Webで読める著作権に関する資料(2) 著作権保護期間延長について

著作権保護期間延長について考えてみるときの道しるべになりそうな資料を紹介します。なお、このエントリはcopyrightさんのCopy & Copyright Diary - これだけは読んで欲しいを参考にさせて頂いています。

あ、そうそう。あらかじめ表明しておきますと、私は延長反対の立場ですのであしからず。

まずは白田秀彰先生のずばりな記事からです。
「擁護」の方では、1 文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである、2「知的財産戦略の推進」を国策としている我が国は、著作権保護のあり方について国際間の調和を図るべきである、3 我が国のコンテンツ創造サイクルの活性化と国際競争力の向上を図るべきである、という3つの主張について考察しています。
「批判」の方では追加延長保護を与えることを合理的に正当化することは不可能と結論付けていらっしゃいます。

さて、前回の記事で、現在「創作者の生存期間+50年」となっている保護期間をさらに20年間延長しようという計画が進行中であると紹介した。で、そうした保護の延長をなんとか正当化しようとしてみたわけだが、なんとも説得力がないのでヤメた。そこで、保護の延長によって生じる得失を似非経済学的に考察してみることで、はたしてさらなる20年間の保護の延長で私たちが何を獲得し、何を失うのかをネチネチと検討してみようというのが今回のテーマ。

著作者は、自らの作品に対するより強い排他的支配権から、より大きな経済的利益すなわち経済的自由を獲得しうると考えられるからだ。対して、作品の利用者はより多くの対価支払いを余儀なくされる。これは、片方が増大すれば、片方が減少するシーソーのような関係にある。


このシーソーのような関係について調査した記事があります。

保護期間が延長された場合の影響の一つは埋没作品の増加だ。ネット公開などが自由にできない一方、利益が見込めず出版もされない作品が増える可能性がある。
 そこで、近く法改正された場合に影響する57〜76年没の作者について、日本書籍出版協会のオンラインデータベースで、新刊書の入手可能性を調べた。対象は青空文庫の作家年表にあるうち検索可能な360人だ。

一部の有名作品が一層利益を上げる一方、価値はあっても忘れ去られる作品はもっと増えるだろう。「保護」という言葉のイメージとは全く逆の事態が起きかねない。


上記の記事のなかで紹介されている青空文庫の立場表明もwebで読むことが出来ます。名文です。

だが、私たちは、過去に積み上げられた表現を、ただ味わうだけの存在ではない。過去の蓄積に学んで自らを育むと同時に、新しい何かを生み出そうとする主体でもある。
もちろん、高い評価を受けたり、後世に伝わる作品を残せるのは、私たちのごくごく一部でしかない。だが、つくることへの思いは、誰の胸にも育つ。
表現する人に特別の権利を認め、生み出した作品で生活を成り立たせる可能性を示しておくことは、つくることに向かう、私たちの心の励ましとなりうる。


もうひとつ名文を紹介しましょう。

作品が長い年月を経てなお人々に読みつがれるためには、たくさんの読者から選んで頂かなければなりません。人の嗜好にはいろいろと個性がありますから、作品の命を長らえさせることを考えますと、できるだけ広い人に作品の存在を知ってもらい、そうした人たちに読みやすい状態に作品を置かねばなりません。作者を賛える記念碑に石を積むという目的のためには、著作権法の規定でいけば、氏名表示権と同一性保持権は維持しなければなりません。しかし、排他的独占権すなわち「お金を払わない限り読むことを禁止します」という権利は、いくらかの程度で、読んでくれるはずだった読者を拒絶することになります。


さて、ここで「じゃあそもそも著作権ってなんなんだろう?」と根本に立ち返りたくなった方には以下をお勧めします。

商品として販売されている著作物を買わずに済ますためにするような種類のコピーは、結果的に皆さん自身の利益を損なうことになります。だからすべきではありません。その理由については既に説明しましたね。何かの理由で作品の部分的なコピーが必要になる場合があるでしょう。そのコピーが皆さん自身の学習や研究や表現のために必要であるならば、また、その必要な部分だけを簡単に買うことできないのなら、それは容認されるべきと私は考えます。

著作権が、学問や芸術を振興するという目的を掲げている限り、こうした種類の小さな作品や出版物を振興することはその目的に適うことです。だから、著作権を解釈したり運用したりするにあたって、こうした小さな作品を作っている人々に過剰な負担をかけるようにすべきではありません。排他的独占権を厳格に適用して、若い才能の芽や隠れた天才に足枷をかけてしまうことは、結果的には、優れた作品が生み出す経済的利益の一部を受け取ることで成り立っているメディア企業の自らの首を絞めていくことなります。文化や芸術は、かつての天才の作品を骨董品のように崇め奉るだけでは腐ってしまいます。それは、常に新しい価値を求めて変化を続けるダイナミックな運動なのです。新しい才能が自由に表現を広げていくことこそが文化に熱い血を流しつづけるのです。


「皆の意見はどうなんだろう?」と思った方には、はてなユーザ限定の調査ではありますが、このアンケートを紹介してみます。


経済学的アプローチを知りたい方でガチな長文でも読める根性のある方は、林紘一郎先生の論文をお勧めします。『著作権の法と経済学』という林先生の著作に通じるものです。

表現のコストe はz(著作権保護の水準) の増大とともに比例的に増加する。それに対して、作者の粗利R は、z が小さいうちは大きく増加する。しかし、徐々に保護の水準を強化することの効果が薄れていき、ある一定の水準を越えれば、それ以上増加しなくなる。これは保護を強化することが、複製者のコストを押し上げることに由来する。当初複製者のコストが上昇することは、それだけ独占者である作者が提供するオリジナルの価格を高め、作者の利潤を増加させる。しかし、保護の強化によって複製者の採算が全く合わなくなれば、市場に作品を供給できるのは作者だけとなるために、それ以上保護を強化しても(z を大きくしても)R は増加しない。したがって、z がN(純利益が正の場合に作品を創造する作者数=原作品の数)に与える影響は、図1.6 にあるとおり、ある特定の水準( z~ )まではz の増加とともにN も増加するが、増加の程度は徐々に減少し、z~ を超えればN は減少することになる。


最後に著作権保護の延長を求める方たちの主張を紹介しましょう。

「文化は模倣により発展するものであり、著作権はその発展を妨げている。保護期間の延長はそれをさらに助長する。」という意見も時に聞かれますが、大切なのは作品の創作性であり、著作権はその創作性を保護するものであって、他人の表現の模倣や真似による作品を保護するものではありません。そのような著作権の保護を充実し、創作の価値を認めていくことが文化芸術振興の基本であり、そのことが我が国の目指す知財立国の実現につながるものです。
このように考える私たちは、著作権の保護期間を、国際的なレベルである「著作者の死後70年まで」に延長することを要望いたします。

  • 文化芸術が発展し、優れた芸術作品を人々が豊かに享受できるようにするために、著作権保護の充実が必要です。
  • 国際的な調和なくして真の著作権保護も文化交流も実現しません。
  • 著作権保護の充実なくして真の知財立国は実現しません。
  • 戦時加算問題(著作権問題については戦後はまだ終わっていない。)
  • より適正・円滑な利用を促進するために

「保護期間が短いと、それだけ日本の財産が失われることになる。日本のアニメや漫画、文学作品が世界進出する中、世界標準に合わせることが必要」(三田氏)


なんだか延長に対して慎重な立場の話が多くなってしまいましたが*1、もしよろしければこのエントリを参考にして賛否のほどを表明していただけますと、大変嬉しく思います。

*1:でも賛成派へのつっこみはしなかったよ。