意外に知られていない検閲のテクニック

最高裁判決に於ける検閲の定義と、フィルタリング・ゾーニングブロッキングと突き合わせた解釈も考察したい。法学に疎いのでなかなかしんどいが、ここは踏ん張りどころ

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080509/sd

というわけでmkusunokさんの負担を軽減すべく、最高裁として初めて「検閲」の定義をしたとして知られる税関検査事件についての判例評釈をやってみます(実を言うと、ゼミで発表したものに少し手を加えただけなのですが…)(以下のblockquoteで括られている部分はPPTの部分です。目次として利用してください)。
判決全文が読みたい方は最高裁がPDFで公開してくれているので、そちらを参照すると良いでしょう。なお、タイトルはホッテントリメーカーを利用してみました(釣られてしまった人がいたらごめんなさい)。


事実の概要、判旨の要約、分析(個別論点)という順になっていますが、長いので結論だけまとめると、判例をよくよく読んでいくと、結構いろいろとつっこみどころというか、よくわからないところがあるよという話です。判例の定義する検閲にあたらないが、運用や実効機能としては検閲と同等の機能をもつ処分ができる可能性(例:戦前の各種出版規制)もあります。

事実の概要

  • 行政訴訟事件
    • 上告人:X(私人)
    • 被上告人:函館税関長・函館税関札幌税関署長
  • Xが書籍・フィルム等を輸入を試みる
  • 税関で「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」該当と判断
  • 輸入者に通知した上で税関長が没収・廃棄・積戻し命令
  • Xは異議申立て、


今回判例評釈の対象となる税関検査事件について、まずは事実の概要から説明したいと思います。
登場人物について、おおまかに確認しておきましょう。本判例行政訴訟事件ですから、上告人(原告、被控訴人)は私人であり、被上告人(被告、控訴人)は函館税関長および函館税関札幌税関署長となっています。
では、登場人物を踏まえたうえで、経緯の説明をします。X氏は、とある書籍とフィルムなどを外国の企業に注文し、郵便で輸入しようとしました。輸入品はいったん保税地域というところに運ばれて、そこで輸入を希望する者が、貨物の品名や数量など必要事項を税関長に申請することになっているそうです。その際になされる検査が税関検査で、税関検査を経て輸入の許可をもらわないといけないことになっています。
そして、今回問題となるX氏の貨物は、税関で「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、彫刻物その他の物品」に該当すると判断されました。これは55年改正前の関税定率法21条1項3号に抵触するとされたということです*1。輸入禁制品と判明した場合、税関長は輸入者に通知した上で(同3項)、没収・廃棄・積戻し命令ができることになっています(同2項)。
通知を受け、不服だったX氏は、異議申立てをしました。しかし棄却されました。よって、本件は輸入禁制品該当通知処分と意義棄却決定の取消訴訟として提起されています。

判決事項(1)―処分性/検閲の禁止

  • 税関長の通知(関税定率法21条3項)の処分性
  • 検閲禁止(憲法21条2項前段)の趣旨
    • 「検閲」の定義を考えるため
    • 公共の福祉とする例外は認められるか
  • 憲法21条2項にいう「検閲」
    • 「検閲」の定義
  • 3号物件に関する税関検査と「検閲」
    • 「検閲」に該当すれば絶対的禁止に

次に、判決事項について簡単な解説を入れたいと思います。
判決事項(1)は、税関長の通知(関税定率法21条3項)の処分性についてですが、これは「本件を抗告訴訟としてよいのか」という問題に繋がります。すなわち、税関長の通知に処分性がなければ、そもそも訴訟要件を満たさないということになって、本案に入る前に却下されてしまいそうです*2
行政訴訟法3条2項の「処分」は、判例上、どのように定義されているかというと、「公権力たる国または公共団体が行う行為のうち、直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが、法律上認められているものを指す」とされています(最判昭39年10月29日)。本件では特に「国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定」していると言えるか否かが問題となっています。
判決事項(2)は、検閲禁止(憲法21条2項前段)の趣旨についてです。定義付けをする際に持ち出されるのは、たいていその条項の趣旨ですから、趣旨について判示しています。これは後で見るように、「公共の福祉とする例外は認められるか」という問題と関わって来ます。
判決事項(3)は、憲法21条2項にいう「検閲」、すなわち、「検閲」の定義について述べています。「検閲」の趣旨と定義をはじめて明らかにしたということは、リーディングケースとしての価値を有していると言えるでしょう。
判決事項(4)は、3号物件に関する税関検査と「検閲」についてです。要するに、あてはめの部分ですが、もし税関審査が「検閲」に該当すれば、判例の言う趣旨からして絶対的禁止になるので、ポイントとなります。

判決事項(2)―表現の自由

  • 猥褻表現物の輸入規制と憲法21条1項
    • 法令違憲の可能性を検討(文面審査)
  • 表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許される場合
    • 漠然・広範ゆえに無効か?
  • 「風俗を害すべき書籍図画」等との規定の意義、合憲性

判決事項(5)は、猥褻表現物の輸入規制と憲法21条1項についてです。ここでは、猥褻表現物の輸入規制につき、憲法21条1項に照らして法令違憲の可能性を検討しています。いわゆる文面審査を行っているものと考えられます。
判決事項(6)では、表現の自由を規制する法律の規定について限定解釈をすることが許される場合にも言及しています。ここは、文言が漠然かつ広範ゆえに無効か否かについて検討しています。
判決事項(7)は、「風俗を害すべき書籍図画」等との規定の意義、合憲性について検討しています。
今回は時間の都合で、判決事項(6)と(7)は、判決要旨を提示するにとどめ、深くは検討しないことにしたいと思います*3

判決要旨(1)

  • 請求棄却
  • 税関長の通知は行政庁の処分
    • 実質的な拒否処分(不許可処分)として機能
    • 本件は抗告訴訟の対象に

それでは、判決要旨の解説に移りたいと思います。
結論から言いますと、Xの上告は棄却されました。なぜそうなったのか、各項目での判断を少し詳しく見てみましょう。
まず、税関長の通知についてですが、判例は実質的な拒否処分(不許可処分)として機能していると指摘しています。よって、本件は抗告訴訟の対象であるとして、実体部分の検討に入ることになりました。

判決要旨(2)

  • 検閲禁止は、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めない趣旨と解すべき
  • 「検閲」とは
    • 主体:行政権
    • 対象:思想内容等の表現物
    • 目的:その全部又は一部の発表の禁止
    • 時期:発表前
    • 態様:対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、不適当と認めるものの発表を禁止
  • 3号物件の輸入手続における税関検査は、「検閲」にあたらない

次に、検閲禁止は、公共の福祉を理由とする例外の許容をも認めない趣旨と解すべきとして、憲法21条2項にいう「検閲」とは、「行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」であるとしました。
そして、その定義からすると、3号物件の輸入手続における税関検査は、「検閲」にあたらないとしたのです。

判決要旨(3)

  • 猥褻表現物の輸入規制(関税定率法21条1項3号)は表現の自由に反しない
  • 限定解釈をすることが許される場合とは
    • 規制の対象が明確に区別
    • 合憲的に規制しうるもののみが規制の対象
    • 一般国民の理解において判断
    • 具体的場合に表現物が規制の対象となるかどうか判断可能な基準
  • 「風俗を害すべき書籍、図画」の規定は表現の自由に反しない
    • 猥褻な書籍、図画等を指す
    • 広汎・不明確ではない

さらに判例は、猥褻表現物の輸入規制(関税定率法21条1項3号)は表現の自由に反しないとしています。
そして、限定解釈をすることが許される場合とは、「その解釈により、規制の対象となるものとそうでないものとが明確に区別され、かつ、合憲的に規制しうるもののみが規制の対象となることが明らかにされる場合でなければならず、また、一般.国民の理解において、具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめるような基準をその規定から読みとることができるものでなければならない」として、「風俗を害すべき書籍、図画」の規定は、猥褻な書籍、図画等を指すことがわかるから、表現の自由に反しない。つまり、広汎でも不明確でもないと判示しました。

通知の処分性の争点

  • 関税調査の通知に処分性を認めるかには争い
  • 東京高判昭48年4月26日は処分性を否定
    • 輸入禁制品に該当する貨物は、法律上当然に輸入できない
    • 税関長は不許可処分の必要も権限もない
    • 通知は「観念の通知」であり、輸入者に了知させ注意を促すのみ
  • 判例多数意見は処分性を肯定
    • 当該貨物につき輸入の許可が得られない
    • 輸入申告に対する応答的行政処分は期待できない
    • 適法に輸入される道を閉ざされるに至る
    • 一般的・経過的でない法律上の効果

ここからは、各論点について分析を加えていきたいと思います。
まずは通知の処分性についてです。先ほど述べた通り、通知に処分性がなければ、そもそも訴訟要件を満たさないということになりますが、この関税調査の通知に処分性を認めるか否かは、長いこと争点のひとつでした。たとえば、東京高判昭48年4月26日は処分性を否定していますが、その際の論理構成はおおよそ次のようなものでした*4
「(1)輸入禁制品に該当する貨物は、原則として、法律上当然に輸入をすることができないのであるから、輸入禁制品に該当する貨物について輸入申告があった場合には、税関長はその輸入を許可することができないことはもちろん、輸入の禁止または不許可の処分をする必要はなく、また、その権限もない。」「(2)税関長の『通知』は、当該書籍・図画等が輸入禁制品に該当すると認めるにつき相当の理由があるという税関長の判断を通知するもの、すなわち単なる観念の通知に止まり、当該書籍・図画等が輸入禁制品に該当することを確定し、または当該書籍・図画等を輸入の禁止もしくは不許可の効果を生じさせるものではなく、これによって、当該書籍・図画を輸入しようとする者の権利義務に何らの影響も及ぼすものではない。」「(3)右『通知』は、当該書籍・図画を輸入しようとする者に対し、これが輸入禁制品にあたることを了知せしめ、その注意を促し、処罰の危険を未然に防止しようというものである。」
つまり、輸入禁制品はそもそも輸入をすることができないのだから、税関長は、権利義務を変動させるようなことはしていないという見方をしています。いくつかの下級審判例や行政機関は、「この行政処分には事前の禁止を意図するような効果意志がない、よって検閲ではない」という主張をしていたのです*5
しかし、本判例多数意見は処分性を肯定しました。論理構成はおおよそ次のようなものでした*6
「(1)通知およびその判断を維持する決定がなされた場合においては、当該貨物につき輸入の許可が得られなくなることが明らかになる。」「(2)この場合、関税定率法21条の趣旨からみて、税関長において三号貨物に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物について、通知および決定の措置をとる以外に輸入申告者に対して何らかの応答的行政処分をすることは、およそ期待され得ない。」「(3)輸入申告者は、輸入の許可を受けないで貨物を輸入することは禁止されている(関税法一一一条)のであるから、以上によって、輸入申告者は、当該貨物を適法に輸入される道を閉ざされるに至ったものということができる。」「(4)輸入申告者の被るこのような制約は、輸入申告に対する税関長の応答的行政処分が未了である場合に、輸入申告者がその間にかかる貨物を適法に輸入できないという、行政事務処理手続にともなう一般的・経過的な状態下におけるものとは異なり、通知または決定によって生ずるに至った法律上の効果である。」
つまり、税関長の通知は、実質的な拒否処分として機能しているとしています。

通知の処分性の問題

  • 判例により、処分性の議論に一応の決着
  • 理論上の解決が図れているか?
    • 判例も「観念の通知」に止まるものであることは否定しない
      • 通知は輸入申告者の自主的善処を期待すると解する
      • この点は以前の判例と変わらない
    • 私人の権利義務を変動させるような効果意思が内在することは必要か?
      • 通知・決定は、特定の行政行為/処分と見るべきか、それとも一定の機能を発揮する法システムとして見るべきか
      • 検閲の「禁止」の法律効果と行政行為/処分との論理的関係の点で問題

判例により、処分性の議論に一応の決着がみられました。しかし、実務上はともかく理論上の解決が図れているかは若干疑問の残るところです。
なぜなら、「輸入申告にかかる貨物又は輸入される郵便物中の信書以外の貨物が輸入禁制品に該当する場合法律上当然にその輸入が禁止されていることは所論のとおりである」と述べていることからも伺えるように、本判例は「通知」の実質や機能からみて処分性があると判断しているだけで、「観念の通知」に止まるものであることは否定していないからです。
あくまで、通知は輸入申告者の自主的善処を期待すると解しています。通知によって適法な輸入ができないという法律状態が明確化されるものの、輸入禁制品は当然に輸入を禁止されているという前提をとっていて、この点は以前の判例と変わっていません。本判例の言う「法律上の効果」は、税関長の通知と禁止の効果とを結びつけるものとはいえません。
要するに、本判例多数意見は、通知・決定を、特定の行政行為/処分と捉えていなくて、一定の機能を発揮する法システムとして捉えて、処分性を認めたようなのです。このような立場からすると、処分性について、「私人の権利義務を変動させるような効果意思が内在すること」は必要条件ではないことになります。
このあと詳しく検討する検閲の「禁止」の法律効果と、検閲と行政行為/処分との論理的関係性が問題になりそうです。


「検閲」の趣旨

  • 憲法21条1項と同2項の関係
    • 21条1項:表現の自由を一般的に保障
    • 21条2項:検閲禁止の特別規定
  • 検閲の絶対的禁止
    • 「検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容…をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべき」
    • 公共の福祉による制約を認めた下級審判例
      • 東京高判昭55年12月24日
      • 札幌高判昭56年7月19日

では話を変えて、「検閲」の趣旨についてです。
判例は、憲法21条1項と同2項の関係について、1項を一般保障規定、2項を特別規定と解しています。すなわち「憲法が、表現の自由につき、広くこれを保障する旨の一般的規定を同条1項に置きながら、別に検閲の禁止についてかような特別の規定を設けたのは、検閲がその性質上表現の自由に対する最も厳しい制約となるものであることにかんがみ、これについては、公共の福祉を理由とする例外の許容(憲法12条、13条参照)をも認めない趣旨を明らかにしたものと解すべきである」としているのです。
公共の福祉による制約を認めた下級審判例(東京高判昭55年12月24日、札幌高判昭56年7月19日)もあったので、検閲の絶対的禁止を示した点において、本判例はリーディングケースとして評価されています。

歴史的経験

  • 検閲の趣旨は「歴史的経験」に照らして考慮
    • 「諸外国においても、表現を事前に規制する検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治26年法律第15号)、新聞紙法(明治42年法律第41号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和14年法律第66号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有する」

ところで、本判例は検閲の趣旨を「歴史的経験」に照らして考慮しています。「諸外国においても、表現を事前に規制する検閲の制度により思想表現の自由が著しく制限されたという歴史的経験があり、また、わが国においても、旧憲法下における出版法(明治26年法律第15号)、新聞紙法(明治42年法律第41号)により、文書、図画ないし新聞、雑誌等を出版直前ないし発行時に提出させた上、その発売、頒布を禁止する権限が内務大臣に与えられ、その運用を通じて実質的な検閲が行われたほか、映画法(昭和14年法律第66号)により映画フイルムにつき内務大臣による典型的な検閲が行われる等、思想の自由な発表、交流が妨げられるに至つた経験を有する」という部分です。

論理展開の妥当性

  • 戦前の出版規制は「運用を通じて実質的な検閲が行われた」
    • 戦前のシステムの運用とは?
      • 発表自体は自由
      • 出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査
      • 発表済みのものを発売頒布時に取締り
  • 戦前の出版規制は「検閲」にあたらない?
      • 「全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する 」

注目すべきは、戦前の出版規制が「運用を通じて実質的な検閲が行われた」とされている点です。戦前の出版規制の運用を簡単に言いますと、発表自体は自由なのですが、出版物等を「納本」させた上で選抜的に審査しており、発表済みのものを発売頒布時に取締るという形態をとっていました。
しかし、本判例の言う「検閲」の定義にあてはめてみると、戦前の出版規制は「検閲」にあたらないということになってしまいます。「全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止する」という要件を満たさないからです*7
判例は、検閲の定義を導くに当たって趣旨を提示し、その趣旨は趣旨を「歴史的経験」に照らして考慮しているはずです。仮に、本判例事実認識と上記の歴史的経験の認識が同じであるとすれば(「運用を通じて実質的な検閲が行われた」という文面を素直に読むと、おそらく似たような認識を有しているのではないかと考えられますが)、判例の論理展開または定義には問題があるということになってしまいそうです。

検閲の定義

  • 判例による定義
    • 憲法21条2項にいう『検閲』とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきである」

検閲の定義について、もう少し検討してみましょう。「憲法21条2項にいう『検閲』とは、行政権が主体となつて、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべき」でした。

下級審による検閲の定義

  • 東京地判昭45年7月17日(教科書裁判)
    • 「『検閲』とは、これを表現の自由についていえば公権力によって外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止するいわゆる事前規制を意味し、また、『検閲』は、思想内容の審査に関する限り、一切禁止されていると解すべきである」
  • 札幌高判昭57年7月19日(税関審査)
    • 「検閲とは、公権力が、外に発表されるべき思想その他の表現の内容をあらかじめ審査し、その結果、その表現内容を不適当と認めるときは、発表を禁止する等発表に対し規制を加えることであると解されている」

判例最高裁としてはじめて検閲を定義したことは皆さんご存知のとおりです。では、下級審による検閲の定義はどうなっていたのでしょうか。
東京地判昭45年7月17日(教科書裁判)では、「『検閲』とは、これを表現の自由についていえば公権力によって外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止するいわゆる事前規制を意味し、また、『検閲』は、思想内容の審査に関する限り、一切禁止されていると解すべきである」とされました。
また、札幌高判昭57年7月19日(税関審査)は本判例に大きく影響を与えていると言われますが、そこでは「検閲とは、公権力が、外に発表されるべき思想その他の表現の内容をあらかじめ審査し、その結果、その表現内容を不適当と認めるときは、発表を禁止する等発表に対し規制を加えることであると解されている」とされました。
文章としての長さからもわかるように、本判例では、検閲をより詳細に定義していることがお分かりいただけると思います。そして、要件をたくさん立てるということは、適用される範囲をかなり限定されていくということを意味します。検閲の主体が公権力から行政権に限定されていたりして、本判例の独自性が見られますが、その点についてはこのあと細かく見ていきましょう。

事前規制と検閲(1)

  • 事前規制=「発表前にその内容を審査した上…発表を禁止すること」?
    • 「事前規制」については特に説明がないが、前述の定義から上記内容のものと考える
  • 事前規制の側面があることは肯定
    • 「わが国内においては、当該表現物に表された思想内容等に接する機会を奪われ、右の知る自由が制限されることとなる。これらの点において、税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできない。」

では、検閲について、個別の論点を検討します。まずは事前規制と検閲の関係についてです。
3号物件が検閲にあたるかを判断していく上で、本判例は「税関長の右処分により、わが国内においては、当該表現物に表された思想内容等に接する機会を奪われ、右の知る自由が制限されることとなる。これらの点において、税関検査が表現の事前規制たる側面を有することを否定することはできない」と述べています。
ここでいう事前規制については特に説明されていないので明らかではありませんが、「発表前にその内容を審査した上…発表を禁止すること」を指すとして、とりあえず考えを進めてみたいと思います。
先に引用した通り、本判例は事前規制の側面があることを肯定しています。

事前規制と検閲(2)

  • 事前規制そのものではない
    • 「これにより輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない。その意味において、税関検査は、事前規制そのものということはできない」
  • 「知る自由」から見ると事前規制だが、「発表する自由」から見ると事前規制とは言えない

その上で、「これにより輸入が禁止される表現物は、一般に、国外においては既に発表済みのものであつて、その輸入を禁止したからといつて、それは、当該表現物につき、事前に発表そのものを一切禁止するというものではない。また、当該表現物は、輸入が禁止されるだけであつて、税関により没収、廃棄されるわけではないから、発表の機会が全面的に奪われてしまうというわけのものでもない。その意味において、税関検査は、事前規制そのものということはできない」としています。つまり、「知る自由」から見ると事前規制だが、「発表する自由」から見ると事前規制とは言えないとしているのです。
これは一見、「知る自由」という憲法21条1項の問題が、検閲の場面でも検討されているようにも思われますが、そうではなくて、事前規制というときの「事前」の判断時期はいつにすべきかを検討しているのだと思われます。

「発表前」の妥当性

  • 国外で発表できるのだから「発表の機会」が全面的に奪われているわけではないというロジックは妥当か?
    • 日本以外で発表の機会があることと日本国憲法にいう表現の自由との保障にどのような関係があるか
    • 海外の実態によって、正統性を担保することができるか
  • そもそも事前と事後に範疇的区別ができるか?
    • 機能・システムの面から考えると抑制効果、萎縮効果はほぼ同じ(cf. 刑罰規定としての差押・没収)

さて、本判例は、国外で発表できるのだから「発表の機会」が全面的に奪われているわけではないというロジックを使っています。
しかし、日本以外で発表の機会があることと日本国憲法にいう表現の自由との保障にどのような関係があるかという当然の疑問が浮かびます。「見たければ海外へ行け」ということで、日本における国民の自由への制約を合理化したり正当化したりできるのでしょうか。

さらに、そもそも事前と事後に範疇的区別ができるかという問題もあります。機能やシステムの面から考えると抑制効果・萎縮効果は、事前も事後もほぼ同じなのではないでしょうか。もちろん、そんなことを考え出したら「検閲」の範囲が拡張してしまって広範に過ぎることになりかねません。しかし、先に見た税関検査の処分性の論点では機能やシステムに着目したのですから、「検閲」においても機能やシステムの面から考えることも可能なはずです。そういうわけで、検閲の「禁止」の法律効果と、検閲と行政行為/処分との論理的関係性が問題になるというわけです。このあたりの温度差というか処分性の議論と検閲の議論の齟齬について、判例のスタンスが私にはいまいちよくわかりません。

検閲の主体

    • 「行政権」が検閲の主体
  • 下級審では「公権力」
    • 判例は、行政権のなかでも「思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするもの」に限定しているか?
  • 司法審査の機会が留保され、行政権の判断が最終的なものでないことは、理由付けとして妥当か
    • 「検閲」にあたるかどうかと、裁判を受ける権利は別問題ではないか

先に指摘した通り、下級審では検閲の主体が「公権力」と定義されていましたが、本判例では「行政権」と限定されています。
そしてさらに、「税関検査は、関税徴収手続の一環として、これに付随して行われるもので、思想内容等の表現物に限らず、広く輸入される貨物及び輸入される郵便物中の信書以外の物の全般を対象とし、3号物件についても、右のような付随的手続の中で容易に判定し得る限りにおいて審査しようとするものにすぎず、思想内容等それ自体を網羅的に審査し規制することを目的とするものではない。税関検査は行政権によつて行われるとはいえ、その主体となる税関は、関税の確定及び徴収を本来の職務内容とする機関であつて、特に思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするものではなく、また、前述のように、思想内容等の表現物につき税関長の通知がされたときは司法審査の機会が与えられているのであつて、行政権の判断が最終的なものとされるわけではない」とあることから、本判例は、行政権のなかでも「思想内容等を対象としてこれを規制することを独自の使命とするもの」に限定しているのではないかとも思われます。
この件については、歴史的経験に関する考察をしたときと同様に、「運用を通じて実質的な検閲が行われ」るような規制について「検閲」に該当しなくなるのではないかという懸念が生じます。

*1:以下、この55年改正前関税定率法21条1項3号違反の貨物を「3号物件」とする

*2:「訴訟要件を満たさないということになって、本案に入る前に却下」とは、平たく言えば、訴えるための条件を満たさないから門前払いにして、つっこんだ判断なんてしないよ、というような意味

*3:ゼミでの発表に時間制限があったため、はしょっている

*4:以下の東京高裁の論理構成については、安念潤司「『事前の抑制』雑考」成蹊法学通号28(1988)PP404〜405を引用している。この安念論文は、事前の抑制についての論考としても卓越していると感じたが、本件における「処分性」と「検閲」の関係性について鋭い問題提起をしていて、とにかく凄い論文だと思う

*5:処分性否定説によれば、禁制品の輸入は予備や未遂によっても罰金・懲役を課されるのだから、行政訴訟でなく刑事訴訟で争うべきとする

*6:この論理構成もまた、前掲論文PP406〜407を引用している

*7:ほかにも、戦前における内務大臣または内閣総理大臣による新聞掲載記事差止命令制度や戦後の政令325号に基づく発行禁止命令も、この「検閲」の定義に該当しないだろうとの指摘がある。奥平康弘「税関検査の『検閲』性と『表現の自由』」『なぜ「表現の自由」か』東京大学出版(1996)P97を参照