目的
「アンケートして、今のとこどういう方向に持っていきたいと思ってるのかな??」というご質問をいただいたので、今日はそれについて答えたいと思います。
漠然とした言い方になっちゃうけれど、このテーマに関して自分の「立ち位置」をはっきりさせるというのが今回の一番の目的です。そしてその「立ち位置」にいたるまでの経過を世に晒して、不特定多数の人に現在知財法がおかれている状況というのを一緒に考えてもらうというのが二番目の目的。
現在の「立ち位置」:レッシグ教徒!?
さて、私がどうして知財に関心を持つようになったのかは既に述べました。なので最近まで「権利者を守るために、ネットとか法整備しなきゃ。でも、盗作とかパクリすれすれでも皆に作品見せたいって気持ちはわかるんだよなー。誰でも最初は人をまねていろいろ覚えるんだし」とぐしゃぐしゃ思ってました。
そして最近になって『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』
- 作者: ローレンスレッシグ,山形浩生,柏木亮二
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2001/03/27
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 57回
- この商品を含むブログ (107件) を見る
レッシグ先生がなにを説いてるかっていうと(私なりの要約ですが・・・)ネットが規制可能かどうかは場合によるし、規制が不可能か可能かはそのネットのアーキテクチャによって決まるよ、と。ネットワークの規制・制御のしやすさは設計によって変えられる。変えて、規制しやすいネットワークにできるし、それはインターネットのコード群にコントロールを可能にするようなプロトコル群を追加するだけで成り立つ(らしいです)。それで、現在のネットにはいろいろと「欠陥」*1があるけど、技術の進歩によって将来的には解消できる。そうすればネットは無法地帯ではなくなって秩序ある空間になるけど、同時にネットは完全な管理のツールになっちゃう。コントロールが限られていた空間ではじめて自由は可能になるからね。それは良いことなのか、とレッシグは問いかけてます。そしてさらに、この良いこと、正しいことなのかどうかっていう議論は間にあわないだろうと予測してるんですよ。なぜかって、商業は信用に基づいていて、信用は基本的に、取引相手の同定とその証明書の確認によって成り立っているし、国の規制も同じものに基づいてるから、両者が手を結べば法と市場(ものの値段で行動を規制するもの)の両面から規制を強化し、全体としての方向性は確実に規制強化に向かうことになるだろうからと。
じゃあサイバースペースでの著作権はどうなの?っていうと、レッシグはこう考えてる。今は法律で保護しきれない部分があるけれど、保護の不完全さ(引用したり、時には友達にコピーして紹介すること)には価値があって、これまでの規制は意識的にその不完全さを保護している部分と、物理的に保護しようがないから放置してた部分とがあった(このへんのレッシグの洞察がめちゃめちゃすごいなって思う)けど、ネット上でアクセスと利用を規制する力はほとんど完璧に近くなることが予測される。保護が完成したら不完全性を保証するものはいなくなっちゃう。市場も政府も「欠陥」をシステムに盛り込む必要はないから。だけど、保護の不完全さに本当に価値があるならば、不完全さを確保しなくてはならないんだ!
私は価値があると思う。引用とかインスパイヤとかサンプリングとかいろいろあるけど、そういうのがひとつの作品としてある程度認められてるんじゃないかと思うからだ。その理由はまた後日述べます。
第一の目的とのつながり
こうした議論があるわけだけれど、でも本当にこれでいいのか?ということを考えたい。さらにこの議論が正しいとするなら、レッシグは不完全さの確保を求める人は自由を守るために適切な規制を政府に求めなければならないって主張してるけど、でも本当に政府に求める問題なのか?ってところも考察していきたい。