ICCシンポジウム第1回の私的なまとめ(3)

なんだかいつの間にか連作になってしまいました・・・。
よろしければ、まとめ(1)まとめ(2)も合わせてお読みください。

日本におけるアート(藤幡正樹

最後に藤幡先生からアーティストとしての立場からで日本でのアートの受容などについてプレゼンがありました。


かつてArtが技芸と訳されていたことからも分かると通り工芸の部分と意匠の部分が一緒になっていた概念なのだそうです。しかし意匠の部分だけが強調されるようになり、芸術と訳されるようになりました。
ここで藤幡先生が指摘していたのは、日本でArtは習い事や芸事であるとされているということです。つまり「習えば誰でもできる」。上手下手はあるにせよ、しかしそれだけの優劣しかないとされていると言うのです。


さて宮台先生がサンプリング・カットアップ・リミックスの椹木による推奨に言及していたことを受けて、本物と偽物の区別がつかなくなっていると仰いました。贋者の「白痴」と本物の「白痴」が区別できなくなっているというのです。現在のアーティストたちはたいへん悪い場にいます。


さらに藤幡先生は、日本のアーティストたち/鑑賞者たちがメタレベルでコンセプトを召還できていないことを嘆きます。
メディア・アートはメディアのあり方を見るものです。普通の人が見えいものを見るというところに価値があり、メディアに対して自己言及していかなくてはなりません。*1この考えをもとにして、たくさんの作品が生まれました。でも藤幡先生によれば、日本のメディア・アートは芸事だそうです。
メディア・アートが、文化庁メディア芸術祭で10日間で6万人という動員ができた理由はコンテンポラリーよりわかりやすいからだと藤幡先生は分析します。メタレベルでの理解がなくても、何となく分かったつもりになれてそこそこ面白いからという意味です。


また、藤幡先生の作品紹介がありました。このメディア・アートもまた、ややこしい技術を使ってこんなような可能性もあるよ、とメディアの可能性を示しているそうです。

"Landing Home in Geneva"
http://www.kawashima-lab.co.jp/modules/works/2005-03-FieldWorks_Geneva/

ライン川で多言語を喋れるような人たちにインタビューしていて、今喋っている言葉と母語とそれから今いる場所が違っている様子なんかを360度パノラマレンズを用いて撮影しています。GPSとパノラマレンズの組み合わせることで位置情報としてのボーダーと言語としてのボーダーなどがどのように交錯していくかというようなコンセプトだそうです。
藤幡先生は、この作品を日本で製作できないだろうし、展示してもわかってもらえないだろうと言っていました。それは言語的な問題もありますが、先述した通り、コンセプトをつかめないのではないか、という危惧があるからでしょう。


ここで藤幡先生がとても興味深い指摘をしていて、際限なき再帰性を留めるために自己言及のひとつのスタイルを提示すれば良いのではないか、と仰っていました。例えば宗教的に使用されるマリファナは指導者から「正しい方法」を教えてもらえて、ある程度の条件(誰がいないとダメで、気象条件はこんな日で)が揃わないとやれないことになっています。これを応用すれば、ある程度の呵責を止めることができるのではないか、と提案されていました。
自己言及を言語で行うとディレンマやパラドックスなどがたくさんあって危険だとして、自己言及のためのリテラシーを教えることが必要だと述べていました。


もうひとつの作品も紹介をしていました。自己言及的装置としての鏡を利用した作品です。

「無分別な鏡 Unreflective Mirror」
http://www.fujihata.jp/

この作品は、コンピュータが既に認識しているものだけを鏡に映写するので、結果として鏡に映るはずの鑑賞者が映りません。
藤幡先生が嘆いていたのは、日本だと「出来が悪い」と言われるだけで、その作品を通して提示しているはずのメタ・レベルが召還されないという点です。これも日本のアートが芸事として理解されているからでしょうか。

質疑応答

藤幡先生からのプレゼンが終わった後、浅田先生が簡単にまとめをなさって、会場からの質疑に答えるということになりました。あがったのは2つの質問です。


【質問1】
今日行われた議論はドゥルーズが既に行っているそうです。ドゥルーズを現代的に解釈するとどうなるのでしょうか、という質問がありました。


浅田彰
浅田先生は、そのような意味で哲学はプラトンの時代から最終解答は出しているとした上で、今起きている現実にどのようなトライアルがあるかが重要だと答えていました。


【質問2】
ウェブ進化論』などで論じられているように、web2.0が話題になっていますが、検索についてどう思いますか、という質問がありました。


宮台真司
宮台先生は、ご自身の番組*2が検索サイトにスクリーニングされていたことに関する裁判に触れ、またGoogleが中国に参入した際に検索結果の検閲を受け入れた問題*3を紹介し、検索エンジンによって序列付けや「Google八分」のようなスクリーニングが行われているのに、私たちユーザはそれに気づけないと仰っていました。検索エンジンに依存しているのに、それがどういう方針で動いているか知らないということのようです。
また、そのような状態に対抗するには、米国であればレッシグ先生が行っているように憲法やその起草者たちの意図に戻って考えなくてはならないとも仰っていましたが、日本にはそのような全体の基底となる価値観がないという諦めもあったように思います。


浅田彰
浅田先生は、宮台先生の発言も受けて、本当に世界はフラットになっているのかと問われました。そしてフラットになっていないところを指摘するのがメディア・アーティストとも仰っていたようです。


藤幡正樹
藤幡先生は、寡占的でないオルタナティブなテクノロジが必要で、それによってバランスをとるべきというようなことを仰っていました。
またWWWはここ10年で一気に発展したのだから、それを盛り返すことは可能だという指摘をされていました。
またテクノロジのグロテスクさにも言及されて、グロテスクさを覆い隠して商品として当たり前に作られて並んでいるけれど、そのグロテスクさを自覚しなくてはならないとも仰っていました。

再び各先生

斎藤環
テクノロジーの進歩によって、作品制作は格段にしやすくなって間口をさげているので、本物の「白痴」を探すにはスクリーニングしないといけないと述べていらっしゃいました。
また藤幡先生に対して、アルゴリズムに対するオブセッションが背後にあるのではないか、それまでもメタになれるか、との問いを投げかけました。


藤幡正樹
藤幡先生は斎藤先生の問いが非常に答えにくいと仰っていました。
確かに背後に隠れている物はオブセッションであり続けるかも知れないとした上で、それは買ってもらったおもちゃを翌日に分解してしまうような、工学的に理解できそうでできない面白さに支えられているのだと答えていらっしゃいました。

*1:ピーター・バベル

*2:「神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド」のこと。http://www.videonews.com/

*3:詳しく知りたい方はCNET Japan「グーグルの中国向け新サイト--検閲の実態を探る」なんかをどうぞ