青少年ネット規制法について予見したかのような新司法試験問題の答案例を公開する

個人的には「なぜ今更?」と思うが(試験自体は5月であった。当時の感想はtumblrを見てね)、つい先ごろ平成20年新司法試験公法系第1問が話題になっていたようである*1
というわけで、とりあえず設問1だけであるが、私が作成した答案例を公開してみる。
問題文自体は公開されているが、架空の法律である「フィルタリング・ソフト法」の条文、法の委任により有害情報を定義する内閣府令、内閣府広報資料「フィルタリング法に関するQ&A」などが資料として含まれているので少し長い。お時間のない方は、辰巳法律研究所新司法試験・論文式試験の分析から概要をうかがい知ると良いでしょう。

なお、これはあくまでも答案例である。どの程度妥当かはわからないし、保証もできない。現役の新司法試験受験生の方が何人か答案を再現しているので、そちらも参照していただきたい*2。そして添削してくれるという方がいたら歓迎します。

答案

一  弁護人としての意見*3

1  本件被告人Aは平和問題と死刑存廃問題に関係するウェブサイト(以下「本件サイト」という。)を管理運営していたが、フィルタリング・ソフト法施行後に本件サイト全体が有害ウェブサイトとして指定され、すべての子どもと適合ソフト削除手続きを行わない18歳以上の者が閲覧できなくなったことに対応するため、適合ソフトが搭載されていても本件サイトを閲覧できるようにするプログラムを開発し、インターネットを通じて提供したとして起訴された。
しかしながら本法自体が憲法違反につき無効であるため、被告人は無罪である。
以下、その理由と趣旨について詳述する。


2  被告人のプログラム提供行為と表現の自由について
(1) 本法は、「有害情報から子どもを保護」し、また「有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益」を守るため(フィルタリング・ソフト法1条、資料3のQ1参照)、インターネット接続機器の製造・販売者にフィルタリング・ソフトの搭載を義務付け(同8条)、内閣総理大臣が検査し認定した適合ソフトを削除または使用目的に沿うべき動作をさせないプログラムを提供してはならないとされている(同16条)。
被告人は、上記の通り本法16条1項2号に反して他人に適合ソフトを無効化するようなプログラムを提供した。この行為と後述する表現の自由や子どもの権利などがどのように関わってくるのか、憲法上の問題点に触れる必要性と適格について、まず述べたい。
(2) 本法によって、新たに製造・販売されるインターネット接続電子機器にフィルタリング・ソフトの搭載が事業者を通じて間接的に義務付けられており(同8条)、既存の適合ソフトが搭載されていないインターネット接続電子機器を有する者はフィルタリング・ソフトの搭載を求めることができる(同10条)。フィルタリング機能を望まない18歳以上の者は、販売業者に所定の手続きに従って削除請求しなくてはならない(同9条)ということになっている。
したがって、18歳未満の子どもやフィルタリング機能を望む18歳以上の者、フィルタリング機能を望む18歳以上の者だが手続きを行っていない者に対して被告人の表現を届ける手段がないことになる。つまり適合ソフトを無効化するようなプログラムを提供しないことには、実質的に表現の禁止になっている。被告人が提供したプログラム自体は表現とは言えないが、しかし表現へのアクセスを確保する実質的な手段として必要であったのであり、ここに被告人のプログラム提供行為と表現の自由について深い関連性があり、憲法上の主張を行うものである。
(3) また、後述する内容には子どもの権利に関する言及もある。憲法上の問題点について論じる際は、付随的審査制という性質を鑑みて第三者による権利主張は認められないのが通常であり、被告人にはこれら子どもの権利に関して主張する適格があるのか否かが問題となる。
しかし違憲状態におかれている個人の権利を救済するという保障機能を重視し、また、表現の自由という人権の重要性と援用によって子どもに不利益を与えるおそれはないことを鑑み、例外的に主張を認めるべきであると考える。


3  検閲について
(1)  では、違憲と主張する趣旨について述べる。フィルタリング・ソフト法および内閣府令等は、特定の情報をフィルタリング・ソフトという技術的手段を用いて閲覧できないようにしており、検閲にあたる可能性がある。憲法は21条2項で「検閲」を禁じているが、その意義が条文上明らかでなく問題となる。
(2) 歴史的沿革や経験則から鑑みると、行政権が表現の自由を侵害する場合が多い。このような侵害を防止すべく、検閲の主体は行政権とすべきである。
また検閲の対象についてだが、税関検査事件(最大判昭59・12・12)において判例は「思想内容等の表現物を対象」としているものの、事実や認識と思想の区別は困難であることから、表現行為一般とすべきと考える。
そして検閲の時期について同判例は、「発表前にその内容を審査」するものとしているが、表現行為は表現を受けとる行為と密接不可分な関係にあるから、受領前とすべきである。戦前の出版規制が、発表自体を自由としていたものの出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査して、発売頒布時に取り締るという運用をされていたことを考えても、発表後に表現内容を審査した上で発売や頒布を禁止することこそが「検閲」にあたるというべきである。
(3) 以上の定義について本件を見るに、まず本件サイト内にあるウェブページの大半が有害ウェブページとして指定され(フィルタリング・ソフト法2条1項2号)、さらに本件サイト自体も内閣総理大臣によって有害ウェブサイトに指定されている(同4号)。指定にあたっては学識経験者から成るフィルタリング審議会への諮問が義務付けられているが(同13条2項2号)、当該審議会は内閣府内に設置されている(同1項)ことを考えれば、なお行政権が規制主体であると言える。
次に、本件サイト内にある有害情報として認められたのは戦場における死傷者の無残な画像や公開処刑の画像等であったと考えられる。しかし被告人は、年齢に関わらず全てのひとが真実を知った上で平和問題や死刑存廃問題について考える必要があるとの信念のもとに当該情報を配信しており、不快感を与える情報だけでなく、問題提起を含む被告人の思想内容等の表現物も掲載していたものと考えられる。このことは、フィルタリングによって遮断される以前に本件サイトに寄せられた意見の多くが、平和や死刑問題について熟考を喚起された旨を示していることからも裏付けられるだろう。したがって、検閲の対象たる表現行為一般としても、さらに「思想内容等の表現物」としても認められるものと考える。
また、本件サイトはフィルタリング・ソフト法施行以前から公開されていたが、発表後に表現内容を審査した上で発売や頒布を禁止することが検閲であるとするならば、検閲であるといえる。
以上より、本件は検閲にあたる。
(4) なお、検閲の禁止の程度も条文上必ずしも明らかではないが、憲法は、事前抑制禁止法理を導きうる21条1項とは別途にあえて21条2項を規定している。このことから21条2項の趣旨を考えると、国民の知る権利と機会を全面的に奪うという検閲の性質上、表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであり、禁止の必要性が特に高いことから、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めないものだというべきである。したがって、検閲は絶対的に禁止される。
よって、本件は検閲に該当し違憲である。


4  表現の自由に対する侵害について
(1) 仮に検閲にあたらないとしても、表現の自由について侵害が成立しているものと考える。本法では、発表は確保されているものの表現の受領を妨げており送り手の権利を侵害している。また、受け手の知る権利も侵害している。よって、表現の自由憲法21条1項)に反し、法律全体が違憲無効となる。
(2) もちろん表現の自由も絶対無制約ではなく、内在的制約原理たる公共の福祉による制約を受ける。では、公共の福祉による最小限度の制約か否かはどのように判断するべきか。
精神的自由への侵害は、経済的自由への侵害と異なり人格形成発展に直接関わる重大な権利であるし、民主政の過程で回復が不可能である。精神的自由に関する審査は裁判所の能力でも問題にならないから、経済的自由に対する規制立法よりも厳しい基準によって合憲性を判断すべきである。
さらに表現の内容に着目した規制であるならば、当該規制の恣意的運用により表現の自由が脅かされる危険性が高い。よって、目的の正当性と、目的と手段の合理的関連性を厳格に審査するべきである。
(3)ア このことを踏まえて本件をみるに、本法の目的は前述の通り、子どもを有害情報から保護することと有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益を保護することの2点がある。
第一点目として子どもに対する保護について考えると、確かに青少年の健全育成という法益自体は尊重されてしかるべきであるし、憲法も成年制度を採用している(15条3項)のであるから、子どもを保護する必要性は認められる。だが、18歳未満の子どもも日本国民である以上、人権享有主体であることは明らかであって不当な権利制限は許されない。
そして子どもの健全な育成という観点から言えば、猥褻表現や暴力表現などを見せることは好ましくないが、発達段階に応じてそれら有害情報との接し方について学んでいく必要がある。また、子どもにとって何が有害で何がそうでないかどうかは家庭や地域などによって異なっているものと考えられ、そうした事情に応じてきめ細やかな対処をしていくべきである。
また、有害情報を閲覧したからといって直ちに犯罪や非行、暴力行為や性風俗の乱れなどに繋がるわけではないことは経験上明らかであるし、各種社会学的調査などにおいても、有害情報の閲覧が青少年の健全な育成へどのような影響を及ぼすかについてコンセンサスが取れていない状況であって、社会科学的根拠という意味では不十分であって、検討を有する問題である。
したがって、本法は国家による過度の介入であると言える。
イ 第二点目として18歳以上の者に対する保護について考えると、有害情報にさらされずにインターネットを使用したいと考える大人の利益は保護に値するものの、18歳以上の者であれば自らの判断によってフィルタリング・ソフトを導入し、情報を取捨選択することが可能であって、これもまた国家による過度の介入であると言える。
よって両目的とも、国家が介入し保護すべき問題ということはできず、立法目的は正当化できない。
ウ 以上より目的に正当性がないことは明らかであるが、目的と手段の合理的関連性についても念のため考察する。
既に述べたように、子どもと言えど不当な権利制限は許されないから、年齢面での発達段階、制約される自由の重要性および制約の課される文脈等を考慮して判断すべきである。本法は、子どもによる情報の取捨選択権を一定程度奪い知る権利を侵しているのにも関わらず、年齢を問わず一律に規制をしているようであり、発達段階への配慮が見られない。仮に適合ソフトにおいて何らかの年齢別オプションが選択できるようになっており、実質的には発達段階への考慮が見られたとしても、法令に書き込まれていないのであれば、明確性を欠いており不当であると言える。
また、18歳以上の者に対してはフィルタリング・ソフトの搭載を義務化するより先に、フィルタリング・ソフトについて普及・啓蒙活動をすることができたはずである。資料3によれば、統計上「フィルタリング・ソフトについて認識が極めて低いことが確認」されているのだから、まずはキャンペーンによる認知向上や各種補助金助成金等を用いて普及促進を図るべきであって、フィルタリング・ソフトの搭載義務化は拙速である。
削除したい旨の申出がない限り削除できないことも手段として過大であって、削除禁止および適合ソフトを無効化するソフトの配布禁止は行き過ぎである。なぜならフィルタリングを望まない大人が適合ソフトを削除する手間と、フィルタリングを望む大人が適合ソフトを使い続ける手間との差が大きく、両者の実質的平等を考えるのであれば、望まない大人が手軽にアン・インストールを行うような方法を確保するべきだからである。おそらく適合ソフトは子どもがフィルタリング機能を簡単にオフにすることができないような設計になっているはずであり、そうであるならば、適合ソフトを望まない者がソフト自体を削除できることが望ましいであろう。
有害ウェブページを多く含んでいるサイトを有害ウェブサイトとして指定し(同2条1項4号)、有害情報を含まないページまで閲覧できなくさせるという構成にも問題がある。前述の趣旨に鑑みれば、規制は必要最低限でなければならないのだから、有害ウェブサイトと指定されたウェブページのうち有害情報を含まないページに対しては不必要な規制であると言うほかない。もちろん、ウェブページは更新し増設することが可能なのであるから、有害ウェブサイトとして包括的に指定することの必要性はある程度認められる。だが、表現の自由の重要性や萎縮効果のことを考えると事前抑制禁止の法理が妥当し、各有害情報・有害ウェブページを個別的に指定していくことのみが許容されうる。
なお、有害ウェブページや有害ウェブサイトは、10人以内の審議会委員の調査と内閣総理大臣の指定によって規制対象となる。この指定方法も少数者による恣意的運用を招くおそれがあり、また、有害情報指定理由の通知規定が無いなど手続き的にも整備されておらず、合理的とは言いがたい。
以上より、目的と手段の合理的関連性についても認められず、本法は違憲である。

5  罪刑法定主義と罰則の委任について
(1) フィルタリング・ソフト法2条1項2号は有害情報について定義しているが、「インターネット上で流通している情報で、子どもに対し、著しく性的感情を刺激し、著しく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして…子どもの健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの」というに留め、また、その定義内に内閣府令の基準に該当することを要件のひとつとして挙げている。
憲法31条は、罪刑法定主義を定めているが、当該定義規定は、31条に反しないのだろうか。
(2) 仮に、罰則の制定を政令に無制限に委任できるとすると、国家による不当な罰則権行使を防止し国民の権利を守るという31条の趣旨を没却することになると思われる。
よって、犯罪構成要件については立法目的と概括的構成要件は法律で定めなくてはならないし、また、刑を定めるについてはその原則が法律で定められなければならない。そして、罰則の制定を委任する場合、行政権の裁量が広範に失するものは違憲となるべきである。
(3) 本件の場合、立法目的については本法1条により明らかであるものの、犯罪構成要件たる有害情報の定義要件の一部に内閣府令の基準に該当することが含まれており、概括的構成要件すべてが法律によって定められているとはいえない。また、本法内の定義規定が抽象的である点を鑑みると、行政権の裁量が広範であるといえる。
したがって、フィルタリング・ソフト法2条1項2号は憲法31条に違反する。
(4) しかし、詳細な基準については内閣府令に委任するという形式をとっているとみることもでき、それによって上述したような違憲のおそれを回避しうるかもしれない。だがそのような場合でも、憲法31条の要求する刑罰法規の明確性の問題が残る。
どの程度の明確性が31条によって要請されているかは、条文上必ずしも明らかでない。しかし、法律の恣意的適用による人権侵害の危険性や禁止行為が漠然であるがゆえに生ずる萎縮効果への懸念を趣旨として求めるのであれば、人権侵害や萎縮効果の生ずる恐れのある一般国民の理解を判断基準として、適用範囲が明確か否かを考えるべきである。したがって、通常の判断能力を有する一般人が不明確と感じるならば、違憲である。
(5) 本法は前述のように有害情報について定義しているが、最終的に何が有害情報にあたるかは、通常の判断能力を有する一般人と一口に言っても、当該人のもつ倫理観などによってばらつきが生じるおそれがある。よって、本法の規定だけでは不明確であり、違憲のおそれがある。


6  以上によれば本法は違憲であり、被告人は無罪とすべきである。


7  ここまでは文面審査による法令違憲の可能性について述べてきたが、適用違憲の可能性も予備的に主張する。
本法は子どもの健全育成を考える上で有害と思しき情報を規制するが、資料2の内閣府令1条1項2号ロからニを読むに、有害情報のなかでも「著しく残虐性を助長」する情報について規制しているとみられる。しかし、同号ロまたはハに該当するからと言ってすぐさま違法とすべきではないだろう。例えば、医学書は肉体的精神的苦痛について表現する場合もあるだろうが、正当行為として違法性が阻却されると考えられる。
本件においても既に述べた通り、フィルタリングによって遮断される以前に本件サイトに寄せられた意見の多くが、平和や死刑問題について熟考を喚起された旨を示している。そして、不快にさせるおそれのある情報の閲覧前には警告文が提示されており、不意打ち的に閲覧してしまうことがないように配慮されている。このことから、子どもなどに悪影響を与える差し迫った危険性はないと言うべきである。
したがって、本件起訴処分は法適用を誤った判断であり、被告人を無罪にすべきであると主張する。

(設問の2へ続く)

*1:タイムラグが司法試験界隈のマイナーさを表しているようで面白い

*2:私が見つけた範囲では http://blogs.yahoo.co.jp/unyieldingspirit2007/23509108.html や http://yaruze08.seesaa.net/article/98035364.html#more 、あと2ちゃんねる再現スレなどが参考になると思う

*3:本来であれば、このあとに設問2で問われている検察官の主張と自身の見解を書かなくてはいけないが、今回は設問の1だけ公開し、残りは後日公開する

せっかくなのでCCライセンスとニコニ・コモンズの互換性について検討してみる

ひとつ前のエントリでCCライセンスやGPLへの互換性などを持たせてくれるとすごく嬉しいなどど言ってみたものの、言っただけだとさすがにわがまますぎるのではないかと反省した。というわけで、実際にどうすればCCライセンスと互換になりうるのか、という点について考察したい。

ライセンスのパターンを比較する

現行のCCライセンス(JP)は氏名表示(BY)がデフォルトで

  • 氏名表示(BY)―改変禁止(ND)―非営利(NC)
  • 氏名表示(BY)―改変禁止(ND)
  • 氏名表示(BY)―非営利(NC)―継承(SA)
  • 氏名表示(BY)―非営利(NC)
  • 氏名表示(BY)―継承 (SA)
  • 氏名表示(BY)

という以上の6種類をサポートしている。対してニコニ・コモンズでは作品改変許可 (Dとする)がデフォルトで

  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト非限定 (S)
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト非限定 (S)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト非限定 (S)

という状況になっている。ここで少し整理してみよう。CCライセンスにおいて改変禁止(ND)になっていないものは改変しても良いし、非営利(NC)を選んでいないものは営利目的で利用しても構わない。ニコニ・コモンズは作品の利用状況の追跡が可能であるから、氏名表示(BY)が満たされるものと仮定する。そうなると、

  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト非限定 (S)
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト非限定 (S) ≒ 氏名表示(BY)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト非限定 (S) ≒ 氏名表示(BY)―非営利(NC)

ということができると思う。つまり2つのライセンス・パターンにおいてライセンス互換ないしデュアルライセンスへの道が開かれていると言える。

CC+で「営利許可・別途許諾必要」に対応できるかも

さらに、知らない人もいるかもしれないが、少し前に公開されたCC+というものがある。これは、morePermissions*1の延長線上にあるもので、営利目的の利用に関して類型化したものだ。今までもmicroformatたるmorePermissionsに「非営利にしているけど、営利で使いたかったら連絡してね」などの記載はできたのだが、2つの欠点が生じていた。第一に、ライセンスによって許される利用が複雑化して、ひと目見ただけではわからなくなってしまうこと。第二に、当該部分には機械可読性がなく、ユーザによる勝手な解釈や創作を許容してしまうことである。
この欠点を類型化により処理しようとしたのがCC+である。当初からmorePermissionsを使って同様のことは出来たが、CC+というツールを別に用意して「可視的に見えるかたちで」more Permissionsを使えるようにしたのである。CC+が無い場合は、見た目だとCCライセンスのマークしかないから別の条項があるとはわからないが、CC+のマークがあれば、別の条項もあることが「見た目」で分かる。一般のCCライセンスとの判別もできる。そしてCC+はCCの3層構造に対応する形でつくられていて、RDFについてもmorePermissionに追記する形で対応している。
でも日本で使えるかはよくわからん。以前CCJPに問い合わせてみたことがあったが、返事が無かった…。CC+やCC0の取組みを紹介する記事もCCJP内には見つからない…。

一応、CC+の利用事例として紹介されているなかに

Restrict commercial use with a CC license with the NonCommercial condition, and then use a separate agreement with some party (could be yourself or third-party) to broker commercial rights (licensing, sales, reproduction, etc).
NC(非営利)であるCCライセンスによって商業用途を制限します。次に、当事者(自分か第三者であるかもしれない)との別個の合意を利用して、商業的権利(認可、販売、展示など)を仲介してください。

とあるので、CC+が日本で使えるなら「営利許可・別途許諾必要 (C+)」というオプションも満たすことが出来る。すると、

  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可・別途許諾必要 (C+)―サイト非限定 (S) ≒ 氏名表示(BY)―非営利(NC)―CC+
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―営利許可 (C)―サイト非限定 (S) ≒ 氏名表示(BY)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト限定 (NS)
  • 改変許可(D)―非営利 (NC)―サイト非限定 (S) ≒ 氏名表示(BY)―非営利(NC)

ということになって、ニコニ・コモンズ対応サイトへの掲載目的に限定しないパターン3つは、CCライセンス対応の可能性があるということになる。

というわけで、互換できる部分は互換していただけるとありがたい。CCライセンスはそれなりに世界的に普及したライセンスであって規模の経済が働くから、ニコニ・コモンズにとっても悪い話じゃないと思う。

また、RDF の語彙を使って morePermissions のような記述を加えることは可能であることは指摘しておきたい。さらに、CCライセンスを定義するRDFを利用して独自ライセンスを記述することもできる*2。CCライセンスの採用した3層構造というのは良いアイデアだと思うので、互換性の話は別にしても、できれば実装してほしいと願う。

*1:CCライセンスにつけられる追記のようなもので、連絡先や追加的な許諾を記載するスキーマ

*2:http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000371.shtml および http://www.baldanders.info/spiegel/log2/000374.shtml を参照のこと

ニコニ・コモンズの法的安定性への懸念がほぼ払拭された件について

「ニコニ・コモンズについて」という文書が公開され、ニコニ・コモンズの指針と詳細が明らかになっている。以前のエントリで、私は「ニコニ・コモンズはライセンスではなく利用ルールないしガイドラインである」と指摘した上で、

しかし、ニコニ・コモンズではこれが可能であると言う。おそらくこれは、ニコニ・コモンズはライセンス契約ではなくガイドラインであり、著作者の一方的な宣言によって事後的に変更することが許されているからであろう。それは「柔軟」かもしれないが、利用者にとってみれば当初の利用条件が変更されるというリスクが大きく、法的安定性に欠く。

というリーガル・リスクに関する懸念を表明していた。

その甲斐あってか、それとも全く関係なく予め企図されていたのかはわからないが、私の懸念が払拭される形でルールが定められたようである(強調部分は引用者による)。

ライセンス条件の変更

  • 作品の登録者は、設定したライセンス条件を後で変更することができます。
  • ライセンス条件変更の効果は、原則として変更後の利用(ダウンロードではないことに注意)に対してのみ及びます。
  • ライセンス条件変更の効果は、原則として変更前の利用に対しては及びません。
  • 登録者は、利用条件を変更することによって利用者に不利益を生じさせる場合があることを十分考慮したうえで、条件の変更を行うことが期待されます。
  • 一般的にライセンス範囲を拡大する場合は不利益を生じさせる可能性が少ないと考えられるため、最初はライセンス条件を限定的にしておくことをお勧めします。
http://www.nicovideo.jp/static/niconicommons/rule.html

利用した作品が削除された場合の対応

  • ニコニ・コモンズに登録された作品が権利侵害等の理由で削除された場合、その作品をダウンロードした利用者にその旨の通知が行われます。
  • 権利侵害による削除の場合、削除された登録作品を利用している利用者は、派生作品の公開を中止するなどして、権利侵害をしない措置を取る必要があります。
  • 公序良俗違反による削除の場合、原則として派生作品の削除などを行う必要はありません。
  • 登録者による削除の場合は、許諾が中止されたものとみなします。中止の効果は利用条件の変更と同様に原則として削除以前に公開されたものには及びません。また、権利侵害による自主削除の場合は、派生作品の公開を中止するなどして、権利侵害をしない措置を取る必要があります。
http://www.nicovideo.jp/static/niconicommons/rule.html

この点に関するニコニ・コモンズの対応と配慮に感謝する。上記のことが明示されたおかげで、利用条件が変更されるかもしれないという利用者にとってのリスクが、かなり軽減したと思う。

…でも、この際もっと欲を言わせてもらえば、CCライセンスにおけるリーガル・コードのように、ライセンスの契約書として有効な利用許諾条項をライセンス条件パターンに合わせて用意してもらえると、さらに嬉しい*1

契約書(あるいは法律そのもの)は、煩わしくて面倒なものとして嫌われがちであるが、発生するかもしれないトラブルについて事前に備えておくという意味で非常に有用である。そして、本件について*2そうだったように、契約書を作成することには、両当事者の得るものと与えるもののバランスを考えて妥協点を探り明確化しておくという効果もあるのである。法は心配性な親のようなもので、ときどき煩わしくもなるし悪事を働けば恐い存在だが、基本的に当事者にとって幸いなものではないかと思うのだ。

*1:もっと強欲になってとりあえず言ってみると、CCライセンスやGPLへの互換性、ピアプロのライセンスの乗り入れ機能などを持たせてくれるとすごく嬉しい

*2:私の指摘を見て直してくれたんじゃないかという妄想を前提とすると

ニコニ・コモンズとクリエイティブコモンズ・ライセンスの誤解について瑣末な点ながら指摘する

id:akasataさんが「ニコニコ大会議で発表されたニコニ・コモンズを考えてみる」というエントリにてニコニ・コモンズとCCライセンスについて比較検討している。しかし、私から見ると少し誤解を含んでいるように思える。当該エントリの主旨とはあまり関係がないのかもしれないが、一応指摘しておきたい。以下、引用部分は上記エントリからである。

CCライセンスでも公序良俗に反する利用は一部対応可能

クリエイティブ・コモンズで対応しにくい事例として最初に提示されていたのが公序良俗に反する利用への対応であった。氏の記事によると、ニコニ・コモンズにおいては

- この素材はニコニコ動画以外でも使って構いませんが、公序良俗に反するコンテンツで利用するのはやめて下さい(ニコニ・コモンズニコニコ動画公序良俗の規定がありますが。)

という対応をとるようである。
では、CCライセンスは公序良俗に反するような利用を禁止できないのだろうか。
あまり知られていないのかもしれないが、日本版のCCライセンスでは、ver.2から著作者人格権について名誉声望を害するような改変の場合には同一性保持権(著20条1項)が行使できることになっている。なお、CC全体ではv3.0によって著作者人格権との整合性が図られた*1
したがって公序良俗違反を全てカバーできるというわけではないだろうが、著作者の名誉声望を害するような改変の場合であれば、CCライセンスでも対応可能である*2

期限付ライセンスの技術的困難さと、期限付利用を認めることで失われること

クリエイティブ・コモンズで対応しにくい事例の2つめとして挙げられているのが、期間限定で利用可能性であった。

埋め込み型の期限付きライセンスはCCライセンス策定時にレッシグも悩んだ問題である。結局CCライセンスは期限付きライセンスというものを持たなかった。実装されなかったのは、技術的ハードルが高かったからだと風の噂で聞いたことがあるが、現在検討されているかはわからない。

pdl2hさんによると、期限付きライセンスの難しさは、あるデータがライセンス変更前のものか後のものか判別しにくいことにあるという。それ以外にもライセンスを不特定多数に対する契約として考えた場合に、ライセンシーとの間でライセンス変更の合意が得にくいという問題もあるという指摘もされている。

後でも述べるが、ニコニ・コモンズはライセンスではなく利用ルールないしガイドラインである。ガイドラインであり、そしてサービスの枠組みの中で利用者が管理され追跡可能であるような設計をしているからこそ、上記問題点をクリアできるのだろう。逆に言えば、そこがニコニ・コモンズの限界を画することになる。

CCライセンス付きコンテンツはGoogleYahoo!flickrでも検索できる

良いコンテンツは既にネット上にある、ただそれを見つける方法がわからないだけでも書いたのですが、ネット上には億単位でライセンスフリーな素材が存在していると言われています。ただ、それを効率よく見つける方法は今のところなく、「再利用されることを前提にした素材の集積」はそれだけで価値があります。
これは結構ありがたいと思います。

主張の部分はまったくもってその通りなのだが、再利用されることを前提にした作品を「効率よく見つける方法」については、既にいろいろなアプローチが存在している。
検索大手では、最初に米Yahoo!が、次いでGoogleがCCライセンスを採用しているコンテンツのみを検索できるインターフェイスを整えた。私の場合は、Firefoxの検索バー内にCCタブがあるので、それをときどき利用している。もっと頻繁に利用しているのは、flickrCCである。大変上質な写真を素材としても入手できて便利である*3


以上はとても瑣末な指摘であり、おそらくはCCの広報不足が主たる原因なのではないかと思う。しかし、以下については全体の主旨に関わる問題であると考える。

ニコニ・コモンズはライセンスではなくガイドラインである

ニコニ・コモンズはライセンスではなく利用ルールないしガイドラインであると述べた。この点については、サブマリン特許のような弊害を生むのではないかとの懸念が既に表明されている。
サブマリン特許の弊害とは、かつての米国などでは特許出願段階では非公開だったため、補正等の手続きを繰り返して成立が遅くなった(時としてあえて遅らせた)場合、当該発明が一般に広く普及してから突如として特許発明であることが明らかになるところが、あたかも潜水艦が浮上するようであったこと(そして多くの場合、多額の使用料を請求したこと)から名付けられた*4
このように広く普及した技術的思想や作品(素材)を「人気が出てきた時点で有料化するといったこと」は法的安定性を害するので、本来好ましくないように思われる。CCライセンスのようなライセンス契約形態下では、当事者双方の合意がなければ基本的に利用許諾条件を変更することはできないから、法的安定性には優れている。見方によっては「柔軟」でないということになるだろう。ここは二律背反的である。
しかし、ニコニ・コモンズではこれが可能であると言う。おそらくこれは、ニコニ・コモンズはライセンス契約ではなくガイドラインであり、著作者の一方的な宣言によって事後的に変更することが許されているからであろう。それは「柔軟」かもしれないが、利用者にとってみれば当初の利用条件が変更されるというリスクが大きく、法的安定性に欠く。

ライセンスとガイドラインは一概に比較できない

CCは著作権を管理する団体ではない。CCライセンスも DRD(デジタル・ライツ・ディスクリプション:digital rights description:デジタル著作権解説)に過ぎない*5。一方、ニコニ・コモンズは特定枠組みの中で著作物の利用を管理でき、追跡を実現するサービスである。

CCライセンスの設計思想は「コンテンツの自由な流通」であると思う。だから利用許諾を期限付きにすることは難しいし、ライセンス契約であるため、後から許諾条件を変更することは難しい。そしてCC自体は管理には関わらない。
ニコニ・コモンズは「コンテンツ流通の可視化とコントロール」に主眼があると思われる*6。だから期限付きの利用や事後的な条件変更を許容する設計になっているし、管理にも携わる。

私が懸念するのは、ライセンスとガイドラインの差を認識した上での議論があまり行われていないのではないかということである。同じ「コモンズ」を冠し、コンテンツ流通を促進しあるいは規律するものであるとは言え、両者の性質は異なるため、カバーできる範囲も自ずと違ってくる。その点を考慮した上で、ニコニ・コモンズやCCライセンスについて語るべきだと思う。

*1:ただし注意が必要なのは日本における著作者人格権は、著作者の意に反する改変一切が保護範囲としているが、世界的には、著作者の名誉声望を害する態様での改変に限って、同一性保持権の行使を認めているケースが多いという点である。詳細は【CCPLv3.0】著作者人格権(同一性保持権)に関する議論を参照のこと

*2:念のため述べておくと、職務上作成する著作物であれば法人であっても著作者となり、同一性保持権の主張が可能である

*3:「再利用されることを前提にした素材の集積」という意味では、CCライセンスからは離れるがmorgueFileなどが大手だろうか

*4:米国も法改正により新たなサブマリン特許は発生しなくなったものの、1995年以前に米国に出願された発明が「潜水」している可能性もある

*5:それでも既存のサービスと組み合わせることで、ある程度の利用をコントロールしたりクリエイタに還元することは可能ではある

*6:余談だが、ニコニコニュースなどによれば、作品ごとに割り振られた管理番号「コモンズID」を利用者が派生作品をアップロードする際に自己申告させる形で管理する仕組みのようだ。ISRCコードなどと比べると情報管理自体は徹底していないと言える。仮にコモンズIDが権利管理情報(著2条1項21号)に該当するとしたら、虚偽の情報を付加したり情報削除・変更をすると3年以下の懲役もしくは300万円以下の罰金または併科となりうる。この点について申告者は留意すべきだろう

昨日を歴史のターニングポイントにしないために―青少年ネット規制法の概略、危険性、今後

6月11日に青少年ネット規制法が成立した。法案時点での詳しい解説については楠さんのITmediaの記事があるので、是非読んでみてください。

決定事項と懸念事項

楠さんの記事で必要十分なのだが、参議院内閣委員会の審議内容があまり広まっていないせいか*1、いくらか誤解が広まっているように見受けられる。だから、素案の段階でMIAUが懸念していた問題と成立した法律の差分について指摘しておきたい(以下の理解が誤っていたらすぐさま教えてくださいね)。

予定している話題

  • プレインストール努力義務
  • 有害基準の問題
    • 有害情報は定義でなく例示に
    • 判断主体はあくまで民間
  • 閣僚会議と基本計画による規制強化の可能性
    • 国の関与は薄まる
    • 基本計画で有害情報基準を策定しないとの言質
  • 附則3条による3年後の見直し
    • 3年後といわず、今秋がひとつの山場
  • まとめ
    • 可能な限り骨抜きにした法律
    • 油断は禁物

自作PCLinuxPSPは現状維持。iPod Touchは要対策。

「フィルタリングソフトをすぐ動く状態でPCに入れておけよ問題」については、小寺さん楠さんが既に指摘している。また、参院内閣委員会でも民主党松井孝治先生が質問によって明確化してくださった(リンク先動画でいうと27:30くらいから35:30くらいまで)(松井先生の質問はGJすぎるので、ぜひ全部見てね)。

確かに素案の段階では、PCメーカーにフィルタリングソフトのプレインストールを行うことを、努力義務として課していた。したがって、自作PCがどうなるか不明であったり、PSPiPod Touchがどうなるかわからなかったり、そもそもLinuxなどフィルタリングソフトのないOSの場合には誰がどのように対応するのかという問題があった。

しかし、成立した法律では

 (インターネットと接続する機能を有する機器の製造事業者の義務)
第十九条 インターネットと接続する機能を有する機器であって青少年により使用されるもの(携帯電話端末及びPHS端末を除く。)を製造する事業者は、青少年有害情報フィルタリングソフトウェアを組み込むことその他の方法により青少年有害情報フィルタリングソフトウェア又は青少年有害情報フィルタリングサービス利用を容易にする措置を講じた上で、当該機器を販売しなければならない。ただし、青少年による青少年有害情報の閲覧に及ぼす影響が軽微な場合として政令で定める場合は、この限りでない

と規定されている(強調は引用者による)。
したがって、小寺さんが指摘しているように、Installedだけでなく、Installableでも要件を満たすことになる。
また、民主党の高井先生の答弁によれば、企業の業務用として出荷されるPCや「少量生産される一部マニア向け」PC(なんじゃそりゃ)の場合は政令で例外にするらしい*2。ゲーム機器は基本的に努力義務の対象であるが、「インターネット機能はついているもののそのような使い方はされないゲーム機器」は政令で除外されるかもしれない。このあたりは答弁者によって不一致なので微妙だ*3
松井先生は「そんな使い方はしないって誰が判断するんですか?」と鋭いつっこみをしていたが、それに対して松本先生が、但書きは「中小ISP等に過度の負担にならないようにする趣旨」であり、その趣旨を逸脱するような運用は許されないという答弁をなさっていた。この答弁内容は今後重要な点になっていくと思う。
また、PROXY設定をフィルタリングサービス利用手段と位置づけていることは、質疑によって明確にされた(上記動画で言うと37:40くらいから)。PROXY設定が「青少年有害情報フィルタリングサービスの利用を容易にする措置」に含まれるのだから、LinuxPSPは現状維持で大丈夫ということになる。
楠さんは政令で例外にするよりPROXY設定をフィルタリングサービス利用手段と位置づけた方が、効果が高く、行政の裁量を最小限にできるというような答弁をしていたと思うが、私もそう思う。
結論としては、小寺さんが仰る様に「すでに業界でやってることを上から法でなぞっただけであり、現状はほとんど変わらないと考えていい」。しかし、「現時点でPROXY設定画面がないっぽいのはiPod Touchくらい。という訳でAppleさん、法律の施行前までにiPod TouchへPROXY設定機能を追加しないと日本市場で販売できなくなっちゃいます」という楠さんの指摘は留意すべきだろう。

【追記】
コメント欄でf99aqさんから、iPod touchでもPROXY設定できますとのご指摘を頂きました。ありがとうございます。
手元に実機がないのでわかりませんが、Google先生に尋ねてみた範囲では「Settings > Wifi > (Blue > beside the network) > HTTP Proxy」(Safari)で行けるらしいです。そうだとしたら、iPod touchについても現状維持で大丈夫そうですね。

有害情報は定義でなく例示に

素案の段階では、以下の6つの情報が青少年有害情報として定義されていた。

  1. 人の性交等の行為又は人の性器等の卑わいな描写その他の性欲を興奮させ又は刺激する内容の情報であって、青少年に対し性に関する価値観の形成に著しく悪影響を及ぼすもの
  2. 殺人、傷害、暴行、処刑等の場面の陰惨な描写その他の残虐な行為に関する内容の情報であって、青少年に対し著しく残虐性を助長するもの
  3. 犯罪若しくは刑罰法令に触れる行為、自殺又は売春の実行の唆し、犯罪の実行の請負、犯罪等の手段の具体的な描写その他の犯罪等に関する内容の情報であって、青少年に対し著しく犯罪等を誘発するもの
  4. 麻薬等の薬物の濫用、自傷行為その他の自らの心身の健康を害する行為に関する内容の情報であって、青少年に対し著しくこれらの行為を誘発するもの
  5. 特定の青少年に対するいじめに当たる情報であって、当該青少年に著しい心理的外傷を与えるおそれがあるもの
  6. 家出をし、又はしようとする青少年に向けられた情報であって、青少年の非行又は児童買春等の犯罪を著しく誘発するもの

そして、何が有害で何が無害なのかの基準を内閣府内に設置する独立行政委員会(「青少年健全育成推進委員会」)が決定するというシステムを想定していたわけである。
当初から、実際に個々のコンテンツについて有害性の適否を判断し、違法有害コンテンツを見えなくさせるような措置を講ずるのは民間の事業者であって、行政の手によるものではなかった。しかし、それでも多くの個人や組織は「表現の自由」侵害の恐れを懸念し、反対声明を発表した。
その甲斐あってか、成立した法律では青少年有害情報は例示にされるに留まっている。

(定義)
第二条
3 この法律において「青少年有害情報」とは、インターネットを利用して公衆の閲覧(視聴を含む。以下同じ。)に供されている情報であって青少年の健全な成長を著しく阻害するものをいう。
4 前項の青少年有害情報を例示すると、次のとおりである。
 一 犯罪若しくは刑罰法令に触れる行為を直接的かつ明示的に請け負い、仲介し、若しくは誘引し、又は自殺を直接的かつ明示的に誘引する情報
 二 人の性行為又は性器等のわいせつな描写その他の著しく性欲を興奮させ又は刺激する情報
 三 殺人、処刑、虐待等の場面の陰惨な描写その他の著しく残虐な内容の情報

参院の内閣委員会審議においても、この例示規定にあたるか否か、個別の該当性を判断する主体は、サーバ管理者やフィルタリングソフト開発事業者など「あくまで民間」であり、個別に有害であることを行政権が判断することは「想定されていない」と笹木先生の答弁で強調されていた(動画で言うと10:50くらいから)。

また、2条4項1号に例示される情報については、誘引罪等の違法情報を含むことが、松井先生の質問により明確化されている(12:20くらいから)。「有害情報には、広く違法情報を含むという理解」で良いということらしい。つまり、この法案では違法と有害情報は区別されておらず、両者の判断はあくまで民間が行う。しかし何らかの法律効果をもたらすものについては、本法とは別の個々の法に照らして処断される。

さて、引用部分を参照していただければわかるように、家出やいじめに関しては規定から落とされている。ただし、これは例示にすぎないから、ここに示されていない情報であっても、民間の機関や事業者が独自に規制対象とすることもできる点は注意が必要だろう。

基本計画で潜脱的に有害情報基準を策定しない

また、独立行政委員会の方は行政計画を策定し、推進する閣僚会議という位置づけに落ち着いている。国の有害情報基準策定への関与はかなり薄まったと見て良い。

第八条 内閣府に、インターネット青少年有害情報対策・環境整備推進会議(以下「会議」という。)を置く。
2 会議は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 第十二条第一項の基本計画を作成し、及びその実施を推進すること。
二 前号に掲げるもののほか、青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する重要事項について審議すること。

第十二条 会議は、青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する基本的な計画(以下「基本計画」という。)を定めなければならない。
2 基本計画は、次に掲げる事項について定めるものとする。
 一 青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策についての基本的な方針
 二 インターネットの適切な利用に関する教育及び啓発活動の推進に係る施策に関する事項
 三 青少年有害情報フィルタリングソフトウェアの性能の向上及び利用の普及等に係る施策に関する事項
 四 青少年のインターネットの適切な利用に関する活動を行う民間団体等の支援その他青少年が安全に安心してインターネットを利用できるようにするための施策に関する重要事項

さらに、松井先生の質問によって、基本計画において有害情報の基準を策定することは「想定していない」し、表現の自由や民間の自主的取組みを尊重するという「法の趣旨に合わない」ため、有害情報基準策定を基本計画に盛り込むことはないとの答弁が引き出された(21:10くらいから)。

この質問と答弁によって立法者の言質が取れたわけだ。しかし、後述する附則3条のこともあり、基本計画や法改正によって趣旨の逸脱が行われないよう、注視する必要があると思う。

なお、閣僚会議の必要性については、省庁間の「横の連携を取る」ことが主眼であり、縦割りの弊害を取り除くためであるという(18:20くらいから)。

3年後といわず、今秋がひとつの山場

今回は附則3条による3年後の見直しが求められている。

(検討)
第三条 政府は、この法律の施行後三年以内に、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。

一度作った法律を廃止するということは、政局に影響を及ぼすような例外を除き、経験則上非現実的だと思う。だから、規制が廃止・軽減される方向で検討が進む可能性は少ない。
逆に、「ネットのせい」と受け止められるような事件が発生してしまい、感情的規制強化論が起きるであるとか、あるいは「民間だけの対応では実効性が見られない」ことを理由として、なし崩し的に規制強化へ流れてしまう可能性の方が余程高い。

しかも、3年を待たずに規制強化の契機は訪れる可能性が高い。附則で違法情報対策を速やかに議論することになっているし、今秋にある臨時国会でのブロッキング議論がもうひとつの山場になるだろう。

昨日を歴史のターニングポイントにしないために、出来ることからやって行きたい(とりあえず今はMIAUの声明を下書きしているところだ)。

まとめ

青少年ネット規制法は、素案段階での懸案事項はあらかた落ち、可能な限り骨抜きにした法律だと思われる。しかし、今後、この法律を足がかりとしてインターネットにおける表現の自由が脅かされる危険性も十分考えられる。
法律施行後にインターネット上の違法有害情報が原因と目されてしまう事件が起こった際に、法改正の流れになることは当然予期できる。したがって、法改正を意識した議論を今から始めなければならない。

*1:まあ2時間半もかかる動画だから仕方ないけれど

*2:コメント欄でmkusunokさんから「少量生産される一部マニア向け」PCは「OSがプレインストールされていない状態で販売される場合のあるホワイトボックス・自作PC等を念頭に置いているようです」という指摘がありました。ありがとうございます。

*3:スマートフォンなどは17条(携帯電話)でなく19条(PC)だそうです

意外に知られていない検閲のテクニック

最高裁判決に於ける検閲の定義と、フィルタリング・ゾーニングブロッキングと突き合わせた解釈も考察したい。法学に疎いのでなかなかしんどいが、ここは踏ん張りどころ

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080509/sd

というわけでmkusunokさんの負担を軽減すべく、最高裁として初めて「検閲」の定義をしたとして知られる税関検査事件についての判例評釈をやってみます(実を言うと、ゼミで発表したものに少し手を加えただけなのですが…)(以下のblockquoteで括られている部分はPPTの部分です。目次として利用してください)。
判決全文が読みたい方は最高裁がPDFで公開してくれているので、そちらを参照すると良いでしょう。なお、タイトルはホッテントリメーカーを利用してみました(釣られてしまった人がいたらごめんなさい)。


事実の概要、判旨の要約、分析(個別論点)という順になっていますが、長いので結論だけまとめると、判例をよくよく読んでいくと、結構いろいろとつっこみどころというか、よくわからないところがあるよという話です。判例の定義する検閲にあたらないが、運用や実効機能としては検閲と同等の機能をもつ処分ができる可能性(例:戦前の各種出版規制)もあります。

事実の概要

  • 行政訴訟事件
    • 上告人:X(私人)
    • 被上告人:函館税関長・函館税関札幌税関署長
  • Xが書籍・フィルム等を輸入を試みる
  • 税関で「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」該当と判断
  • 輸入者に通知した上で税関長が没収・廃棄・積戻し命令
  • Xは異議申立て、


今回判例評釈の対象となる税関検査事件について、まずは事実の概要から説明したいと思います。
登場人物について、おおまかに確認しておきましょう。本判例行政訴訟事件ですから、上告人(原告、被控訴人)は私人であり、被上告人(被告、控訴人)は函館税関長および函館税関札幌税関署長となっています。
では、登場人物を踏まえたうえで、経緯の説明をします。X氏は、とある書籍とフィルムなどを外国の企業に注文し、郵便で輸入しようとしました。輸入品はいったん保税地域というところに運ばれて、そこで輸入を希望する者が、貨物の品名や数量など必要事項を税関長に申請することになっているそうです。その際になされる検査が税関検査で、税関検査を経て輸入の許可をもらわないといけないことになっています。
そして、今回問題となるX氏の貨物は、税関で「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」に該当すると判断されました。これは55年改正前の関税定率法21条1項3号に抵触するとされたということです*1。輸入禁制品と判明した場合、税関長は輸入者に通知した上で(同3項)、没収・廃棄・積戻し命令ができることになっています(同2項)。
通知を受け、不服だったX氏は、異議申立てをしました。しかし棄却されました。よって、本件は輸入禁制品該当通知処分と意義棄却決定の取消訴訟として提起されています。

判決事項(1)―処分性/検閲の禁止

  • 税関長の通知(関税定率法21条3項)の処分性
  • 検閲禁止(憲法21条2項前段)の趣旨
    • 「検閲」の定義を考えるため
    • 公共の福祉とする例外は認められるか
  • 憲法21条2項にいう「検閲」
    • 「検閲」の定義
  • 3号物件に関する税関検査と「検閲」
    • 「検閲」に該当すれば絶対的禁止に

次に、判決事項について簡単な解説を入れたいと思います。
判決事項(1)は、税関長の通知(関税定率法21条3項)の処分性についてですが、これは「本件を抗告訴訟としてよいのか」という問題に繋がります。すなわち、税関長の通知に処分性がなければ、そもそも訴訟要件を満たさないということになって、本案に入る前に却下されてしまいそうです*2
行政訴訟法3条2項の「処分」は、判例上、どのように定義されているかというと、「公権力たる国または公共団体が行う行為のうち、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが、法律上認められているものを指す」とされています(最判昭39年10月29日)。本件では特に「国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定」していると言えるか否かが問題となっています。
判決事項(2)は、検閲禁止(憲法21条2項前段)の趣旨についてです。定義付けをする際に持ち出されるのは、たいていその条項の趣旨ですから、趣旨について判示しています。これは後で見るように、「公共の福祉とする例外は認められるか」という問題と関わって来ます。
判決事項(3)は、憲法21条2項にいう「検閲」、すなわち、「検閲」の定義について述べています。「検閲」の趣旨と定義をはじめて明らかにしたということは、リーディングケースとしての価値を有していると言えるでしょう。
判決事項(4)は、3号物件に関する税関検査と「検閲」についてです。要するに、あてはめの部分ですが、もし税関審査が「検閲」に該当すれば、判例の言う趣旨からして絶対的禁止になるので、ポイントとなります。

判決事項(2)―表現の自由

  • 猥褻表現物の輸入規制と憲法21条1項
    • 法令違憲の可能性を検討(文面審査)
  • 表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許される場合
    • 漠然・広範ゆえに無効か?
  • 「風俗を害すべき書籍図画」等との規定の意義、合憲性

判決事項(5)は、猥褻表現物の輸入規制と憲法21条1項についてです。ここでは、猥褻表現物の輸入規制につき、憲法21条1項に照らして法令違憲の可能性を検討しています。いわゆる文面審査を行っているものと考えられます。
判決事項(6)では、表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許される場合にも言及しています。ここは、文言が漠然かつ広範ゆえに無効か否かについて検討しています。
判決事項(7)は、「風俗を害すべき書籍図画」等との規定の意義、合憲性について検討しています。
今回は時間の都合で、判決事項(6)と(7)は、判決要旨を提示するにとどめ、深くは検討しないことにしたいと思います*3

判決要旨(1)

  • 請求棄却
  • 税関長の通知は行政庁の処分
    • 実質的な拒否処分(不許可処分)として機能
    • 本件は抗告訴訟の対象に

それでは、判決要旨の解説に移りたいと思います。
結論から言いますと、Xの上告は棄却されました。なぜそうなったのか、各項目での判断を少し詳しく見てみましょう。
まず、税関長の通知についてですが、判例は実質的な拒否処分(不許可処分)として機能していると指摘しています。よって、本件は抗告訴訟の対象であるとして、実体部分の検討に入ることになりました。

判決要旨(2)

  • 検閲禁止は、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めない趣旨と解すべき
  • 「検閲」とは
    • 主体:行政権
    • 対象:思想内容等の表現物
    • 目的:その全部又は一部の発表の禁止
    • 時期:発表前
    • 態様:対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、不適当と認めるものの発表を禁止
  • 3号物件の輸入手続における税関検査は、「検閲」にあたらない

次に、検閲禁止は、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めない趣旨と解すべきとして、憲法21条2項にいう「検閲」とは、「行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」であるとしました。
そして、その定義からすると、3号物件の輸入手続における税関検査は、「検閲」にあたらないとしたのです。

判決要旨(3)

  • 猥褻表現物の輸入規制(関税定率法21条1項3号)は表現の自由に反しない
  • 限定解釈をすることが許される場合とは
    • 規制の対象が明確に区別
    • 合憲的に規制しうるもののみが規制の対象
    • 一般国民の理解において判断
    • 具体的場合に表現物が規制の対象となるかどうか判断可能な基準
  • 「風俗を害すべき書籍、図画」の規定は表現の自由に反しない
    • 猥褻な書籍、図画等を指す
    • 広汎・不明確ではない

さらに判例は、猥褻表現物の輸入規制(関税定率法21条1項3号)は表現の自由に反しないとしています。
そして、限定解釈をすることが許される場合とは、「その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般.国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならない」として、「風俗を害すべき書籍、図画」の規定は、猥褻な書籍、図画等を指すことがわかるから、表現の自由に反しない。つまり、広汎でも不明確でもないと判示しました。

通知の処分性の争点

  • 関税調査の通知に処分性を認めるかには争い
  • 東京高判昭48年4月26日は処分性を否定
    • 輸入禁制品に該当する貨物は、法律上当然に輸入できない
    • 税関長は不許可処分の必要も権限もない
    • 通知は「観念の通知」であり、輸入者に了知させ注意を促すのみ
  • 判例多数意見は処分性を肯定
    • 当該貨物につき輸入の許可が得られない
    • 輸入申告に対する応答的行政処分は期待できない
    • 適法に輸入される道を閉ざされるに至る
    • 一般的・経過的でない法律上の効果

ここからは、各論点について分析を加えていきたいと思います。
まずは通知の処分性についてです。先ほど述べた通り、通知に処分性がなければ、そもそも訴訟要件を満たさないということになりますが、この関税調査の通知に処分性を認めるか否かは、長いこと争点のひとつでした。たとえば、東京高判昭48年4月26日は処分性を否定していますが、その際の論理構成はおおよそ次のようなものでした*4
「(1)輸入禁制品に該当する貨物は、原則として、法律上当然に輸入をすることができないのであるから、輸入禁制品に該当する貨物について輸入申告があった場合には、税関長はその輸入を許可することができないことはもちろん、輸入の禁止または不許可の処分をする必要はなく、また、その権限もない。」「(2)税関長の『通知』は、当該書籍・図画等が輸入禁制品に該当すると認めるにつき相当の理由があるという税関長の判断を通知するもの、すなわち単なる観念の通知に止まり、当該書籍・図画等が輸入禁制品に該当することを確定し、または当該書籍・図画等を輸入の禁止もしくは不許可の効果を生じさせるものではなく、これによって、当該書籍・図画を輸入しようとする者の権利義務に何らの影響も及ぼすものではない。」「(3)右『通知』は、当該書籍・図画を輸入しようとする者に対し、これが輸入禁制品にあたることを了知せしめ、その注意を促し、処罰の危険を未然に防止しようというものである。」
つまり、輸入禁制品はそもそも輸入をすることができないのだから、税関長は、権利義務を変動させるようなことはしていないという見方をしています。いくつかの下級審判例や行政機関は、「この行政処分には事前の禁止を意図するような効果意志がない、よって検閲ではない」という主張をしていたのです*5
しかし、本判例多数意見は処分性を肯定しました。論理構成はおおよそ次のようなものでした*6
「(1)通知およびその判断を維持する決定がなされた場合においては、当該貨物につき輸入の許可が得られなくなることが明らかになる。」「(2)この場合、関税定率法21条の趣旨からみて、税関長において三号貨物に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物について、通知および決定の措置をとる以外に輸入申告者に対して何らかの応答的行政処分をすることは、およそ期待され得ない。」「(3)輸入申告者は、輸入の許可を受けないで貨物を輸入することは禁止されている(関税法一一一条)のであるから、以上によって、輸入申告者は、当該貨物を適法に輸入される道を閉ざされるに至ったものということができる。」「(4)輸入申告者の被るこのような制約は、輸入申告に対する税関長の応答的行政処分が未了である場合に、輸入申告者がその間にかかる貨物を適法に輸入できないという、行政事務処理手続にともなう一般的・経過的な状態下におけるものとは異なり、通知または決定によって生ずるに至った法律上の効果である。」
つまり、税関長の通知は、実質的な拒否処分として機能しているとしています。

通知の処分性の問題

  • 判例により、処分性の議論に一応の決着
  • 理論上の解決が図れているか?
    • 判例も「観念の通知」に止まるものであることは否定しない
      • 通知は輸入申告者の自主的善処を期待すると解する
      • この点は以前の判例と変わらない
    • 私人の権利義務を変動させるような効果意思が内在することは必要か?
      • 通知・決定は、特定の行政行為/処分と見るべきか、それとも一定の機能を発揮する法システムとして見るべきか
      • 検閲の「禁止」の法律効果と行政行為/処分との論理的関係の点で問題

判例により、処分性の議論に一応の決着がみられました。しかし、実務上はともかく理論上の解決が図れているかは若干疑問の残るところです。
なぜなら、「輸入申告にかかる貨物又は輸入される郵便物中の信書以外の貨物が輸入禁制品に該当する場合法律上当然にその輸入が禁止されていることは所論のとおりである」と述べていることからも伺えるように、本判例は「通知」の実質や機能からみて処分性があると判断しているだけで、「観念の通知」に止まるものであることは否定していないからです。
あくまで、通知は輸入申告者の自主的善処を期待すると解しています。通知によって適法な輸入ができないという法律状態が明確化されるものの、輸入禁制品は当然に輸入を禁止されているという前提をとっていて、この点は以前の判例と変わっていません。本判例の言う「法律上の効果」は、税関長の通知と禁止の効果とを結びつけるものとはいえません。
要するに、本判例多数意見は、通知・決定を、特定の行政行為/処分と捉えていなくて、一定の機能を発揮する法システムとして捉えて、処分性を認めたようなのです。このような立場からすると、処分性について、「私人の権利義務を変動させるような効果意思が内在すること」は必要条件ではないことになります。
このあと詳しく検討する検閲の「禁止」の法律効果と、検閲と行政行為/処分との論理的関係性が問題になりそうです。


「検閲」の趣旨

  • 憲法21条1項と同2項の関係
    • 21条1項:表現の自由を一般的に保障
    • 21条2項:検閲禁止の特別規定
  • 検閲の絶対的禁止
    • 「検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容…をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべき」
    • 公共の福祉による制約を認めた下級審判例
      • 東京高判昭55年12月24日
      • 札幌高判昭56年7月19日

では話を変えて、「検閲」の趣旨についてです。
判例は、憲法21条1項と同2項の関係について、1項を一般保障規定、2項を特別規定と解しています。すなわち「憲法が、表現の自由につき、広くこれを保障する旨の一般的規定を同条1項に置きながら、別に検閲の禁止についてかような特別の規定を設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容(憲法12条、13条参照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべきである」としているのです。
公共の福祉による制約を認めた下級審判例(東京高判昭55年12月24日、札幌高判昭56年7月19日)もあったので、検閲の絶対的禁止を示した点において、本判例はリーディングケースとして評価されています。

歴史的経験

  • 検閲の趣旨は「歴史的経験」に照らして考慮
    • 「諸外国においても、表現を事前に規制する検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治26年法律第15号)、新聞紙法(明治42年法律第41号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和14年法律第66号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有する」

ところで、本判例は検閲の趣旨を「歴史的経験」に照らして考慮しています。「諸外国においても、表現を事前に規制する検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治26年法律第15号)、新聞紙法(明治42年法律第41号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和14年法律第66号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有する」という部分です。

論理展開の妥当性

  • 戦前の出版規制は「運用を通じて実質的な検閲が行われた」
    • 戦前のシステムの運用とは?
      • 発表自体は自由
      • 出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査
      • 発表済みのものを発売頒布時に取締り
  • 戦前の出版規制は「検閲」にあたらない?
      • 「全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する 」

注目すべきは、戦前の出版規制が「運用を通じて実質的な検閲が行われた」とされている点です。戦前の出版規制の運用を簡単に言いますと、発表自体は自由なのですが、出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査しており、発表済みのものを発売頒布時に取締るという形態をとっていました。
しかし、本判例の言う「検閲」の定義にあてはめてみると、戦前の出版規制は「検閲」にあたらないということになってしまいます。「全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する」という要件を満たさないからです*7
判例は、検閲の定義を導くに当たって趣旨を提示し、その趣旨は趣旨を「歴史的経験」に照らして考慮しているはずです。仮に、本判例事実認識と上記の歴史的経験の認識が同じであるとすれば(「運用を通じて実質的な検閲が行われた」という文面を素直に読むと、おそらく似たような認識を有しているのではないかと考えられますが)、判例の論理展開または定義には問題があるということになってしまいそうです。

検閲の定義

  • 判例による定義
    • 憲法21条2項にいう『検閲』とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである」

検閲の定義について、もう少し検討してみましょう。「憲法21条2項にいう『検閲』とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべき」でした。

下級審による検閲の定義

  • 東京地判昭45年7月17日(教科書裁判)
    • 「『検閲』とは、これを表現の自由についていえば公権力によって外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止するいわゆる事前規制を意味し、また、『検閲』は、思想内容の審査に関する限り、一切禁止されていると解すべきである」
  • 札幌高判昭57年7月19日(税関審査)
    • 「検閲とは、公権力が、外に発表されるべき思想その他の表現の内容をあらかじめ審査し、その結果、その表現内容を不適当と認めるときは、発表を禁止する等発表に対し規制を加えることであると解されている」

判例最高裁としてはじめて検閲を定義したことは皆さんご存知のとおりです。では、下級審による検閲の定義はどうなっていたのでしょうか。
東京地判昭45年7月17日(教科書裁判)では、「『検閲』とは、これを表現の自由についていえば公権力によって外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止するいわゆる事前規制を意味し、また、『検閲』は、思想内容の審査に関する限り、一切禁止されていると解すべきである」とされました。
また、札幌高判昭57年7月19日(税関審査)は本判例に大きく影響を与えていると言われますが、そこでは「検閲とは、公権力が、外に発表されるべき思想その他の表現の内容をあらかじめ審査し、その結果、その表現内容を不適当と認めるときは、発表を禁止する等発表に対し規制を加えることであると解されている」とされました。
文章としての長さからもわかるように、本判例では、検閲をより詳細に定義していることがお分かりいただけると思います。そして、要件をたくさん立てるということは、適用される範囲をかなり限定されていくということを意味します。検閲の主体が公権力から行政権に限定されていたりして、本判例の独自性が見られますが、その点についてはこのあと細かく見ていきましょう。

事前規制と検閲(1)

  • 事前規制=「発表前にその内容を審査した上…発表を禁止すること」?
    • 「事前規制」については特に説明がないが、前述の定義から上記内容のものと考える
  • 事前規制の側面があることは肯定
    • 「わが国内においては、当該表現物に表された思想内容等に接する機会を奪われ、右の知る自由が制限されることとなる。これらの点において、税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできない。」

では、検閲について、個別の論点を検討します。まずは事前規制と検閲の関係についてです。
3号物件が検閲にあたるかを判断していく上で、本判例は「税関長の右処分により、わが国内においては、当該表現物に表された思想内容等に接する機会を奪われ、右の知る自由が制限されることとなる。これらの点において、税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできない」と述べています。
ここでいう事前規制については特に説明されていないので明らかではありませんが、「発表前にその内容を審査した上…発表を禁止すること」を指すとして、とりあえず考えを進めてみたいと思います。
先に引用した通り、本判例は事前規制の側面があることを肯定しています。

事前規制と検閲(2)

  • 事前規制そのものではない
    • 「これにより輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない。その意味において、税関検査は、事前規制そのものということはできない」
  • 「知る自由」から見ると事前規制だが、「発表する自由」から見ると事前規制とは言えない

その上で、「これにより輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない。その意味において、税関検査は、事前規制そのものということはできない」としています。つまり、「知る自由」から見ると事前規制だが、「発表する自由」から見ると事前規制とは言えないとしているのです。
これは一見、「知る自由」という憲法21条1項の問題が、検閲の場面でも検討されているようにも思われますが、そうではなくて、事前規制というときの「事前」の判断時期はいつにすべきかを検討しているのだと思われます。

「発表前」の妥当性

  • 国外で発表できるのだから「発表の機会」が全面的に奪われているわけではないというロジックは妥当か?
    • 日本以外で発表の機会があることと日本国憲法にいう表現の自由との保障にどのような関係があるか
    • 海外の実態によって、正統性を担保することができるか
  • そもそも事前と事後に範疇的区別ができるか?
    • 機能・システムの面から考えると抑制効果、萎縮効果はほぼ同じ(cf. 刑罰規定としての差押・没収)

さて、本判例は、国外で発表できるのだから「発表の機会」が全面的に奪われているわけではないというロジックを使っています。
しかし、日本以外で発表の機会があることと日本国憲法にいう表現の自由との保障にどのような関係があるかという当然の疑問が浮かびます。「見たければ海外へ行け」ということで、日本における国民の自由への制約を合理化したり正当化したりできるのでしょうか。

さらに、そもそも事前と事後に範疇的区別ができるかという問題もあります。機能やシステムの面から考えると抑制効果・萎縮効果は、事前も事後もほぼ同じなのではないでしょうか。もちろん、そんなことを考え出したら「検閲」の範囲が拡張してしまって広範に過ぎることになりかねません。しかし、先に見た税関検査の処分性の論点では機能やシステムに着目したのですから、「検閲」においても機能やシステムの面から考えることも可能なはずです。そういうわけで、検閲の「禁止」の法律効果と、検閲と行政行為/処分との論理的関係性が問題になるというわけです。このあたりの温度差というか処分性の議論と検閲の議論の齟齬について、判例のスタンスが私にはいまいちよくわかりません。

検閲の主体

    • 「行政権」が検閲の主体
  • 下級審では「公権力」
    • 判例は、行政権のなかでも「思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするもの」に限定しているか?
  • 司法審査の機会が留保され、行政権の判断が最終的なものでないことは、理由付けとして妥当か
    • 「検閲」にあたるかどうかと、裁判を受ける権利は別問題ではないか

先に指摘した通り、下級審では検閲の主体が「公権力」と定義されていましたが、本判例では「行政権」と限定されています。
そしてさらに、「税関検査は、関税徴収手続の一環として、これに付随して行われるもので、思想内容等の表現物に限らず、広く輸入される貨物及び輸入される郵便物中の信書以外の物の全般を対象とし、3号物件についても、右のような付随的手続の中で容易に判定し得る限りにおいて審査しようとするものにすぎず、思想内容等それ自体を網羅的に審査し規制することを目的とするものではない。税関検査は行政権によつて行われるとはいえ、その主体となる税関は、関税の確定及び徴収を本来の職務内容とする機関であつて、特に思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするものではなく、また、前述のように、思想内容等の表現物につき税関長の通知がされたときは司法審査の機会が与えられているのであつて、行政権の判断が最終的なものとされるわけではない」とあることから、本判例は、行政権のなかでも「思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするもの」に限定しているのではないかとも思われます。
この件については、歴史的経験に関する考察をしたときと同様に、「運用を通じて実質的な検閲が行われ」るような規制について「検閲」に該当しなくなるのではないかという懸念が生じます。

*1:以下、この55年改正前関税定率法21条1項3号違反の貨物を「3号物件」とする

*2:「訴訟要件を満たさないということになって、本案に入る前に却下」とは、平たく言えば、訴えるための条件を満たさないから門前払いにして、つっこんだ判断なんてしないよ、というような意味

*3:ゼミでの発表に時間制限があったため、はしょっている

*4:以下の東京高裁の論理構成については、安念潤司「『事前の抑制』雑考」成蹊法学通号28(1988)PP404〜405を引用している。この安念論文は、事前の抑制についての論考としても卓越していると感じたが、本件における「処分性」と「検閲」の関係性について鋭い問題提起をしていて、とにかく凄い論文だと思う

*5:処分性否定説によれば、禁制品の輸入は予備や未遂によっても罰金・懲役を課されるのだから、行政訴訟でなく刑事訴訟で争うべきとする

*6:この論理構成もまた、前掲論文PP406〜407を引用している

*7:ほかにも、戦前における内務大臣または内閣総理大臣による新聞掲載記事差止命令制度や戦後の政令325号に基づく発行禁止命令も、この「検閲」の定義に該当しないだろうとの指摘がある。奥平康弘「税関検査の『検閲』性と『表現の自由』」『なぜ「表現の自由」か』東京大学出版(1996)P97を参照

補償金の不平等性とマンション管理費

補償金の不平等性(俺のiPodにはミクとかCC音源しか入ってないぜ!みたいな人にも課金する)を肯定する著作権的な学説?として補償金≠マンションの管理費説がある。マンションの管理費ってエレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってるでしょ、みたいなロジック。

http://twitter.com/tsuda/statuses/805168795

なんて脆弱なロジック。だけどこれがただの議論ならマズイ比喩ということで「バーカ」のひとことで済むけど、法律の場合は一度法理論として認められちゃうとそれが事実となるからやっかい。

http://clip.buru.jp/post/33956200

マンションのエレベータ管理費の話を補足。「マンションの管理費ってエレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってる」のが肯定される根拠法は、建物の区分所有等に関する法律である。詳しい解釈は省くが、共用部分(エレベータ)については規約に特別な定めがない限り、持分に応じて共有部分の負担をすることになっている(同法19条)。要するに(すべての住民の持分が同じだと仮定すると)、エレベータを使わない1階の住人も、エレベータなしの生活が考えられないような9階の住人も均等に分担する。

これだとなんか1階とか2階の人は損をしているように思えないかな。エレベータなんて使わないのに、なぜ負担しなくちゃいけないのか?現に、ドイツでは1階から階が上がるごとに負担額が増える方式を採用しているらしい(すなわち1階の人から順に1:2:3:4:….という割合で負担する。正確には持分比率に階数を乗じた割合で計算。上のほうの階に商店が入ってる場合などは、その商店の客数も考慮に入れたりするらしいから「使用頻度」をかなり考慮していることになる。詳細は、古い本だけど、丸山英気著『区分所有法の理論と動態』を参照のこと)。

で、一見不公平にも見える均等分担を、どうして日本では原則として採用しているのか?道垣内正人先生は以下のように説明している。「すなわち、マンションという集合住宅の性質上、一階の人がその購入価格でそこに住むことができるのは、垂直的に多くの人が住んでいるからであり、仮に上の階がなければ、とてもその価格では購入できなかったはずである。そして、上に他の九世帯[引用者注:設問が1フロア1世帯の10階建ての話だった]が住んでもらうには、必然的にエレベータが必要であり、したがって、一階の人はたとえエレベータを利用しなくても、その利益を享受していることになるのであり、また、付加的な理由づけとして、屋上、外壁、エントランス部分といった他の共有部分の修理の場合のことを考えると、エレベータについて必要な度合いといった尺度を導入することが先例となるとすれば、たとえば、屋上から雨漏りをしても一〇階以外の人には影響がないからといって他の人はその修理費用を分担しないことをも認めることになってしまう。このようなことを避けるためにも、やはりエレベータについても均等負担の原則を貫くべきであると言えるのではあるまいか」(『自分で考えるちょっと違った法学入門』31ページ)。

こういう理由が説明されたら多くの人はそれなりに納得できるんじゃないかなと思う。

さて、話を補償金の不平等性に戻してみようか。私は恥ずかしながら補償金≒マンションの管理費説を知らなかったのだけれど(この「著作権的な学説」は誰がどこで提唱してるんですか?>津田さん)、補償金≒マンションの管理費説ってどういう根拠で成り立っているのだろう。

「エレベータの使用頻度が異なるのに1F住人も9F住人も同じ料金払ってる」のが正当化されるのは、マンションという共同の資産を維持していくためにエレベータの維持管理が必要だし、エレベータが維持管理されることによって1Fの人間も間接的に利益を享受していると言えたからだったね。

ではこの趣旨を敷衍してみよう。もし、補償金が支払われることによって流通する音楽のレベルや全体の価値が底上げされるという立場をとるのであれば、それによって「俺のiPodにはミクとかCC音源しか入ってないぜ!みたいな人」も、周りの洗練度に影響されて高いレベルの楽曲が得られるという間接的利益があるとも言えそうだ(当不当はとりあえず置いておいて、そういう見解もまあありうるよね、という意味で)(だから私はそんなに「マズイ比喩」ではないと思うし、「バーカ」と一蹴して済む問題でもない気がする)。ミクとかCC音源の作曲者や実演家に対して補償金が支払われるか否かの問題ではなくて、音楽業界や複製文化全般が維持管理されることによって間接的に利益を享受しているから補償金を支払うという構成だ。

もしそうだったら「音楽税でも良いじゃん」という意見と一緒なんじゃないかと私は思ってしまう。だって補償金制度って別に「音楽全体の価値を良くするための積み立て」じゃなくて、一応、私的使用目的でデジタル録音(録画)する人にいちいち補償金を請求するのは手間だから、円滑にするために指定管理業者に一括払いして後で権利者に分配しましょうね、ということになっていたはずだからである。別に前者が悪くて後者が良いって言っているわけではなくて、それって本来のシステム設計からは逸れてきているんじゃないかなという意味だ。現在でも著作権の振興・普及事業への支出が義務付けられているから(著作権法104条の8第1項)、補償金制度の公的側面は存在するわけだけど、補償金≒マンションの管理費説が上記のような考えをしているなら、公的性質を強調しないと筋が通らない気がする。補償金制度の私権的構成を抜本的に見直すことになっちゃうけど、それでも良いのかな?補償金≒マンションの管理費説を唱えている人はそういう意図を持っているのかな?


…ということを昨夜地震に怯えながらtumblrに書いていたら、結構reblogされたのでこちらに転載することにしてみたよ。うーん、なんだろうな。マンション管理費の話を解説したから関心を集めたのかな?そういうことだったら上記の『自分で考えるちょっと違った法学入門 第3版』はおすすめです。兄弟喧嘩にならないケーキの切り分け方が7種類くらい紹介されていたりして面白いです。


さて、私的録音録画小委員会でいつも頑張ってくれている津田さんは、なんだか絶望を深めているようです。

私的録音録画小委員会は結局何らかの結論を出さなきゃいけないっーことでiPodに課金する方向でまとまりそうな気配。ダウンロード違法化も規定路線で議論の余地なしって感じだね。いっそのこと今後の文化審議会は消費者側の人は一切排除して勝手に決めていけばいいんじゃないかな。呼んで意見聞く意味ないでしょ。

http://twitter.com/tsuda/statuses/806105841

急がば回れ」とも言います。私的録音録画補償金問題は、根本的で理念的な部分の議論を置き去りにして検討を進めているように見えるから、逆に議論が紛糾してしまっているような気もします。
主婦連の河村委員も仰っていましたが、消費者は単に微々たるお金を払うのを嫌がっているわけではないのです。どれだけ合理的な理由でお金を払っているのか明確にわかることが重要なのです。…まあ審議会ってパワーゲームかしゃんしゃんなんでしょとか言われたらそれまでなのですが。


あと、tumblrのはてブコメントでidiot817さんが

というより、iPod著作権管理楽曲を入れて使う人が大量にいるおかげで、iPodの大量生産が可能になり、著作権管理曲をいれない人もやすくiPodが買えるという利益を享受しているということじゃないの?

という指摘をしてくださいました。うーん。そういうのとはまた別の話だと私は思います。iPodにPC、著作権管理楽曲windows、非著作権管理曲にGNU/Linux等を代入してみてください。「PCにwindowsを入れて使う人が大量にいたおかげで、PCの大量生産が可能になり、windowsをいれない人もやすくPCが買えるという利益を享受している」から、PCユーザ全体から徴収したお金をmicrosoftにあげましょうねというシステムを作ることはなんだか不公平な感じがしませんか?最近はEEPCとかがあったりして状況が変わってきているのでちょっとわかりにくいかもしれません。その場合、PCじゃなくて他の商品…洗濯機と洗剤とかでも結構です。

「音楽業界や複製文化全般が維持管理されることによって間接的に利益を享受しているから補償金を支払うという構成」は、どちらかというとNHKの受信料に似ていると思います。NHKを見ない人でもテレビ受像機を設置したら受信料を払うことになっていますよね。使用頻度などは関係なく。それは、NHKが民放にはできない放送事業を営むことで(例:国会中継政見放送)、政治について情報を得たり「知る権利」が充足されたり日本国民としての一体感とかが醸成されるので、それで政治や社会が良くなるのであれば、NHKを見ない人にも間接的な利益を享受しているということが出来るのだという説があります。
私は補償金≒マンションの管理費説というのはそうした側面を強調しているのではないかと推察しました。大量生産の話は市場の話だと思いますが、補償金≒マンションの管理費説は公共性のお話をしているのではないかと思うのです。