別冊宝島:2重の基準

また、山口貴士弁護士インタビューのなかでインタビュアの栗原裕一郎氏が指摘していたのは

法律が侵害と判断するハードルの高さと、一般の読者なり出版業界なりの考えてる"似てる"の高さが全然違っているということ

でした。
この点に関して、「のまネコ」や「エデンの花」などを問題視する人たちは自覚的なのでしょうか?私にはそこが気になります。
もし、著作権法に反している(と誤って信じている)からバッシングや「祭り」が起きているのであれば、著作権法の理解を深めることによって騒ぎの沈静化ができると言えます。
ちなみに、騒ぎが起きることそれ自体に問題はないと思います。儀礼的空間*1って必要だと思いますし。でも、別冊宝島でも指摘されていましたが、こうした「ネットで話題」→「新聞・TVなど他メディアで報道」→「責任者謝罪」みたいな流れが多くなってきていて、しかも問題となった作品の絶版・回収という形でけりがついて、作家生命が絶たれてしまうってケースが多いです。版元が抗議を恐れて作者を切り捨てる現状が続けば、誰も創作しなくなっちゃうような気がするので、ここで問題にしてます。
しかし法的問題はないとわかっている上で、「倫理的問題」や「リスペクトの問題」とされるなら、すなわち著作権法が考慮された上で「捨てられている」のならば、法は無力です。この無力さは何によるのでしょうか?
うーん。もう少し考えてみます。