ライセンスと契約について

id:cedさんよりmixi上にてCCと契約について詳しく丁寧な解説とご意見を得ることができました!どうもありがとうございます。
というわけでCCJPシンポジウムまとめ③はしばらくおいておきまして、CCライセンスと契約について考えていきたいと思います。

疑問の発端

そもそもはCCJPシンポジウムにおいて中山信弘教授がCCライセンスは契約であると明言なさっていたことにはじまります。*1
私は下記にもありますように

「ライセンスって契約なの??」という点もとても疑問ですが、個々の契約で処理していくのがベストであるという提案は多少無理があるのではないかと思います。仮にライセンスである程度捌いたとしても、やはり煩わしさがコストとしてともなうのではないでしょうか・・・。

CCJPシンポジウムまとめ①
http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20060411/1144774147

という疑問を提示しました。つまり
鄯)ライセンスは契約と言っていいのか
鄱)契約にするという判断/選択は妥当なのか
の2点です。前者は技術的疑問であり、後者は戦略的疑問ということになります。
あとすごく分かりにくいかったと思うので大変恐縮なんですけど・・・この疑問はCCライセンスに限らずライセンス一般についての疑問なんです。言葉足らずですいませんでした〜。

とりあえず結論から

cedさんの素晴らしい解説を受けて鄯)の方はほぼ問題ないということがわかりました。
そして鄱)について。cedさんのおっしゃる通り

結局何が言いたかったかというと、「CCが契約かどうかなんて実際のところどうだっていいんだよ」ということに尽きます。「正しさ」のかたちを「法的正しさ」で担保できるほど、インターネットは「正しく」はありません。白黒はっきりとはできないわけです。(ただ、ここでいう「どうでもいいんだよ」というのと、茶会のパブコメGPLやCCを著作権法の下部規定として認めてくれ、という話は別に矛盾しません。)

と私も思います。
でもまあライセンスの「法的正しさ」について考えをめぐらしておくのは有用かなと考えています。


八田さんがかつて予言し白田先生が解説してくれたように、CCライセンスは日本だとメリットが不明確であまり普及しないのかもしれません。よってCCJPがどのような判断を下そうと大局的には差し障りないと言えるのかもしれません。


それにcedさんの仰るように「紛争が起きないのなら法律はいらない」のも確かです。でも私は欧米人相手に仕事をする日本の法律屋になりたいので(笑)これから起こりうるであろう紛争が起きている状態を想定しています。*2
それに紛争の起きる可能性は「当事者」の範囲が広がるごとに増します。釈迦に説法かもしれませんが、慣習や常識が通じないためですね。
私は紛争を起こしうる「当事者」は多くなると思います。ギークよりオタク、プログラマよりクリエイタの方が数が多いし*3、「やりたい事」の方向性がそろっていないと思うからです。そろえる必要もないでしょうし。
それからcedさんが教えてくれたkiraさんの記事

契約の有効性なんて多分どうでもいいのだ。その精神に賛同したものだけが参加すれば、それで問題は解決する。今までの論理でははかり知れないものを作ろうとした時、それを法で保障するなんていうことは多分無理で、むしろ足かせにしかならないのだろう。
僕らは僕らの理想郷を目指して歩き続けるけれど、現行の経済モデルに目をつけられないよう邪魔されないよう、一応契約モデルっぽいもので僕らの世界が保証されているように見せかける。僕らの世界のルールを法律のように見せかけただけで、実際の法律とはかけ離れているようでも別にかまわないのだ。法律のように見せかけることで訴訟のリスクが減ればそれでいい。
僕らの間では僕らの内部ルールに従っていれば紛争なんて起きない。貢献している人間には感謝しよう。そして使わせていただいたら、できれば自分も貢献しよう。フリーで流通するくらいはかまわないかな。著作者表示していれば他はどうでもいいよ。etc・・・

K's Diary @ cocolog
http://kira.txt-nifty.com/blog/2003/12/post_9.html

これも全くその通り。
でも内部ルールに従う「僕ら」でも「足かせ」を作ってしまいそうな法律家でもない、内部ルールを知らない人たちは結構大勢いて、そういう人たちが参入してくる時期がもう少しでくるのではないでしょうか。*4
そのときにやっぱり契約は面倒そうだ、というのが私の感想です。
cedさんも仰っているように

契約条項なので、もしユーザーがその条項に違反した利用を行った場合(たとえばby-nc-ndなのに商用利用を行った場合)は、著作権者がユーザーに対して個別に訴えを起こさなければなりません。それは示談で済むかもしれませんし、或いは裁判にまで発展するかもしれません。実はこれこそがCCの、そしてGPLの抱える最大の問題点です。この煩わしさを解消する手段はありません。CCはその利用が拡大するにつれて必然的に著作権者と利用者との間に紛争が起こりやすくなる仕組みになってます。

ちなみに、この煩わしさについてLessig教授に直接質問したことがあります。彼の答えは単純明快。「裁判すればいいじゃない」。これが米国人の思考様式です。実際に裁判になった事例も既にあります。

なんですけど、でも何かしらのオプションをつけないと裁判の負担は個人には重い。*5
紛争を未然に防ぐ方策として*6例えば既に提案されているように権利を管理・運営する窓口を開設するとか。あとはライセンスをLetter of Intent扱いにするとか・・・?
不勉強なので代替案がうまく出せていなくて恐縮ですが、とりあえずライセンスが契約だとデメリットの方が多そうだと思いまして。


紛争が起きるより前に先回りしておくのは、何だか温情主義的なおせっかいさに溢れていて自分でも結構気持ち悪いですが、まあこういう思考とか議論は積み重ねといて損はないだろうと思ったわけです。


以下、次回。

追記

id:cedさんがはてなダイアリーをはじめてくださいました。

今回とりあげたmixiでの記事ものってます。
http://d.hatena.ne.jp/ced/20060414/1145907105
http://d.hatena.ne.jp/ced/20060415/1145908185
よろしければあわせてご覧下さい。

*1:CCJP全体としてCCライセンスは契約、というコンセンサスになっているかどうかはわかりません

*2:cedさんが「欧米人は基本的に『紛争が発生している状態』を前提に様々な仕組みを考えます。既に発生している様々な紛争を如何に効率的に処理していくかが課題になります。その実例がCCです。反対に、日本人は基本的に『紛争が発生していない状態』を前提に様々な仕組みを考えます。問題は発生していないので、今後も問題が発生させない仕組みを組み上げていきます。」と述べていらっしゃったのを受けています。ネタの解説って恥ずかしい・・・。

*3:定義によっては後者が前者を内包するのかも

*4:コンテンツ流通ってそういうのを目指しているのだと思いますし。

*5:裁判とか示談は手間と金がかかります。法律家にとっては嬉しいかぎりでしょうけど(笑)

*6:裁判制度自体を動かすこともできなくもないけど大変そうだし。原告も被告も負担かかるのは結局変わらないと思いますし。