「置石」の言い訳
はまっこさんのところで税徴収業務の民営化について扱ってたので、
いくつかコメントしました。そのなかで
それからすごい根本的質問ですが、国家の存在意義って君にとってなに?
ということを言い、本来の民営化論から脱線させてしまいました。
関係者のみなさま、すいません。
質問の意図
言い訳をしますと、
私が「国家ってなんのためにあるの?」という質問をあえてしたのは
「官から民へ」とか「民でできることは民で」と言うけれど、
民間で出来なさそうだから官がやってきたんじゃないの?
という意識があるからです。
以前言ったフリーライダにせよ、市場の失敗にせよ、
営利目的の民間企業では乗り越えられないからこそ
政府という存在が必要となってくる。
つまり
「そもそも政府は利益のあがらない仕事を行うことを期待されているのだから
政府の仕事が非効率的でもしょうがないんじゃないの?」*1
とか
「公的部門にとって効率性を一番優先させる必要ってあるの?」
といった疑問を踏まえた上で
「民営化すべきかどうか?するとしたらどう変わるのか?」
という論証をしていただきたいのです。
厳しい言い方になってしまいますが、
効率化を無条件で良いことだと思っている傾向を感じたので
あえて前提に目をむけてもらえるような政治学的質問をしてみました。
(経済畑の方にこんな政治学的視点を求めるのは酷かもしれませんが・・・)
国家の存在理由
↑でめっちゃ偉そうなこと言ってますが、
私もこんなこと考え出したのは「規制と政治」という授業を受け始めてからで
自分の意見をきっちり述べられるような段階ではありません。*2
ですが、
今まで考えたことないものを3分ちょっとで考えたので、
変更があると思いますが
「最大多数の最大幸福を実行する主体」でしょうか。
という意見につっこみをいれさせてもらいます。
うめ。さんがご指摘されてたように「最大多数の最大幸福」は
ベンサムとかミルの功利主義から来ていますね。*3
でも察するに、はまっこさんは
「たくさんの人がなるべく一番幸せになれるような国家が良くない?」
くらいのノリで答えてませんか〜?(違ってたらごめんね)
もし仮にそうだとして、
例えば「自由」と「平等」どちらを優先させれば
「なるべくみんながいっぱい幸せ」になれると思いますか?
「自由」を最優先させれば、各個人は自己利益を最大限追求できるでしょう
でも経済的格差は拡大してしまいます。
(コメント欄で既に言いましたが「(神の)見えざる手」があると主張するなら論拠を示してくださいね)
逆に「平等」を最優先させれば、福祉が充実したり再分配がなされたりしますが、
その分、税金が重たくなったりいろいろ規制が生じたりします。
実は、ミル的な最小規模な国家と福祉的国家は、通常相対するはずなのです。
今の例では「自由と平等」の経済面のみお話しましたが、
他にも「正義」「公平」「安全」などの価値観と
それぞれどう折り合いをつけるかが問題になります。
このあたりは実践倫理学的問いになりますね。
対立軸としては
- 規模と再分配についてどう思うか?(小さい政府/大きい政府)
- 実行力はあった方がいいか?(弱い政府/実行力のある政府)
- 自由をどう確保するか?(市民的自由/強権的政府)
などなどがあります。
政府の活動範囲
さて、以上のようなことを踏まえると、政府の活動範囲(経済分野)としては
小さい順に以下のような類型がありうると思います。
- 最小政府*4
- 最小政府+経済発展政策*5
- 最小政府+経済発展政策+ミニマム福祉*6
- 最小政府+経済発展政策+ミニマム福祉+平等・均衡*7
- 最小政府+経済発展政策+ミニマム福祉+平等・均衡+生活・道徳*8
どれが一番「最大多数の最大幸福」という基準にみあうのでしょうか?
もちろん、それぞれの価値観は多様です。
それでもどこかであえて「手打ち」をしなければなりません。
かなりシビアな選択です。