他の方にも見受けられます。私の友人が言ったことですが、「愛は地球を救うかもしれませんが、時として人を殺すのです」。歴史を紐解くまでもなく、現在の政治あるいは社会状況を見れば、これは自明のことかもしれません。良かれと思ってしたことや、自分が一瞬のカルタシスを味わうために排斥したことが、やがては自分の身に返ってくる。このことをもっと自覚しようと思います。
*1:「『プロモーション的に用いられる場合は、楽曲の使用を黙認する』という慣習を根付かせることもできたはず」だから。
*2:オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』を製作なさった方。絶対見たほうが良いドキュメンタリーです。