3つの情報化社会論

今週に入ってから、何だか知り合いの男性たちほとんどが殺気立っていてこわい・・・。世情の圧迫というのは、時としておそるべきものがあるようです。
というわけでチョコの話はなしにして・・・情報化社会論の古典とも言うべき論文について。


まずは梅棹忠夫の「情報産業論」。
この論文の発表は、なんと1963年。情報化社会論としてはかなり早いです。そして内容も非常に独特。文明の発達を、生物学の発生過程になぞらえています。
細胞分裂の過程で、最初に現われるのが内胚葉で、内胚葉は内臓になっていきますよね。で、次に現われるのが中胚葉。これは筋肉とか骨格になります。そして、最後に外肺葉が現われ、これが神経系をつかさどっていくわけです。これって文明が農業社会から工業社会を経て、精神社会へと展開してくってことなんじゃないかと考えて、次に来るのは情報産業じゃないか、と梅棹は指摘したわけです。これだけ読むと結構電波な感じですが(笑)比喩としてよくできていますし、直感として伝わりやすいです。そして何より先見性がありました。
まとめると、梅棹の功績は、工業社会の後に何が重要になるかを社会発展論的に考え、細胞分裂という異分野と結びつけたこと、それから情報産業の重要性を説いたことにあると言えるでしょう。


次にDaniel Bellの「脱工業化社会の到来」(1973年)。
Bellは経済活動や産業構造などを梅棹よりこまかくに論じました。資源とエネルギーを大量に用いて製品を生み出す大量生産型が中心の産業構造から、情報やサービスなどを扱う産業が急速に成長し、これらの産業やネットワーク・システムが有する市場情報や消費情報が、工業生産の過程に大きく影響すると言ったのです。
つまり、Bellはポスト工業社会の未来社会像を全世界的に提示したのです。そして情報社会が工業社会に取って代わるのではなく、工業生産システムが変容する注目だろうとしてきたわけです。


最後はAlvin Tofflerの『第三の波』(1980年)。
Tofflerは文明史的な流れに沿って3つの「革命」を示していています。一番目が「農業革命」、二番目が「産業革命」、そして三番目に「情報革命」が来ると考えたのです。
彼は①「農業革命」によってたくさんの農作物が余るようになって冨の蓄積につながり、社会構造が規定した②「産業革命」によって製品がたくさん作れるようになって富の再配分が起き、経済格差を生んだ、ということを指摘しました。だからまた情報革命によって人々の生産や時間への価値意識が変化するだろう、と論じたわけです。
Tofflerの功績は、情報革命によって人はどう変わるかを考えたとこにあると思います。でも、あまりに楽天的過ぎる未来像じゃないかという批判も強かったようです。