「リスペクトを守るために延長」のおかしさ

問題の発言

昨日の24日に、ICPFが三田誠広氏を招いて「著作者は著作権をどのように捉えているか」と題するセミナーを行いました。
私は試験中のため残念ながら参加できませんでしたが、大変興味深い対話がなされたようです。そのなかで私が特に気になったのは、津田さんのTwitter中継で言うと次の箇所です。

「人格権切れたら谷崎の作品をポルノ仕立てに変更することも可能になる。人格権は経済権とセットになっていることを考えると、保護期間は長めにしておいた方がいい」

http://twitter.com/tsuda/statuses/165620072

三田「今まで私はクリエイターのインセンティブという言葉は使ってない(以前は使ってたけど)。そうではなくリスペクトという単語を使っている。死んだ後のことはわからない。死んだあと評価されるかもしれないという幻想を持って作家は作品を作る」

http://twitter.com/tsuda/statuses/165627892

池田先生のエントリですと

問「これまで文芸家協会は、著作権の期限を死後50年から70年に延長する根拠として、著作権料が創作のインセンティブになると主張してきたが、今日のあなたの20年延ばしても大した金にはならないという発言は、それを撤回するものと解釈していいのか?」

三田「私は以前から、金銭的なインセンティブは本質的な問題ではないと言っている。作家にとって大事なのは、本として出版してもらえるというリスペクトだ。」

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8aeeb1fc65a7a1fd92efae3ade3f3224

問「松本氏は模倣を非難するが、『銀河鉄道』は宮沢賢治の模倣じゃないか。」
三田「松本氏のように原作の価値を高める模倣はいいが、悪趣味なパロディはよくない。」
問「いい模倣か悪い模倣かは、だれが決めるのか?」
三田「遺族だ。」
問「遺族が死んだら、誰が決めるのか?」
三田「・・・」

という部分になります。要するに三田氏は著作者に対するリスペクトを守るために著作権保護期間延長をしたいのだ、ということをおっしゃっています。

何が問題か?

この発言のどこが気になったかというと、(1)著作権著作者人格権は別物で、(2)しかも著作者人格権は譲渡できない(=相続されることもない)ので、(3)著作権保護期間を延長したからといって別に死後の人格権保護がどうなるわけでもないのに、その点を誤解しているのではないかということです*1

(1)著作権著作者人格権の二元性

日常用語としての「著作権」という言葉は、おかね(財産面)ときもち(人格面)の両方の権利を指すものとして使われています。しかし日本の現行法において、つまり法律学的に正しい意味は、財産的な権利のみを示しています。
確かに、著作権を財産権的な要素と人格権的な要素を併せ持っていると把握して一元的に捉えようという学説もあります。半田正夫先生の『著作権法概説』などはこの説に立っていますし、ドイツのUlmer先生およびその門弟の方もこの説を支持しているようです。また、こうした考えを立法に込めている国もあります。ドイツ、オーストリアハンガリーなどです。
「著作者の権利」は大陸法系諸国が「著作権」の意味で用いているので紛らわしく、さらに旧著作権法は一元説に則っていたので、混同されやすいものです*2
リスペクトというのは、おそらく前後の文脈から察するに、主として著作者人格権を指していると思われます。ですが、「著作権保護期間延長」というときの「著作権」は、おかねの話だけです。著作者人格権は本来関係ありません。よって、保護期間延長の根拠にはなりえないはずなのです。

(2)著作者人格権一身専属

さらに著作者人格権は、法律で定められた一部の例外を除いて*3、著作者(著作者じゃないことに注意)以外の人が持つことはできません。他の人にあげることもできないのです。著作権法59条にはこうあります。

著作権法第59条
著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。

というわけで、著作者人格権が遺族に相続されるなんてこともありません。やっぱりリスペクトと著作権保護期間延長は関係ないのです。

(3)死後の人格的利益の保護

ここではやとちりしないでほしいのですが、著作者が亡くなってしまった後も著作者人格権は保護されます。著作権法は以下の規定を有しているからです。

著作権法60条
著作物を公衆に提供し、又は提示する者は、その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。ただし、その行為の性質及び程度、社会的事情の変動その他によりその行為が当該著作者の意を害しないと認められる場合は、この限りでない。


同法第120条
第60条又は第101条の3の規定に違反した者は、500万円以下の罰金に処する。

60条は著作権法の第五節にあり、著作権保護期間を定めた第四節(51条から58条まで)と節を異にしています。つまり、全く別の扱いなのです。
また「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為」にあたるかどうかを判断するのは、司法の手に委ねられています。著作者の遺族が判断するのではありません。


三田氏が真に死後の著作者に対するリスペクトを案じているのであれば、著作権保護期間延長を主張するのはお門違いというものです。60条の改正を主張するのが正当です。

著作者人格権以外のリスペクト?

以上からここでいうリスペクトが著作者人格権とイコールだとするなら、三田氏の根拠は筋違いだということが明らかになったと思います。
でも、もしかしたら著作者人格権以外のリスペクトをしてもらいたいと主張したかったのかもしれません。「本として出版してもらえるというリスペクト」とおっしゃっているようですし。
その場合、「出版してもらえるというリスペクト」ってなんなんでしょう?とりあえず、著作権法の保護対象ではなさそうです。出版するかどうかを決めるのは市場原理でしょうから。
さらに、著作権保護期間とそれは関係があるのでしょうか?私にはよくわかりません。

最後に

三田氏はインセンティブ論からリスペクト論にシフトしたようですが、とりあえず著作者人格権としてのリスペクトは著作権保護期間と関係はなく、延長の根拠たりえません。他の意味におけるリスペクトについては、詳細が明らかでないのでよくわかりません。


他にも指摘したい点が多々ありますが、延長賛成派と反対派のすれ違いの理由の多くは、こうした誤解から生じるものではないかと思います。
私は表現の自由を尊重します。ですから、「あまり勉強が進んでいない方は発言すべきでない」というような意見には反対します。三田氏は自分の考えを自由に口にできますし、すべきです。
でも、人を説得するには今のままだと不十分です。自分の主張を通すためには、何らかの正しさを示して第三者を味方につける必要があります。情に訴えるのもひとつの手法ではありますが、理の面からも何がしかの正当な根拠も提示すべきで、それは著作権がどのようなものかを理解しないことには成しえません。そして理解していないことが露呈すると、マイナスの評価がされるでしょう。
今後の延長賛成派の主張に期待します。

*1:それにしても、こうしたおかしさが鮮明に際立ったのは、池田先生の鋭い問いかけがあってこそだと思います。電波利権における切れ味といい、こういう場面で池田先生はすごい力を発揮すると感嘆…

*2:こうした用語の問題に関して詳しく知りたい方は、拙稿「著作権という言葉について」とナガブロさんの「用語としての著作権」を合わせて読むことをお勧めします。ナガブロさんのエントリは現行法立法時の答弁もフォローされていて、とても参考になります

*3:職務著作とか映画の著作物