著作権と所有の関係についての考察

ナカブロさんが追記にて

 しかしご質問のなかに出ていたロック的な労働価値所有論の観点からすると、著作権法は全然意味不明なんです。

 創作者は自ら著作物を生み出したわけですから、「彼の労働とその手の働きは、まさしく彼のものである」という法格言通り著作権を原始取得する。これはそれほど不自然な考え方ではないように思います。
 ぼくが不勉強なだけかもしれませんが、引用部分だけでは、この考え方の十分な論拠が示されたといえないのではないでしょうか。


ナガブロ: 著作権と所有権の関係について

と仰っていました。申し訳ありません、拙速に過ぎたようですね。少し長くなりますが、このエントリでざっくりとではありますが説明したいと思います。

ロックをおさらい

まずはロックについてうろ覚えだという方のために有名な一節を引用しておきましょう。

すべての人は自分の身体への所有権(Property in his own Person)を持っている。これに対して、彼以外には誰も何の権利も持たない。彼の身体の労働(Labour of his Body)と彼の手の仕事(Work of his Hands)は、まさしく彼のものである。

ロックは「それぞれの人は自分の身体や生命や自由の権利を持っている」という考えを利用して「誰のものでもない天然資源を見つけた人はそれを所有できる(原始取得 appropriation)」ということや「誰のものでもないものに自分の労働をまぜてその価値を増加させた人は、それを所有できる」ということを正当化しました。

知的所有への疑問

では、どうして私は先のエントリで「ロック的な労働価値所有論の観点からすると、著作権法は全然意味不明」などと述べたのでしょうか。とても直裁的でわかりやすいところから引用してみましょう。

「知的所有」という状態を正当化するにあたり、市場での財の取り扱いに関する経済学的必要性から説明するものの他に、人間の知的営為が本質的に完全な所有の対象であるとする主張もされる。その起源は自然的なものである。ある人が発想した情報は、まずその人の身体(頭脳)に宿る。そこにとどめおく限り、その情報は確実にその人、すなわち創作者自身のものである。ジョン・ロックのように、身体の自己所有から所有を論拠づける立場であれば、創作者の身体に宿った情報は、本質的所有の第一位に置かれるだろう。さらに、その情報は、何らかの媒体に固定され支配可能な物となり、創作者の身体から外界に現れる。この段階においても、創作者が、情報を固定した媒体に対して実力的支配を持つかぎり、それは創作者の所有の対象である。しかも、ある情報が媒体に固定された瞬間、その媒体を実力的に支配しているのは、ほぼ確実に創作者であると仮定することができる。仮に媒体の所有権が他者に帰属していたとしても、創作者が実力を行使できる状況にあるからこそ、情報の媒体への固定が可能だからである。
この理論からみれば、創作がなされたとき、情報への実力的支配が創作者本人にあるのに、著作権が原始的に雇用者に発生するものとする、わが国の法人著作、映画の著作物の著作者に関する規定は、自然的所有の原則に反している。


「知的所有について」 白田秀彰岩波 応用倫理学講義〈3〉情報


以上でひとつめの疑問を提起できたと思います。

しかしさらに敷衍すると次のような疑問も考えられます。「私が労働したお金で手に入れたCDなのにどうして思い通りにならないことがあるの?」所有権には占有・利用・譲渡・処分・消費・貸与の権利が含まれます。だから自然権的な所有論から言うとこのへんもちょっと説明が難しそうです。

疑問の分析

後者の点について述べておきたいのは、いわゆる「知的所有」は「(近代的)所有」*1の一形態ではないということです。

実際にその制度が強制していることは、購入者が持っている実力的支配を制限することであり、全世界に対する対人的請求である。本来購入者が持っていた、物に対する実力的支配を法によって制限するものだから、知的財産権制度は所有権とは本質的に異なる。事実、著作権にしても特許にしても、原初的な形態は、一般的な対人的請求(命令)の実力をもつ権力者から特定人に与えられた、他者の自由を制限する特権 (privilege) であった。これらが何らかの意味での権利であると認識されるようになった18 世紀に至っても、排他的権利 (exclusive right) と記述された。一般の人々が情報財を財産権の客体であると認識するようになっても、長い間、それが財産権あるいは所有権 (property) であるとの記述を、法の専門家たちは注意深く避けてきた。
留意すべきことは、情報流通産業を保護するためになされた、複製物の購入者の所有権の制限が、情報財に対しての権利主張者に、あたかも所有権を保有しているかのような状態を発生させたに過ぎないことである。(前掲書)

著作権の正当化

所有から考えるあるべき著作権の姿

(眠いので翌朝につづく…と思います、たぶん)

*1:「所有」概念の歴史的変遷というものがあるので注意。ただし森村進先生が指摘しているように「少なくともわれわれが自然に考える所有権の典型は、対象物に関する様々の権利と負担が同一の人物に帰せられる、リベラルな所有権」であり、「日常的な意味での所有権の観念が歴史を通じてかなり共通であるという事実」はあります。『財産権の理論 (法哲学叢書)』参照