去年の今頃考えていたNHK民営化論
2005年6月16日に書いたNHK民営化論を。
NHK
NHK、日本放送協会は公共事業体の一種だ。1950年放送法による特殊法人として発足し、ラジオを3波とテレビを5波所有している。事業体としては日本銀行などと同じで、公共の利益のために設置され、私企業に期待できない事業の推進を期待されている。
予算運営には国会の承認が必要であるし、視聴者から受信料を徴収していることを差し引いても、ほぼ「国営」といってもいいだろう。経営委員会はあるが、海老沢元会長をめぐる報道から明らかなように、経営の実権がないと言われている。
そして昨今の不祥事問題などにより信頼は凋落傾向にある。
完全民営化の理由と目的
小泉が首相になる以前からほとんど唯一言い続けていたことは「特殊法人解体」論で、「官は民間にできる仕事を奪うべきではない」という論と同一だ。この論理のもとで郵政事業の民営化が図られ、道路公団民営化推進委員会が発足した。おそらくNHK完全民営化もこうした理論を拠りどころとしていると言って良いだろう。この論はある一面で正しいと思うし、私は賛成する。ただし後述するように、それをそのままNHKの完全民営化にあてはめて良いとは思わない。
また、NHKに関する一連の不祥事に対する改善策として民営化するという理由が考えられる。特に、朝日新聞が1月12日付朝刊の紙面で報道した番組改編疑惑(「ETV2001」のシリーズ「戦争をどう裁くか」第2回「問われる戦時性暴力」について、「中川昭一・安倍晋三の両氏が、この番組の放送前日の平成13年1月29日にNHK幹部を呼んで、偏った内容などと指摘し、NHKがその後、番組内容を変えて放送した」という報道)では、政治権力との癒着が指摘された。NHK側は否定しているが、NHKに政界関係者の子弟が数多く就職しているのは半ば公然の事実であり、*1また国会における審議の過程で便宜を図るなど、何らかの利害関係が成立しているとみて間違いない。そこで、メディアとして独立性を高めるために民営化すべきという理論が成立する。*2
さらに、海老沢元会長が参考人招致された衆院総務委員会を同局が生中継せず、後日編集して放送した対応について、海老沢元会長がNHKを恣意的に運営しているとの批判が相次いだ。このような公共放送機関の私物化を防ぎ、健全な経営をはかるべく民営化するという考えもできる。
公共事業としてのNHK
以上のように批判されるNHKであるが、特殊法人であるからこそ維持される特長がある。それは公共性だ。現在の民放各社とNHKの番組の有り様をみていると、この点は強調されてしかるべきだろう。つまり、民放は視聴者の需要に応えようとするあまり、ゴシップと娯楽であふれてしまっている。もちろんそうしたものの有用性を否定するわけではないが、政治や経済をないがしろにすることは結局、公共の利益を損することになる。
また、NHKは需要の少ない情報でも資料および記録として残す役割を担っている。アテネオリンピックでNHKが民放よりも多くの人材と機材を投入したとして批判されたが、民放は需要のある競技しか放送せず、NHKはそうではなかったということだ。このような観点からみると「無駄」と思えることにも合理性があるといえる。*3
市場原理は素晴らしいが、市場に任せればすべてがうまくいくわけではない。だからこうした特長を残しつつNHKは民営化すべきである。そしてそうすることで他の民放と差別化ができるから、戦略的に公共性を残すべきである。*4
完全民営化の際の政策論
さて、先述した通りNHKと政界とのつながりはかなり強いと考えられ、郵政民営化・道路公団民営化の際と同様に、既得権益を重視する双方の一部から強力な反発が起こることは必至と考えられる。このような「抵抗勢力」によって法案は譲歩を余儀なくされ、郵政公社(信書便法)に見られるようにいくつものハードルを設け、実質的には何も変わらなくなるだろう。こうした妥協案をどの程度まで許容し、どの程度まで主張を通すかは、政策的な問題というよりもむしろパワーゲームであるので、言及は避ける。
完全民営化の際の経営論
NHKはNHKエンタープライズなどを筆頭とした80社を超える「特殊法人」的な「身内」を抱えている。それらは天下りの温床であり、本来であればより低コストで提供する他企業に外注すべき仕事を融通しあっている。つまり、既存の民間企業の仕事を奪い、税金をよけいに使い、税金で民間企業の首を絞めているのだ。
民営化によってこのようなことがなくなるように経営していかなければならないが、先んじて民営化したJRなどをみると、未だにこのような性質を改善しておらず、印刷物や制服、車両設備は相変わらず関連下請け企業に発注している。指摘しておきたいのは、特殊法人のままでも既存の民間会社に発注することでこの問題は解決できるということである。民営化は改善の契機になるかもしれないが、意識を変えないと同じことを繰り返すのみだ。
また、民営化によって政界からの独立を図るのだとしたら、同時に経済界すなわちスポンサーとの距離も考えるべきだろう。公共性を打ち出すためにも、広告収入ではなく受信料というかたちで資金調達をすべきだ。デジタルTVをさらに発展させれば、本当に視聴している者だけから、視聴時間やTV保有台数に応じて料金請求することは可能だろう。ただし、他の有償放送とどのように差別化をしていくかに課題が残る。それは良質な番組を制作しようと過剰投資し、資金の回収がままならず、結果として競合企業と共倒れし、TVの寡占的支配が進むのは避けるべきということだ。なぜなら、寡占的であればあるほど規制がしやすくなり(記者クラブがその典型)、情報の多様性も低減するからである。これは公共の利益に大いに反する。*5