オルタナティブな暗号開発

検索の方では国産の次世代検索・解析技術の開発が必要であるとして「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」が設立されたりしていますが、同じような論点が暗号にも起きえます。日本は独自に暗号開発はすべきでしょうか?*1


米国政府標準暗号は無償で利用できます。しかもそれは世界中で使われているので、相互接続性の観点からも経済的観点からも日本独自の暗号開発または標準化努力はやめて米国の技術を使えば良いのではないかというという意見も散見されます。
この意見に対する私の考えを簡潔に言いますと、世界標準化努力はしなくても良いけれど日本独自の暗号開発は継続するべきということになります。その理由は2つ考えられます。


まず第一の理由は、合衆国政府標準暗号に合衆国政府用の「裏口」が開いているかもしれないという危惧です。仮にそうだとすると日本としての利益を損なう恐れがあります。
この理由は一見、陰謀説に基づいているようですが妥当性はあって、合衆国政府は暗号の標準規格としてクリッパーチップを受け入れさせることで暗号技術の利用をコントロールし、政府専用の裏口を開けて、他の人がわからない暗号化した会話でも裁判所の命令さえあれば特別な鍵を使ってその会話を解読できるようにしようと、たびたび規制をかけてきたからです。


例えば、クリントン政権はこの技術の創設を確実なものとするために直接規制をかけました。その他の暗号技術をすべて禁止しようとしたのです。この戦略は大論争を巻き起こしたので、合衆国政府は別の手をうつことにしました。クリッパーチップの開発配備に補助金を出したのです。つまり、政府が補助金を出すことでクリッパー技術が一番安上がりになれば、業界はクリッパーを使うことになり、他の暗号技術は淘汰されるということを狙ったのです。市場を利用することで合衆国政府は間接的に規制ができます。
でも、補助金政策は失敗しました。暗号コードの品質に関わる疑念、それが開発されたときの秘密主義、政府主導の暗号方式に対する反対のおかげで、ほとんどの企業はこの技術を採用しなかったからです。
そこで合衆国政府はまた別の道をとることにしました。今度は暗号コードの作者たちを直接規制しようとしているそうです。彼らが製作したコードに裏口をつくらせ、政府がアクセスできるようにすることを義務付けているようです。
このように合衆国政府の戦略をみてみると、合衆国政府標準暗号に合衆国政府用の裏口が開いているかもしれないという疑いはある程度の妥当性があることがわかると思います。そして仮に合衆国政府が裏口をもっているとすれば、日本が損害を被る事例が少なくないということは言うに及ばないでしょう。


次に第二の理由ですが、暗号技術開発拠点の数が減ると多様性も逓減する可能性が高く、長期的に考えると不利益が大きいということがあります。
どういうことかというと、三菱が開発したブロック暗号MISTYおよびKASUMIは第三世代携帯電話(W-CDMA)やGSM携帯電話に採用され、10億人以上のユーザがその利益を享受していますが、仮に1995年以前に「日本独自の暗号開発または標準化努力はやめて米国の技術を使えば良い」ということになっていたなら、MISTYは生まれなかったかあるいは開発が非常に遅れていたでしょう。
MISTY成功の一因として、1995年当時がソフトウエア暗号全盛の時代で、ハードウエアでの実装を想定したMISTYは例外的であったということがあげられますが、そうした例外を許容するのは各開発研究所が競合し、多様な状態を保っているからだと思います。

 
以上2つの理由により、相互接続性の観点および経済的観点を度外視しても日本は独自の暗号開発を継続するべきで、でも相互接続性の観点および経済的観点から言って、世界標準化の努力の必要性はないと私は思います。
オルタナティブな技術開発は必要です。5年や10年でマイナーだったものがメインストリームになるということが情報産業では良くあることですし、何がどうなるかわからないので、最初から投げ出すことはないと思います。

*1:以下は2005年7月6日に三菱電機株式会社情報技術総合研究所の松井氏の講演を聞いて書いた文章。般教講座の課題に対する文系1年のレポートだったので、そこらへんを差っぴいて読んでいただければと思います。