ファミリー・アフェア

「所有」をめぐる冒険世界の終りとプロパティ・ワンダーランドの財産シリーズの続き。
今回は夫婦の財産についてです。

はじめに―問題の所在と考察の方向性

民法は、夫婦の財産関係につき当事者間に契約がないときは法定財産制度に拠るとしています(755条)。実際には夫婦財産契約を締結することは大変稀ですから*1、多くの場合、法定財産制度に従うことになります。
このように影響の大きい法定財産制ですが、学説が対立している部分があります。762条1項にいう「夫婦の一方が婚姻前から有する財産」が特有財産*2となることに異論はありませんが、問題となるのは「婚姻中自己の名で得た*3財産」が特有財産となるという部分と、同条2項の「夫婦のいずれに属するか明らかでない財産は、その共有に属するものと推定される」という部分です。さらに離婚時の財産分与に関する768条、妻の相続権と相続分に関する890条と900条も関連して問題となりえます。
現行民法は旧法の管理共同性を廃し純粋別産制を採用したとするのが通説ですが、それでは家事等負担者(多くの場合は妻)の寄与分であるところの、いわゆる「内助の功」や「アンペイド・ワーク」が評価されないのではないかとの批判が根強いのです。そのため夫婦財産制は、両性の平等という見地から様々な解釈論および立法論が今なお展開されていて、論ずるに意味あるテーマであると言えるでしょう。
本エントリでは、国内における学説の状況を概観した上で、諸外国の立法例、わが国における実態調査、アメリカにおける法と経済学の成果等を助けとしつつ、自説を展開してみたいと思います。

これまでの議論状況―762条をめぐる諸学説

通説・判例の「純粋別産制説」

前述しましたように、旧法の法定財産制である管理共同制が、夫の管理収益権の除去と妻の無能力の廃止によって、純粋別産制に改正されたとするのが通説的見解です。つまり762条1項の別産制が原則で、通常の財産法の帰属原理に従って、夫婦であることにつき何ら修正を加えないとするものです。同条2項が例外としてあるけれど、一方の単独所有が証明されれば、「推定」が覆されると考えるのです。
この見解に対しては、家事労働を正当に評価し得なくなるとの批判があります。また、夫婦共同生活の実情に必ずしも適合的でないとの批判もあります。
この点に関して、通説は上記の批判を受けて次のように説明します。

一方では、別産制を利用して職業婦人たる妻の財産上の独立を達成するとともに、他方では、財産分与および配偶者相続権の制度を活用して、家庭婦人たる妻の保護を推進することが、さしあたり妥当なことであろう*4

最高裁昭和36年9月6日大法廷判決*5

所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であって、配偶者の一方の財産取得に対しては他方が常に協力寄与するものであるとしても、民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じない

としていて、純粋別産制説に立つものと考えられます。
しかし前述の純粋別産制説では、離婚もしくは遺産相続時に帳尻が合うのですが、婚姻中では寄与が反映されにくいという問題があります。さらに、必ずしも離婚するとは限らないし、夫婦の一方どちらが先立つかは不確定であるといえるでしょう。この点を解決しようと、いくつかの学説が提唱されてきました。また、下級審判例の中でも同旨の試みがなされています。

修正別産制説

純粋別産制と捉えつつ、妻の寄与の程度に応じて夫婦相互間で債権ないし不当利得を構成すると解して、婚姻中にも訴求ができるとする説があります*6。これはあくまでも財産法の原理に則って、家事労働等を評価しようという解釈です。

有力説たる共有説

また、非金銭的な寄与(アンペイド・ワーク)を財産の帰属において評価し、物権的に一種の共有制を実現しようという解釈もあります。学説上は共有的見解が有力で、3種類に大別できます。


我妻=加藤説
まずは762条2項の共有推定を拡張する説を紹介しましょう*7。この見解は、共有推定は婚姻生活にともなう財産関係に特別の効力を認めたものとします。つまり夫婦の協力があって得られた財産は特別の事情がないかぎり、共有の推定を受けると考えるのです。
そして夫婦の財産には次の3つに分類できるといいます。(a)「名実ともに夫又は妻に帰属する財産」、(b)「対内的のみならず対外的にも共有の推定を受ける財産」、そして(c)「対内的には共有と推定されるが、対外的には名義人の特有財産とされる財産」。(b)の財産は、取引安全を損するおそれが少ないので共有推定が及んで良いのですが、夫婦が協力して得た住宅等は(c)にあたり対内的な共有のみ認められ、婚姻解消の際に分割されるとしています。


婚姻費用共有説
第二に、婚姻費用として拠出された財産を共有として考える説があります*8。この説では、婚姻費用*9の負担(760条)により拠出された財貨が夫婦の消費共同体にのみ用途を限定された一種の目的財産であるとして、共有推定(762条2項)が及ぶので、潜在的共有持分は相互に二分の一ずつであるとしています。しかしその推定も取引安全保護の観点から、一部が名義によって覆されるとするものです。


有地説
第三に、768条を夫婦財産制のなかに位置づけ、768条を夫婦財産の帰属と第三者との関係を規定したものとして、夫婦間の婚姻中の所得の帰属は768条によって規定されるとする説があります*10。つまり「所得共通性に近い複合形態」であるとして、第三者との関係においては、共有は潜在化観念化すると解するのです。

共有説への批判としての純粋別産制説

共有説を批判する形で現れた純粋別産説があります。以下3つほど紹介しましょう。
佐藤説*11は、妻の家事労働と同様の評価を受けるべきは、夫の財産取得行為ではなく婚姻費用負担であるとし、また清算的財産分与の根拠を帰属の論理に求めることも批判します。そして生産労働により協力するときに一方の単独所有とすると、不法利得を構成し返還を請求できると考えています。
田中説*12は、夫婦共同生活のための一種の特別財産的性格について、実質的共有を認めることは適当でないとしています。そして762条1項は別産主義原則を採用したものとして、同条2項は制限的な判断をなすべきとしています。
鍛冶説*13も762条は財産法の個人法理に則って解すべきであるとして、さらに別産制であっても婚姻解消時に公平な分配は可能であると批判しています。
しかしこれらの見解に対しては、現在の不十分な財産分与の規定下では婚姻中の帰属関係に基づかせる方がより説得的であるとする批判もあります*14

自説の展開と論証

前述のように、夫婦財産制の問題は「夫婦(特に妻)の財産関係における独立性の獲得と、婚姻中の所得あるいは夫婦財産の公平な分配の二つにある」と考えられ*15、様々な解釈が試みられてきました。しかしこのようなアジェンダ設定は、本当に妥当性のあるものなのでしょうか。また、別産制と実質的共有制の対立として捉えることは妥当なのでしょうか。

別産制と実質的共有制の対立について

まずは後者について、法制審議会民法部会身分法小委員会による「婚姻及び離婚制度の見直し論議に関する中間報告(論点整理)」*16によれば、第四の2にあるa意見とb意見の両論いずれもが別産制の立場をとっています。この点について伊藤昌司先生は、昭和50年の中間報告で両論併記であったことを指摘し、見解の対立をどう乗り越えたか知りたいと言います*17。「なぜなら、同報告で示された夫婦財産制についての議論は、現行規定の出発時点から続いている根深い誤解を抱え込んでいるからである」。
伊藤先生は以下のように指摘します。わが国の夫婦財産制の議論においては「共有」制議論が、「共通財産」という財産範疇を有するフランス法的財産制度を正しく理解しないまま成されてきた。フランス民法典815条の3が、全共有者の同意を要することを規定するが、1421条では、共通財産は夫婦の各々が原則として単独で管理することができ、別々の職業活動をする夫婦は職業に必要な管理・処分行為を単独で成しうる、と。
この点、別産制であっても婚姻解消時に公平な分配は可能で、さらに民法改正要綱案にあるように「各当事者の寄与の程度は、その異なることが明らかでないときは、相等しいものとする」と改正すれば、さらに問題は解決するとの主張もできるでしょう。
純粋別産制説に立つ人は、婚姻中の財産につき、婚姻継続中は円満であると考えられるから問題ないとしていますが、婚姻継続中にも不利益をもたらしかねませんし*18、また夫婦の一方が大変浪費家で他方が倹約家である場合、財産分与時に倹約家である方が不利益を被ることになってしまいます。債務の場合も同様です。でも、共通財産制をとれば、このような問題も解決しうるのです。

夫婦の資産についての意識

ところで、伊藤先生と同趣旨の指摘は、五十嵐先生によってもすでに成されていました*19。しかし五十嵐先生は「いまわが国で所得共同性、所得参与制ないし剰余共同制のいずれかを法定財産制として採用せよと主張するわけではない。わが国ではそれに対する伝統がないし、また現在その社会的基盤が存在しない」としています。
でも近時の意識調査によれば*20、夫名義の資産を「夫婦のもの」と考える妻は60.9%ですし、また「夫婦のもの」か否かに関わらず「自分に使う権利がある」と考える妻は85.5%にもなります。それに夫の収入を「夫婦のもの」と考える妻は91.9%に達しているのです。このような結果を踏まえると、現在のわが国で仮に取得財産共有制*21または付加利益共有制*22(共通財産制)を契約モデルとして提示し、もしくは法定財産制としていずれかを採用しても、「法と現実が遊離」することにはならないように思います。

夫婦財産の独立性と公平な分配について

さて、婚姻中の所得あるいは夫婦財産の公平な分配が考慮されるのは、「両性の平等」が重視されるためでした。これは戦後改革の一端として家族改革が重要なターゲットとしたことに由来し、憲法14条および24条にも同じ思想がみられます。
でも「安定した結婚というものは、公平な結婚とは別物なのかもしれない」という問題提起がアメリカの法と経済学の分野からなされています*23。結婚の破綻を指標として、賃金労働と家事の負担について自分と配偶者双方にとって公平性を評価させたところ、夫婦の双方にとって公平であると、一致して感じている場合に、意外にもより高い離婚リスク(1.59倍)となることが示されています。反対に、賃金労働が妻にとって不公平であり、家事が夫にとって不公平であると強く信じている場合、離婚リスクが著しく低下することもわかっています。また、結婚を取引交換として捉える配偶者は、そうでない配偶者よりも結婚に対する満足度が低く、取引交換的な関係性を志向する夫婦の離婚リスクが高いとも指摘しています。夫婦が目先の公平性にとらわれず、相手やこども、あるいは結婚関係の利益になるように行動するとき、離婚リスクは大幅に低下するのです。つまり公平な関係が、結婚にとって最も望ましい環境ではないであろうということが、研究成果からうかがえます。この理由に関しては、現代におけるアメリカの結婚のあり方が、ある意味で本質的に不公平で非対称的な関係に男女をおくものであり、「そのような不公平に対する受容が、結婚の安定性に貢献していると解釈できる」としています*24
しかしこうした指摘は、ともすれば家父長制の復活と結びつきやすく、とても危うい側面があると言えるでしょう。でも、夫婦財産の独立性と公平な分配は、そもそも夫婦である個人の幸福追求を保障するために考え出された課題であるのですから、「安定した結婚というものは、公平な結婚とは別物なのかもしれない」という指摘も、不公平性に対する受容が安定した結婚につながるという指摘も真摯に受け止めなければならないでしょう。不公平性に対する受容は、もしかしたら受容せずとも良いことなのかも知れないのですが、現状でそれを期待するのは難しいといえるからです。
では仮にこの指摘が正しいとして、そして日本にも妥当する認識だとするなら、どのような財産制が望ましいのでしょうか。私は、再定義が可能な制度が望ましいように思います。確かに婚姻は非対称的で、主として妻にとって公平でないのかもしれませんし、でもそれを受け入れるだけの魅力のあるものなのかもしれません。そうした状況にあるときは、財産につき公平性や取引交換的な態度をとることが、婚姻の安定を損なうのかもしれません。そうであるならば、法は婚姻中の夫婦財産の独立性と公平な分配を強く打ち出さなない方が良いのでしょう*25。でも、その不公平な状況に満足できなくなったときは、やり直しがきく、公平な分配をしなくてはならないでしょう。
よって、夫婦の一方が浪費家で他方が倹約家であっても、財産分与時に倹約家である方が不利益な取り扱いにならないような制度が望ましいように思います。ですから共通財産制をとるべきと考えます。

*1:法務省の統計によると、登録件数は年平均1.9件

*2:夫婦の一方が単独で有する財産をいう

*3:なお「自己の名で得た」、「名ヲ以テ」という字句の由来については、我妻栄「夫婦の財産関係(下)」ジュリスト490号96頁に簡潔にまとめられており、文理解釈をする上で参考になる

*4:五十嵐清「夫婦財産制」『家族法大系Ⅱ(婚姻)』220頁(有斐閣, 昭和34年)。ただし、五十嵐は配偶者の相続が通常の三分の一である点につき、比較法的見地から批判し、純粋別産制の存続が「男女同権を形式的に実現することだけに終った一つの現れ」だと主張している(219頁)

*5:民集15巻8号2047頁

*6:池正也「『内助の功』の法的把握」法学セミナー68号70頁

*7:我妻栄『親族法』(有斐閣, 昭和36年)102, 103頁、および加藤栄一「夫婦の財産関係について(一)(二)」民商46巻1号3頁, 46巻3号82頁

*8:上野雅和「夫婦財産帰属の論理」松山商大論集15巻2号23頁、および深町松男「夫婦の協力と夫婦財産関係」金沢法学12巻1・2号1頁

*9:生活費や子の教育費などのこと

*10:有地享「夫婦財産制に関する一考察」法制研究32巻2=6合併号707頁

*11:佐藤義彦「婚姻財産の帰属・利用・分配についての一考察」同志社法学115号1頁

*12:田中實「夫婦別産制の一考察」『婚姻法の研究(下)』239頁(有斐閣, 昭和51年)

*13:鍛冶良堅「『婚姻中自己の名で得た財産』の意義」『現代家族法大系2』47頁(有斐閣, 昭和55年)

*14:犬伏由子「夫婦財産制」『民法講座7』121頁(有斐閣, 昭和59年)

*15:犬伏, 前掲書120頁

*16:法務省民事局参事官室「婚姻及び離婚制度の見直し論議に関する中間報告(論点整理)」ジュリスト1015号305頁

*17:伊藤昌司「夫婦財産制議論の行方」ジュリスト1019号55頁

*18:中川善之助ほか「家族法上の妻の地位」ジュリスト344号21頁[田辺発言] 婚姻継続中に妻が農業生産労働で寄与したとしても、現行法では妻の実家に「へそくり」を送金できない仕組みであり、不当だと批判している

*19:五十嵐, 前掲書220頁

*20:財団法人東京女性財団『財産・共同性・ジェンダー』158頁(1998年)

*21:婚姻共同生活の維持と妻の協力の結果を妻に帰属させる目的で、婚姻中に取得された一定の財産を共有とするもの

*22:婚姻中に各自の財産が増加した部分を実質的に共有と見るもの

*23:ティーブン・L・ノックおよびマーガレット・F・ブリニグ, 佐藤通生訳「力の弱い男と整理整頓のできない女:離婚と分業」A.W.ドゥネスほか『結婚と離婚の法と経済学』276頁(木鐸社, 2004年)

*24:前掲書 282頁

*25:もちろん夫婦財産契約制度をより使いやすい形にする必要がある