消費される速度
さて一気にPVが伸びたのは、もちろん例のエントリーのおかげなわけです。なのでこの機会に少しだけあの実験の説明をしたいと思います。
結論から言うと「涼宮ハルヒは民主主義の敵か?」は、b:id:REVさんの鋭いご指摘の通り*1
釣りタイトルと偽タグで誤配の推進を表現
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20060514/1147593399
したものを目指したつもりです。*2誤配の推進というか、誤配を逆手に取ってみました。つまり意図的に誤配したわけなので、誤配したと言って良いかわかりません。*3
なぜそんなことをしたかというと、本文で
これはとても難しい作業ですし、たとえ可能であったとしてもdailymeの実装までに間に合うかどうか・・・。たぶん不可能だろう、と山形浩生は言います。でもしなくてはならないことです。
でも、少なくとも、「他人に不快感を与えてはいけない」という感情論を少しだけ見直さなくてはならないでしょう。不快感を与えるだけでは何かを否定することはできません。そして不快であったり興味のないものを見ること、それ自体に価値があるのです。
と大見得を切った以上、何らかの手を打たないと格好もつかないし意味も無いだろうと思ったからです。
そこでSkype上でkozaiさんが提案していた「涼宮ハルヒは民主主義の敵か?」というタイトルを使わせていただきました。*4「ハルヒ」という一部で関心を集めている言葉をタイトルに使うことで、届かない人にこの視座を届けたかったのです。
二極化が進行しているとよく言われています。「涼宮ハルヒは民主主義の敵か?」の結論部分は、知っている人は知っている事柄であり、まともに書いたとしたらたぶんほとんど注目を集めませんし既知の人にしか届かないでしょう。
大塚英志の言葉を借りれば
速度。
そう、重要なのは消費される小説だけが持ちうる速度だ。
屑さえも書物に仕立て上げる速度だ。
その速度に乗せなければ届かないことばというものがある。
その速度に乗せなければ届かない遠い場所に読者がいる。
『多重人格探偵サイコ〈2〉阿呆船 (角川スニーカー文庫)』pp186-187
ということになります。
書き手全員、書かれる文章全部がこのように明確な意図を持ってなされるべきだとは思いません。多くの人に伝えることをよしとしない文章もありますし、それに今は伝えるための「文体」がなくても、つながりの手段として話聞いてもらえるからです。*5
でも逆に、交換という行為自体でなく交換したい内容が主目的となる場合はもちろん、伝達は難しくなっています。それはb:id:mindさんがご指摘してくださったように
FILEの内容は、タイトルを見るだけでなく、開けてみないと、価値を測れない。/人は、タイトルを見て「価値がありそう」なFILEを開けて観る。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20060514/1147593399
このためでもあります。
様々な情報が氾濫するなかで選択してもらうには、一瞬で目を射るような、あるいは身近さに思わず近寄ってみたくなるような広告が必要で、プロでなくリソースも少ない私が広告を打つのであれば、「ハルヒ」にただ乗りするのが一番効果的に思えたのです。
では、ちゃんと届いたのでしょうか。
おそらく、せいぜい5秒くらいしか読まれなかったと思います。
「何かが心に残ってくれると良いね」と言ってくれた方もいましたが、たぶん半時間もしないうちに忘れるでしょうし、ブックマークでも3日と経たず埋もれてしまいます。
それはしょうがないことで当然です。
前述してる部分と矛盾してるように思われるかもしれませんが、文章は読み手に潜在するものを呼び起こすくらいしかできません。だから趣旨を理解してもらえなくても忘れ去られても良いのです。