Re* 首相のリーダーシップとポスト小泉

行政学でレポートを書いたので、また再利用。

設問

日本の政治システムには「中心」が存在せず、その最大の理由は自民党の派閥政治にあるとしばしば批判される。小泉政権においてこの批判はどの程度妥当か?妥当しないとしたらなぜ変化がもたらされたのか?
ポスト小泉においても首相は強力なリーダーシップを発揮できるだろうか?なぜそう考えるか?


A4用紙1枚以内で論述せよ。

答案

日本の政治システムには「中心」が存在せず、その最大の理由は自民党の派閥政治にあるとしばしば批判される。すなわち、それぞれの利害抱えた派閥がボトムアップで政策決定をするために責任主体があいまいであるということである。さて、この批判が真であると仮定した上で、小泉政権においてこの批判がどの程度妥当かどうかを考えると、小泉政権は派閥政治であるが局所的にはリーダーシップを発揮したと思われる。例えば道路公団改革等では「丸投げ」をしたが、郵政においては小泉が主導となって改革が行われたというように、である。もちろん郵政分野で自らの主張を通すために他の分野で妥協を図らざるを得なかったという見方も可能だが、郵政問題が一応決着した後の態度をみるとそうとは考えにくい。


小泉が局所的とはいえ官邸主導の政治を実現できたのは、待鳥聡史が主張するように「選挙制度改革と橋本行革という、一九九〇年代に行われた政府に関わる二つの改革の成果を利用」したためだと考えられる。*1小選挙区制度の導入により政党の影響力が増し、また首相官邸と内閣の執政機能を向上したことを小泉が把握し、実際に力を揮ったのだ。しかしその基本設計の判断基準は、依然として派閥に影響されていた。つまり小泉は橋本派の牙城である領域を突き崩し自分の厚生分野を厚くしていったに過ぎない。


もうひとつ忘れてはならない要素は、小泉がマーケティングを援用しパフォーマティブに政治概念提示を行ったため、世論の圧倒的な支持を得られたということである。世論と衆院での絶対多数を背景にして小泉は強行的に党内の反対者を切り捨て外部から竹中平蔵などを登用することなどが可能だった。


しかしポスト小泉においては、首相が強力なリーダーシップを発揮するのは難しいと考えられる。なぜなら官邸主導システムは固まっているが、それがどのくらい機能するかは首相と与党によるからである。制度や機構が整備されていても、リーダーシップが必ず発揮されるというわけではない。


世論支持という観点から言うと、「抵抗勢力」によってできた対立軸はもはや限界であるし、友敵理論は新たな敵を必要とするが、中韓を「敵」と仮想するには不確定要素が多くリスクが高い。安部や福田など次期首相候補の顔ぶれを見ると靖国問題が争点となるだろうし、有権者も積極的にそれに乗るであろうが、外交問題もからむだけに小泉のような独裁的強行や求心力は期待できない。しかし昨今の右傾化を鑑みると、この点を世論は軽く超えて再び熱狂的な支持をするかもしれない。それを梃子に、再び首相がリーダーシップをとることも可能ではある。ただ、これは安部にのみあてはまるシナリオであり、後任者が誰か不確定なため明確とは言えない。それに継続的に首相がリーダーシップをとれるとはいえないだろう。


だが、友敵理論の限界より大きい理由は別にあるように思われる。それはもはや「構造改革」に斬新さがないことである。以前はイメージを先行だけでも良かったが、「格差社会」が提唱されるなど新自由主義的政策の負の部分が意識されだしたため、小泉を支持した「B層」は「痛み」によって政治に醒めてしまっていても不思議ではなかろう。野党が政権を取れるかどうかも不確定だが、少なくともそれがないとすれば、ポスト小泉の首相がリーダーシップを発揮することは難しいと考えられる。

*1:待鳥聡史 「中央公論」 2005年4月号 p177